安達悠司 (参政党)

2026年7月14日・第221回国会 参議院 法務委員会 第20号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 326 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 375 発言)

参政党の安達悠司です。

まず初めに、お手元の配付資料を御覧ください。

これは、法務省が出している令和七年版犯罪白書の二十七ページから三十ページまでの資料でありまして、第三章、諸外国における犯罪動向、その中でも、諸外国との、我が国との犯罪発生件数や発生率の比較であります。

それを見ると、我が国は概して治安がいいというのは外国と行ったり来たりしても肌感覚で分かるんですけど、統計上も例えば殺人の発生率でいいますと、これは人口十万人当たりの発生件数をいいますが、例えば二〇二二年、令和四年は〇・二と日本でされているのが、韓国だと〇・五、フランスだと一・二、ドイツ〇・八、イギリスは数字ないですけど、その前年は一・一、アメリカ六・五ということで、我が国はほかの国と比較しても発生率が低いということになります。

またその次のページ、窃盗の発生件数や発生率見ると、二〇二二年、侵入盗で、我が国日本二九・三、韓国三七・八、フランス四四六・九、ドイツ三〇九・九、イギリスが数字がなくて、その前年が四一一・六、アメリカで二六八・五と。

さらに、その次のページ、性暴力を見ると、日本、これ性暴力の定義はちょっと国によって異なるようですけど、日本は令和四年が五・一、韓国四三・五、フランス一二六・一、ドイツ五九・一、イギリスが三一〇・一、アメリカ四一・四と。ただ、アメリカはセクシュアルバイオレンスのみのデータということはあります。

これの単純な国際比較ができないにしても、我が国というのはやはり非常に治安がいいというふうに言えるのではないかと思います。

これはなぜかといいますと、やはり国民性や文化の、文化慣習、道徳や経済など様々な要因ありますが、やはり一たび犯罪が発生したら、それを迅速に捜査して起訴し、確実な有罪判決を得て処罰する仕組みというのが整っているということは大きな原因ではないかと私は思います。つまり、国家の刑罰権、これは警察や検察、それから裁判所、弁護士と、こういった仕組み、司法の一連の仕組みによって得られる我が国の相当な成果ではないかと私は思っている面もあります。

他方で、この国家の司法制度、刑事的な司法制度、特に刑罰権というのは、今このグローバル化の流れの中で大きな変化にさらされようとしています。このグローバリズムというのは、国家以外の組織、例えば多国籍企業であったり国際機関という力が強まる一方で、相対的に国家の力を弱めようと、例えば国家の刑罰権もそうですね。外国の企業が日本にやってきたときに、どんどん処罰されてしまったら困ります。だから、処罰する力を弱めよう、処罰されないようにしよう、あるいは国際機関が犯罪の捜査とかやりますけど、外国、その国家主権に基づく捜査を権限を弱めようと、こういった動きがあるようにも考えられます。

なので、我が国の刑罰権も、外国、国際機関から様々な要求が来て、それによって刑罰の仕方も変えられようとしています。再審なんかももしかしたらその一つかもしれませんが、余り過剰に外国や国際機関の要求によって我が国の捜査の在り方や刑事制度の在り方を変えてしまうと、結果的に我が国の捜査能力や犯罪の取締り、起訴、処罰、その確定判決の効力、そういったものが変わってきて、結果的に我が国の治安の良さが守れないと、こういった可能性もなくはありません。

ですから、私は、弁護士でありますが、やはり検察、警察にはこの治安の良さを引き続き守り続けていただきたいですし、そのために、不祥事の報道や実例もありますが、そうしたときにもきちんと自己変革ができて、再び捜査あるいは処罰、起訴などの公正が担保できるようなチェックを国会、またこれは国民がしっかりやっていかなければならないと思っております。

中には被害者の立場や遺族の立場というのもありますし、また再審に関して言えば、これはもちろん冤罪だった場合は救済しなければなりませんから、これは、真犯人の発見ということはこれは誰の目から見ても正義でありますので、そういうことは必要なんですが、ただ、それを不用意に変えることで再審制度が濫用されたり悪用されたり、処罰されるべき者が処罰されなくなったりと、こういった抜け穴をつくらないように注意しなければならないのではないかと私は思っております。

そこで、いろいろ質問をしているんですけれども、まず今回、ちょっとあえて厳しい質問から、四番の、令和八年七月十日付け、名古屋高等検察庁のいわゆる福井女子中学生殺人事件の調査結果報告書についてお尋ねしたいと思います。

この福井女子中学生殺人事件というのは、今朝、午前中にその被害者のお姉さんが来ておられましたが、昭和、もうあれですね、六十一年三月十九日に発生したものでありまして、一九八六年ですね、今から四十年前の事件となります。しかし、なぜこれが話題になるかというと、昨年の七月に再審無罪が確定したからでありまして、その再審無罪に確定した、まあ様々なことが言われますが、大きな要因の一つとして、「夜のヒットスタジオ」の捜査報告書ということで、結局、目撃証人の、目撃証人といいますか、被告人の服に血が付いていたというのを見たと証言しているその目撃証人の一人が、供述の一連の流れの中で、「夜のヒットスタジオ」のテレビを家で見た上で、そこで嫌らしい踊りというのがある日、その日の上で、もう一人の目撃者から呼ばれ、行動を共にした上で、血を見て検問に至ったと。自動車の検問を受けたのは間違いないわけですけど、に至ったという流れを述べたわけですね。

しかし、実際にはその日にはその放送がされていなかったということなので、また、その人はもう一個別の供述もしていて、いや実は、その日はうどん屋に行ってけんかを見て、そして覚醒剤取引をして検問に遭ったと、こっちの方がどうも自分の記憶と合っているというようなこともずっと言っていたわけですよね。だから、要はその日が、「夜のヒットスタジオ」を家で見た日だったのか、それともうどん屋のけんかを見た日だったのか、これがどっちなのかということが問題になったわけですね。

検察官も、その辺は当時からすごく気にしていて、ただ、これが、じゃ、確定的にヒットスタジオの嫌らしい踊りはなかったということはいつ分かったのかということなんですが、いつだと思いますか。これが平成元年の二月六日です。非常に前ですよね。昭和六十二年に起訴して、そして平成元年にはもう分かって、その上で検察官は、平成二年の四月十七日に論告を行っているんですね。その論告行ったときに、いや、ヒットスタジオの供述の方が正しいんですよということを言っちゃったわけです。このとき分かっているわけですね、捜査報告書あるわけだから。その日に放送がないのを分かっているのに、平成元年二月に分かっていたのに、平成二年四月にそういう論告しちゃった。これ、大問題ですよね。このことをずっと維持したまま来ているわけです。

そうすると、これはどうすべきだったとかいうと、それはもちろんその真実でない供述、目撃者の供述を維持することはあり得ず、うどん屋だと。じゃ、うどん屋の流れで本当に血を見たのかというふうな補充捜査をやるべきだったわけですけど、なぜうどん屋の流れで被告人の体に血を付いているというこの流れがあり得るのかどうかという補充捜査しなかったのか。

その点、報告書を見てもいまいち分かりませんので、それの説明をお願いいたします。

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