ありがとうございます。これまでの答弁よりも深みが出ていて、とても私としてもうれしかったなというふうに思っております。本当、戦後八十年でございますから、是非、大臣のリーダーシップでここはもう是非お願いしたいというふうに思っております。よろしくお願いいたします。
それでは、少しちょっと質問を前後させていただきまして、慰霊碑の質問に入りたいというふうに思っております。
資料四を御覧ください。
これ何度ももう皆さん見ているので、もうここの委員の方はまたかと思うかもしれませんが、ありがとうございました、皆様のおかげで解決いたしました。ここに彫られているというか、貼られているステッカーといいますか、旭日旗というものですね、設営隊の慰霊碑に貼られていたというものは撤去されました。
私、遺族の一人として、誰も知らない間に旭日旗が、設営隊ですよ、海軍とはいえ設営隊です、非戦闘部隊です、狭い意味でいくと船乗りではありませんよね。そこに軍艦旗が突然、誰も知らない間に、強力なステッカーだったんですね、現地で見てきて、私たちは彫ってあるんだと思ったんですが、とても強力なステッカーが付いていたんですが、今回ようやく撤去されるということになりました。しかし、これはとても時間が掛かってしまいまして、責任の所在も分からなかったですし、誰がどうするんだということで、すったもんだしていたという経緯があるわけなんですね。
三月二十四日の委員会の質疑において、その慰霊碑の保存の在り方、その原則についてお伺いさせていただきました。これに対しての厚労省の答弁というのは、戦後八十年、民間にある慰霊碑は公有地に移すことで適正管理をしていくということだったんですね。
この設営隊の慰霊碑があるところは旧海軍墓地になりますから、そもそも公有地なんです。これが今、呉市に移管されているわけなんですが、この問題で明らかになったように、公有地ですら適正管理がやっぱりもう難しくなってきてしまっているわけなんですね。国の慰霊碑の在り方に対する方針というものがないということが今回の一連のごたごたで判明したんです。
戦後八十年、やっぱり守るべきものはしっかり守っていかなきゃいけないというふうに思いますし、今回は旭日旗だったわけですが、例えば私が落書きをしても何もできないというような事態に陥ってしまう、そういうような対応だったわけです。
戦後、慰霊碑の在り方も変わってくる可能性がありますし、例えばなんですが、私がその呉に皆さんと一緒に視察に行ったときに、これもう解決しているんで非難する気はないんですが、事実だけお伝えさせていただきますと、設営隊の説明を海兵隊と同じというふうに説明されたんですね。
設営隊が海兵隊と同じわけないじゃないですか。職人の部隊で、うちの大伯父も旋盤工ですから、そして、つるはしとか、いろんなものを持って現地で空港の設営をしたりというところがなぜ海兵隊になるのかというような形で、それは、ある種混同したのも分かるんですよ、あの激しい戦争の中で最前線に置き去りにされて、そのまま何もないままに戦わなきゃいけなくて、最前線にいたからそういうふうにすり替わってしまうということも分からなくはないんですが、ある種歴史が変わってしまう瞬間といいますか、ねじれを私は目にしたわけで、そして、設営隊の慰霊碑に旭日旗が貼られると。同じ墓地の中には戦艦大和の慰霊碑もあるんですが、そこには貼られていないわけですよね。
そうなってくると、設営隊というものが、ぬるぬると、ぬるっと存在が変わってしまって、戦後百年たったときに、その慰霊碑を見る、そして説明を聞くと、設営隊が海兵隊と同じような戦いをして、そして軍人だったみたいなことになってしまうという、歴史が変わってしまうということになってしまうんですね。
こうした変わっていく姿というのは私はあってはいけないというふうに思っておりまして、正しい歴史、まあ事実ですよね、そこは変わることがないように、やっぱり慰霊碑を見ても、管理の在り方の方向性ぐらいは示すべきではないかなというふうに私は感じたところです。
是非、今回、呉市側が動けなかった事情というのは、方針も何もなかったということ、そして、慰霊碑自体は公有地にありますが、遺族たちが建てたものというところのねじれもあって、みんな動けなくなっていたと。そして、遺族たちはもう亡くなっていて、それはもうないんですよ、その建てたという側の方の人たちは。もう確認ができないと。
その中で、どんな手が加わったとしても何もできないのであればやりたい放題になってしまうから、慰霊碑というものに対して、管理の在り方などそろそろルールとか方針を、ガイドラインを作るなり、それが難しいのであればしっかり国会答弁に残して、何かあったときに解決ができるような方策を取っていかないと、慰霊碑が変な形に歴史修正されてしまうんじゃないかというのを、私、遺族の一人として経験した者として感じております。
この件について御答弁をいただけたらと思います。
41
岩屋毅(自民)外務大臣
私もこの番組は拝見をいたしました。日本の親族がフィリピンを訪ねて残留の日系人の方と対面する様子には私も胸を打たれました。
先刻申し上げたように、一日も早い国籍の取得や一時帰国に向けた支援を進めるべく検討を進めてまいりたいと思います。
この発言のページ
42
塩村あやか(立憲)
ありがとうございます。
本当、八十年たったんですが、まだ遅くないということを証明した、そういう報道番組だったというふうに思います。で、昨日、おとといか、その放送をされて、テレビカメラがしっかりとフィリピンに入ってその記録を撮っているんですね。つまり、この問題はとても重要だというふうに認識をしているメディアも多数あって、恐らく今後この先も追っていかれるのではないかなと思います。何も聞いていないので分からないんですが、そうではないかというふうに私は感じているところなんですね。
そこで、この問題については最後の質問にはなるんですが、大臣に是非とも力強い答弁…
この発言のページ
43
岩屋毅(自民)外務大臣
先般、石破総理が四月二十九日にマニラにおいてフィリピン残留日系人三名の方と懇談された際にも、総理から、残留日系人の方々の一日も早い国籍取得や一時帰国が実現するよう政府として取り組んでいきたいという旨の御発言があったと承知をしております。
一時帰国は、親族捜し等を通じて国籍取得に必要な情報を得るためにも重要な機会だと考えております。ただ、この段階でいつまでに必ず実施するといった具体的な時期は申し上げられませんが、関係者の方々の切なる声を踏まえまして、一日も早く一時帰国が実現するよう政府として引き続き真剣に検討を進めてまいります。
この発言のページ
- (上の発言)
44
塩村あやか(立憲)
ありがとうございます。これまでの答弁よりも深みが出ていて、とても私としてもうれしかったなというふうに思っております。本当、戦後八十年でございますから、是非、大臣のリーダーシップでここはもう是非お願いしたいというふうに思っております。よろしくお願いいたします。
それでは、少しちょっと質問を前後させていただきまして、慰霊碑の質問に入りたいというふうに思っております。
資料四を御覧ください。
これ何度ももう皆さん見ているので、もうここの委員の方はまたかと思うかもしれませんが、ありがとうございました、皆様のおかげで解決いたしました。ここに彫られているというか、貼られているステッカーといいますか、旭日旗というものですね、設営隊の慰霊碑に貼られていたというものは撤去されました。
私、遺族の一人として、誰も知らない間に旭日旗が、設営隊ですよ、海軍とはいえ設営隊です、非戦闘部隊です、狭い意味でいくと船乗りではありませんよね。そこに軍艦旗が突然、誰も知らない間に、強力なステッカーだったんですね、現地で見てきて、私たちは彫ってあるんだと思ったんですが、とても強力なステッカーが付いていたんですが、今回ようやく撤去されるということになりました。しかし、これはとても時間が掛かってしまいまして、責任の所在も分からなかったですし、誰がどうするんだということで、すったもんだしていたという経緯があるわけなんですね。
三月二十四日の委員会の質疑において、その慰霊碑の保存の在り方、その原則についてお伺いさせていただきました。これに対しての厚労省の答弁というのは、戦後八十年、民間にある慰霊碑は公有地に移すことで適正管理をしていくということだったんですね。
この設営隊の慰霊碑があるところは旧海軍墓地になりますから、そもそも公有地なんです。これが今、呉市に移管されているわけなんですが、この問題で明らかになったように、公有地ですら適正管理がやっぱりもう難しくなってきてしまっているわけなんですね。国の慰霊碑の在り方に対する方針というものがないということが今回の一連のごたごたで判明したんです。
戦後八十年、やっぱり守るべきものはしっかり守っていかなきゃいけないというふうに思いますし、今回は旭日旗だったわけですが、例えば私が落書きをしても何もできないというような事態に陥ってしまう、そういうような対応だったわけです。
戦後、慰霊碑の在り方も変わってくる可能性がありますし、例えばなんですが、私がその呉に皆さんと一緒に視察に行ったときに、これもう解決しているんで非難する気はないんですが、事実だけお伝えさせていただきますと、設営隊の説明を海兵隊と同じというふうに説明されたんですね。
設営隊が海兵隊と同じわけないじゃないですか。職人の部隊で、うちの大伯父も旋盤工ですから、そして、つるはしとか、いろんなものを持って現地で空港の設営をしたりというところがなぜ海兵隊になるのかというような形で、それは、ある種混同したのも分かるんですよ、あの激しい戦争の中で最前線に置き去りにされて、そのまま何もないままに戦わなきゃいけなくて、最前線にいたからそういうふうにすり替わってしまうということも分からなくはないんですが、ある種歴史が変わってしまう瞬間といいますか、ねじれを私は目にしたわけで、そして、設営隊の慰霊碑に旭日旗が貼られると。同じ墓地の中には戦艦大和の慰霊碑もあるんですが、そこには貼られていないわけですよね。
そうなってくると、設営隊というものが、ぬるぬると、ぬるっと存在が変わってしまって、戦後百年たったときに、その慰霊碑を見る、そして説明を聞くと、設営隊が海兵隊と同じような戦いをして、そして軍人だったみたいなことになってしまうという、歴史が変わってしまうということになってしまうんですね。
こうした変わっていく姿というのは私はあってはいけないというふうに思っておりまして、正しい歴史、まあ事実ですよね、そこは変わることがないように、やっぱり慰霊碑を見ても、管理の在り方の方向性ぐらいは示すべきではないかなというふうに私は感じたところです。
是非、今回、呉市側が動けなかった事情というのは、方針も何もなかったということ、そして、慰霊碑自体は公有地にありますが、遺族たちが建てたものというところのねじれもあって、みんな動けなくなっていたと。そして、遺族たちはもう亡くなっていて、それはもうないんですよ、その建てたという側の方の人たちは。もう確認ができないと。
その中で、どんな手が加わったとしても何もできないのであればやりたい放題になってしまうから、慰霊碑というものに対して、管理の在り方などそろそろルールとか方針を、ガイドラインを作るなり、それが難しいのであればしっかり国会答弁に残して、何かあったときに解決ができるような方策を取っていかないと、慰霊碑が変な形に歴史修正されてしまうんじゃないかというのを、私、遺族の一人として経験した者として感じております。
この件について御答弁をいただけたらと思います。
45
吉田真次(自民)厚生労働大臣政務官
お答えを申し上げます。
民間建立慰霊碑につきましては、それぞれの慰霊碑に建立をした方々の思いがあるというものを認識をしているところであります。
このため、国が一律の方向性を示すという形ではなくて、一義的には、建立者あるいは管理者において管理方法を含めて検討いただいて、適切に管理を行っていただくことが望ましいというふうに考えております。
他方、民間建立慰霊碑は、建立者等の不明などによって適正な維持管理が行われていないといった課題があるということは認識をいたしております。
このため、建立者等が不在あるいは高齢等のために自ら維持管理ができなくなった、そ…
この発言のページ
46
塩村あやか(立憲)
ちょっと教えていただきたいんですが、その民間の慰霊碑というのは、今回私が、資料にある、これは民間の慰霊碑になるんですか。公有地に最初から建っています。
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吉田真次(自民)厚生労働大臣政務官
公有地に建ってはいるんですけれども、慰霊碑自体は民間のものということでございます。
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