参政党の梅村みずほと申します。よろしくお願いいたします。
三名の参考人の皆様、本日は本当にありがとうございます。
佐喜眞市長からは、市長でありつつ、自分にできることが、やはり国と国の約束事に基づくものでしたら、限られているところへのジレンマ、あるいは歯がゆさというものをにじませながら実情を教えていただき、ありがとうございました。
先月、私も嘉数の高台から普天間を見下ろしてまいりました。もう想像の何倍も広大で、そして密接したところに住宅、そして学校、病院、様々な施設があると。ここで轟音とともに日々を暮らしていらっしゃる皆様の御苦労、そして御不安を思うと、やはり生で見てくるインパクトというのは大きくて、一日も早く全面的な返還がなされることを私としても願っております。
前泊参考人のお言葉で非常に刺さったのが、敗戦国日本にできるのはこれぐらいだという先ほどのお言葉ですね。戦後八十年を経てなお、私たちは完全なる主権を手にはしていないんだと残念ながら思う瞬間は、やはり政治家としてございます。そういった意味で、日米同盟を大切にしながらも、日米地位協定というものがどうあらねばならないのか、この日米地位協定は見直さねばならないだろうということは、私ども参政党、党としても訴えているところでもございます。
ただ、非常に難しい、言うはやすく難しいものでございまして、例えば、おっしゃるとおり、出ていってもらうには、その全面的な返還を速やかにやっていただくにはどうすればいいのか、それはアメリカ側のシンクタンクに考えてもらうというのはなかなか独創的でうなるアイデアだなと思っていたんですけれども、そうすると、貿易や対米投資、あるいは県外も含めて日本にいる米軍基地の負担ってどういった要求が来るんだろうと思うと、それもまた背筋が凍るようなところでもございます。
そして、川名参考人におかれましては、非常に衝撃的な、この普天間の基地が有する性格、国連軍基地としての性格があるということで、これは辺野古に移設をしたとしても、このSACO合意の条件を満たすものではないだろうというところでしょうかね。その滑走路であるとか様々なアメリカ側が期待している条件を必ずしも満たせないというところは非常に衝撃であり、辺野古の工事が完成すれば返還が見えてくるという、この三十年の幻想とおっしゃったかと思いますけれども、という言葉に非常にショックも受けた次第でございます。
では、最初の質問でございますけれども、川名参考人が途中で、時間の関係上、この那覇空港を国連軍のために使うとするとということでお話が途切れたんですけれども、私の持ち時間十五分で、全てを差し上げるわけにはなかなかいかないところではあるんですけれども、あと二、三分ですね、お聞かせいただけるのであれば、これは国会議員の皆に知ってほしいというようなところ、あるいは那覇空港を使っていくという点でお言葉をいただければと思いますが、いかがでしょうか。
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青島健太(維新)
ありがとうございます。
名護市の渡具知市長も、当然、沖縄防衛局に抗議をされて、そして、あのヘリコプター不時着の話ですが、ルートをしっかりと事前に教えてほしい、ないしは学校の上を飛ばないようにというオーダーは当然出しているんでしょうが、依然としてそれは改善されていないという現状があるようでございますが。
佐喜眞市長にお伺いをいたします。
宜野湾市の二五%が普天間基地、キャンプ瑞慶覧も入れると二九・四%が基地で占有されているという、非常にまた難しいというか、大変な市政をおあずかりでいらっしゃるかと思います。
名護でもこういった不時着がある、事故には至…
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52佐佐喜眞淳宜野湾市長
ありがとうございます。
資料として私どもが提供したこういう冊子があると思います。そのページをお開きになっていただきたいのが、四ページ、これが宜野湾市の全体像でございまして、まさに町のど真ん中に普天間飛行場があり続けていると。
そのうち、次のページなり、その周辺には、国際大学あるいは普天間第二小学校を含め、宜野湾市には九つの小学校と四つの中学校、これは公立ですから、私立も含めるとそれ以上になりますが、中でも、八ページ、私どもの人口密度は五千六十三名・キロ平方メートルですけれども、これは当然基地を入れての人口密度ですから、基地には宜野湾市民住むことできま…
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53
青島健太(維新)
時間が来ました。終わります。ありがとうございました。
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- (上の発言)
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梅村みずほ(参政)
参政党の梅村みずほと申します。よろしくお願いいたします。
三名の参考人の皆様、本日は本当にありがとうございます。
佐喜眞市長からは、市長でありつつ、自分にできることが、やはり国と国の約束事に基づくものでしたら、限られているところへのジレンマ、あるいは歯がゆさというものをにじませながら実情を教えていただき、ありがとうございました。
先月、私も嘉数の高台から普天間を見下ろしてまいりました。もう想像の何倍も広大で、そして密接したところに住宅、そして学校、病院、様々な施設があると。ここで轟音とともに日々を暮らしていらっしゃる皆様の御苦労、そして御不安を思うと、やはり生で見てくるインパクトというのは大きくて、一日も早く全面的な返還がなされることを私としても願っております。
前泊参考人のお言葉で非常に刺さったのが、敗戦国日本にできるのはこれぐらいだという先ほどのお言葉ですね。戦後八十年を経てなお、私たちは完全なる主権を手にはしていないんだと残念ながら思う瞬間は、やはり政治家としてございます。そういった意味で、日米同盟を大切にしながらも、日米地位協定というものがどうあらねばならないのか、この日米地位協定は見直さねばならないだろうということは、私ども参政党、党としても訴えているところでもございます。
ただ、非常に難しい、言うはやすく難しいものでございまして、例えば、おっしゃるとおり、出ていってもらうには、その全面的な返還を速やかにやっていただくにはどうすればいいのか、それはアメリカ側のシンクタンクに考えてもらうというのはなかなか独創的でうなるアイデアだなと思っていたんですけれども、そうすると、貿易や対米投資、あるいは県外も含めて日本にいる米軍基地の負担ってどういった要求が来るんだろうと思うと、それもまた背筋が凍るようなところでもございます。
そして、川名参考人におかれましては、非常に衝撃的な、この普天間の基地が有する性格、国連軍基地としての性格があるということで、これは辺野古に移設をしたとしても、このSACO合意の条件を満たすものではないだろうというところでしょうかね。その滑走路であるとか様々なアメリカ側が期待している条件を必ずしも満たせないというところは非常に衝撃であり、辺野古の工事が完成すれば返還が見えてくるという、この三十年の幻想とおっしゃったかと思いますけれども、という言葉に非常にショックも受けた次第でございます。
では、最初の質問でございますけれども、川名参考人が途中で、時間の関係上、この那覇空港を国連軍のために使うとするとということでお話が途切れたんですけれども、私の持ち時間十五分で、全てを差し上げるわけにはなかなかいかないところではあるんですけれども、あと二、三分ですね、お聞かせいただけるのであれば、これは国会議員の皆に知ってほしいというようなところ、あるいは那覇空港を使っていくという点でお言葉をいただければと思いますが、いかがでしょうか。
55川川名晋史大東文化大学法学部政治学科教授
梅村議員、ありがとうございます。貴重な時間を頂戴します。
端的に申し上げます。私が時間不足で申し上げられなかった重要な点は、アメリカはこの那覇空港を、辺野古の滑走路は短いので、その分を那覇空港で穴埋めするということを恐らく考えているんだろうと思います。このことは、資料が少しずつ出てきておりますけれども、一九九〇年代から、つまりSACO合意の辺りから、当初から那覇空港というものが想定されていたんだろうというふうに私は考えております。
じゃ、仮にこの那覇空港を辺野古の滑走路の短い分の穴埋めとして使いますと、かつ、ここを米軍だけではなくて国連軍も使いますと…
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梅村みずほ(参政)
非常に難しい問題ではありますけれども、今それこそ川名参考人がおっしゃった、幻想を抱いている国民は非常に多いんだろうと。この工事が完成して、さあできました、移設してくださいと思った移設が行われて、幾ばくかその沖縄県民のこの不安も苦労も報われるといいますか、そう思っている国民もいるだろう中、そうではないという現実を突き付けていただいたのが今日の機会だったのではないかなと思っております。ありがとうございます。
続きまして、前泊参考人と佐喜眞参考人にお伺いしたいんですけれども、これ、たらればの話で大変申し訳ないんですけれども、お二方それぞれのお立場で様々なこの…
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57佐佐喜眞淳宜野湾市長
非常に難しい、想像力豊かに持っていないと難しいテーマでございます。
私自身は市長という立場でございますから、国政あるいは外交、あるいはまた総理大臣になってトランプさんと渡るということ自体が想像できないんですけれども、ただ、市民を代表して申し上げるというか、市長として、十万人余の市民の生命、財産を預かる市長として言えるのであれば、もう先ほど来申し上げてはおりますけれども、三十年前と今の普天間飛行場の返還条件というのは変わっていないんです。言い換えれば、普天間飛行場が、返還はしますけれども、それに代わる代替施設というものが運用可能になった時点での返還である…
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