柳沢剛 (立憲民主党)

2025年4月9日・第217回国会 衆議院 東日本大震災復興・防災・災害対策に関する特別委員会 第4号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 220 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 316 発言)

小さな町で、そして細かい指示をいただけていない、そんな話も聞いておりますので、是非、今後はより丁寧な説明を町の方にしていただき、そこの住民の理解を得ていただきたい、そのようにお願い申し上げます。しっかりとした対応をお願いいたします。

では、次の質問に移らせていただきます。

東日本大震災を経験した被災者の一人として、インフラが普通に使えるありがたさを痛切に感じた一人として、質問いたします。

私は、仙台市の南隣になります名取市に住んでおります。高台のため津波の直接的な被害は受けませんでしたが、住宅は半壊、電気、ガス、水道は全て使えなくなりました。電気、水道は早めに復旧したんですが、ガスはしばらくかかりました。

そして、私は、地元の少年野球チームの監督を務めて間もなく二十五年になるんですが、震災後、半月ほどたった頃、息抜きや気分転換をさせてほしいという要請を受け、子供たちの安否確認も兼ねて、選手に集合をかけました。子供たちは全員無事だったんですが、沿岸部のおじいちゃん、おばあちゃん、そして親戚が亡くなったという報告もそのとき受けました。せっかく集まったんだからキャッチボールをやりたいという子供たちがたくさんいたんですが、残念ながら、汗をかいてもお風呂には入れないし、温かいシャワーを浴びることもできない状態だったので、迷いました。

そのとき、一台の大型バスがグラウンドの前に止まり、降りてきた人からグラウンドのトイレを貸してほしいと言われました。その人のジャンパーの胸には大阪ガスと書いてありました。どうぞと言うと、大型バスから続々とたくさんの方が降りてきました。聞けば、団地全体のガスをその日のうちに一台の大型バスの全員で復旧するということでした。それを聞いて、選手も、指導者も、親の会のお父さん、お母さんも大喜びしました。子供たちははしゃぎ回りました。監督、キャッチボールしてもいいよねと、にこにこ笑顔で迫ってきました。私は、もちろんと。

そのとき、キャプテンが集合をかけ、ガス会社の皆さんの前に一列に整列し、よろしくお願いしますと言いました。お父さん、お母さんは、そのとき、うるうる泣いておりました。ガス会社の皆さんも、もらい泣きしていました。みんなで握手をして、そして、トイレだけではなく、何でも言ってください、何でも準備しますと。非常にいい光景でした。本当にありがたかったです。その日の夕方、半月ぶりに私も自宅の風呂に入りました。風呂のありがたさを全身で感じました。

その後の取材で、東日本大震災発災後すぐに、大阪ガスの方々八百人が、秋保温泉のホテルに一斉に入り、各地のガスの復旧に当たってくれていたことを知りました。ガス会社と秋保のホテルの連携で体制が整い、そこを拠点に迅速に、そして、拠点があったからこそ、長期にわたって作業に当たることができました。この作業はゴールデンウィークまで続きました。大阪ガスの社長は、阪神大震災でお世話になった、一番最初に入り一番最後に帰ってこいと八百人の社員を送り出したそうです。これにより、どれだけ被災者が助かったことか。十四年たちましたが、改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

その一方で、東日本大震災では災害弱者の問題も浮き彫りとなりました。

私の知り合いの家族ですが、家を流されたため、町の体育館に避難しようと思ったのですが、おばあちゃんが認知症なんですね、体育館に行くと周りの人たちに迷惑をかけてしまうということで、車で一か月余り避難生活を送りました。

こういったいわゆる災害弱者について、現在どのような準備がなされているのでしょうか、お聞かせください。

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