防空体制だけかと思っておりましたが、物資配給についても二重行政を廃止するということでありました。戦時下という命を守る有事において、二重行政をなくす、つまり、同一地域に二つの広域自治体が存在する不合理を排した歴史を確認できたと思います。
続いて、区長公選制の変遷についてお伺いしたいと思います。
戦時下の都制移行後、区長公選制が一旦なされたものの、戦後すぐの昭和二十七年に廃止され、また再び昭和四十九年に区長公選制になったとのことです。様々な紆余曲折があったようでありますが、その経緯についてお伺いしたいと思います。
特に、昭和三十七年や昭和四十七年の地方制度調査会答申において、当時の区長公選制廃止後の都の広域行政と基礎自治業務両方の抱え込みによる一括管理体制について詳細な評価があったと思いますが、これらも踏まえて、なぜ公選制が必要とされたのか、説明いただきたいと思います。
51長長谷川孝総務省自治行政局選挙部長
御答弁申し上げます。
滞在地での不在者投票についてのお尋ねでございますが、滞在地の選挙管理委員会から名簿登録地の選挙管理委員会に郵便等で送付することになることから、遠隔地で投票日の前日に不在者投票を行ったような場合につきましては、投票所閉鎖時刻までに不在者投票が届かない場合も生じているところでございます。
お尋ねの滞在地での不在者投票につきまして、投票所閉鎖時刻後に不在者投票が送致された件数でございますが、令和六年の衆議院議員総選挙におきましては千四百十七件でございます。
また、御指摘の選挙人などへの周知につきましては、総務省といたしましては、ホー…
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52ううるま譲司(維新)
御答弁のとおり、令和六年の総選挙では日本全国で千四百十七件ということで、意外と少なく感じましたが、実際、千四百十七件あることは事実であり、また、本人は無効票になったことは多分分からないと思いますので、これはできるだけゼロに近づくように努めていただくようお願い申し上げます。
続きまして、東京都構想についてお伺いしたいと思います。
副首都にふさわしい地方行政体制であったり大都市制度を考える上で、改めて、首都である東京都が現在の東京都制に至る変遷、いわゆる東京都構想について確認したいと思います。
江戸幕府が崩壊後、明治時代に東京府と東京市が誕生し、昭和十…
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53小小川康則総務省自治行政局長
お答えいたします。
御質問いただきました過去の経過をひもといてまいりました。そうしましたところ、東京では、二十世紀前後から都市部が急速に拡大したため、昭和七年に、東京市域を周辺郡部まで大きく拡張するなど、東京市の拡大によってこれに対処しようといたしました。ただ、その結果、規模能力において巨大化した東京市と東京府との間の事務の重複、あるいは調整の困難さなどを指摘する意見も見られるようになった、このように経過があったと承知をしてございます。
委員から御指摘、御紹介いただきましたとおり、昭和十八年になりますと、東京府と東京市は廃止をされまして、東京都制とい…
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- (上の発言)
54ううるま譲司(維新)
防空体制だけかと思っておりましたが、物資配給についても二重行政を廃止するということでありました。戦時下という命を守る有事において、二重行政をなくす、つまり、同一地域に二つの広域自治体が存在する不合理を排した歴史を確認できたと思います。
続いて、区長公選制の変遷についてお伺いしたいと思います。
戦時下の都制移行後、区長公選制が一旦なされたものの、戦後すぐの昭和二十七年に廃止され、また再び昭和四十九年に区長公選制になったとのことです。様々な紆余曲折があったようでありますが、その経緯についてお伺いしたいと思います。
特に、昭和三十七年や昭和四十七年の地方制度調査会答申において、当時の区長公選制廃止後の都の広域行政と基礎自治業務両方の抱え込みによる一括管理体制について詳細な評価があったと思いますが、これらも踏まえて、なぜ公選制が必要とされたのか、説明いただきたいと思います。
55小小川康則総務省自治行政局長
お答えをいたします。
御質問の順序とは逆になりますが、まず、都と特別区の事務分担につきまして御説明を差し上げます。
事務分担に関しましては、都区制度発足以降、都は、特別区の存する区域においては、原則として、市の事務、従来であれば市が行っていた事務も都が併せ行うもの、このようなことで設計されてきたところでございます。
その後、先ほど御紹介いただきました昭和三十七年、第八次の地方制度調査会答申におきまして、「都行政は、質量ともに複雑ぼう大となり、一つの経営体としての円滑かつ能率的な運営が期せられなくなっている」として、昭和十八年に都ができたとき、このと…
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56ううるま譲司(維新)
地方制度調査会の答申でありますが、これは資料としても配付させていただいており、重要な点が幾つもございます。
当時の東京は、人口が戦後の七百万人から一千百万人、GDPは三兆円から二十七兆円へと爆増し、さらには、教育、医療、福祉業務の拡大に伴い、行政需要が質、量共に膨張していたことが考えられます。
にもかかわらず、都が広域と基礎を一括管理したことで、巨大過ぎる組織は住民から遠くなり、きめ細やかな対応ができないばかりか、昭和三十七年の答申の、住民の批判と監視という文言からも明らかなように、住民の監視すら機能しなくなり、組織のブラックボックス化を招き、官僚機…
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57小小川康則総務省自治行政局長
お答えをいたします。
ただいま御紹介いただきましたとおり、御党において、グレーター東京構想として、一都三県にまたがる通勤通学圏を一体運営する組織体を形成する、こうしたことを提唱されているということを承知しておるところでございます。
こうした都道府県域を超えて一体性を有する圏域において行政施策を効率的、効果的に遂行するための体制あるいは仕組みの在り方につきましては、これまでも多くの提言がなされてきたところでございます。
近年の地方制度調査会の答申を見ましても、例えば三十二次、三十三次の答申におきまして、人口規模が大きい東京圏において圏域全体の視点に立…
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