西岡秀子 (国民民主党)

2026年7月15日・第221回国会 衆議院 厚生労働委員会 第19号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 72 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 156 発言)

大臣、ありがとうございます。

今大臣からも御説明をいただきましたけれども、令和六年、当時の岸田総理が初めて被爆体験者と面会をしていただきまして、合理的な解決をするということを被爆体験者の皆様とお約束をされました。その中で、先ほど大臣がおっしゃっていただきました被爆者と同等の医療費助成が創設をされ、病気を抱えた、そして高齢の中で、被爆体験者の皆様にとっても大変ありがたい助成制度だというふうに思いますけれども、被爆体験者の皆様の思いは一つでございます、被爆者と認めてほしいということです。今、係争中というお話もございましたけれども、二〇〇七年から裁判をずっと続け、大変高齢化をし、残された時間がないという状況の中でございます。

ただ、最高裁の判決のことですとかによって、なかなか長崎の被爆体験者は被爆者と認められないという御答弁が、私も質問をするたびにその御答弁に終始するわけでございますけれども、後ほど私の方から質問いたしますけれども、広島の黒い雨訴訟の判決内容が出まして、これを国が、当時の菅総理が上告断念をされた、その中で大きな政治決断もあったというふうに思っておりますので、私としては大きく局面が変わったというふうに認識をいたしております。

続きまして、関連して、被爆地域の認定についてお尋ねをさせていただきます。

長崎市においては、昭和三十二年、被爆地域の認定が、当時の行政区域、旧長崎市を基につくられたために、被爆者と認められるのは、爆心地から遠点南北十二キロ、東西に近点八キロで線が引かれました。これは、今日お配りをいたしております、ピンクの原爆被爆地域がこの地域に当たるわけでございますけれども。

ただ、長崎の場合は、大変地形が細長い地形でございまして、南北に細長くいびつな形となっており、その是正のために、昭和四十九年と昭和五十一年、二度にわたり、第一種健康診断特例区域の指定及び拡大が行われました。しかし、南北は北方に十二キロまで拡大されることとなりましたけれども、東西については十二キロ圏内にあっても認められない地域が残されています。これが被爆体験者の問題です。

そもそも、最初の指定は旧行政区域に基づくものであり、科学的な知見や証拠に基づいて決められたものではありません。以前私が質問した中で、科学的な知見を用いるようになったのは、昭和五十五年に原爆被爆基本問題懇談会の提言で、被爆地域の指定は科学的、合理的な根拠のある場合に限定して行うべきとされたことから、それに基づいた調査により現在の形となったという御答弁がございました。

被爆体験者が住んでおられた地域にのみ科学的な裏づけを求めることの整合性について、大変私は疑問を持ちます。このことに対する御見解を厚生労働省大坪局長にお伺いいたします。

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