江藤隆之桃山学院大学副学長・法学部教授

2026年6月25日・第221回国会 衆議院 内閣委員会 第23号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 49 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 88 発言)

御質問ありがとうございます。

おっしゃるとおり、先ほどの野村参考人もおっしゃるとおり、誰が見ても悪質であると言えるものだけに適用されるということが担保されるのであれば、ある程度のクリアはできると思うんですが、先ほどの質疑でも申しましたけれども、誰が見ても駄目なんだということについてのコンセンサスがないということなんですね。そうであるから、誰が見ても駄目なものにしか適用しませんと、国会や骨子や警察が幾ら基準を作って説明したとしても、一般国民としては、これは誰かが見たら不快と言われるかもしれないとか、そういうところで萎縮が起きてしまう。

本来でしたら、法律の中に、いわゆる誰が見ても不快なというのを具体的に定義して盛り込めば、問題が完全にないかどうかは別にして問題は減ると思うんですが、現段階において、これは誰が見ても不快である、不快でないという判断の、社会通念が存在しないといいますか、社会通念が存在しない状況であると、どのような基準を設けたとしても、それは、うまく機能しない、一般国民に対しては萎縮効果をもたらすものになり得ると思います。

例えば、先ほどちょっとワールドカップの話がありましたけれども、ワールドカップで応援のために日の丸を使っていて、試合に例えば負けてしまったときに悔しいという気持ちでその場で損壊したところが映った、ひどい損壊の状況がテレビに映って流れたというようなときに適用されるのかされないかについてはまだ不透明というか不明であるように思われますし、まとめてお答えしますと、基準化できるのが最もよいのですが、基準化は私は現時点では不可能であると考えています。

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