大森直樹東京学芸大学現職教員支援センター機構教授

2025年6月13日・第217回国会 衆議院 文部科学委員会 第16号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 72 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 76 発言)

今の御指摘は、通知そのものの問題と、それから、通知を支えている様々なメカニズムもあるかもしれないというお話であったように思います。

その通知を支えているものということでいいますと、ちょっと三ページを御覧いただけるとありがたいです。ここで、六八年から二〇一七まで、小学校、中学校それぞれの標準時数、五年生と中学一年生だけですけれども、全体像を示しております。

この中で、ゴシックの数字があるんですけれども、これが何かと申し上げると、三十五の倍数が崩れたところなんですね。これは細かな問題に見えるんですけれども、先ほど音楽の事例を出しましたけれども、五十時間、図工もそうですよね、五十時間になると分かりづらさが出てくるんですね。

それ以前のやはり標準時数というのはよい意味でシンプルなところがございまして、年時数の制度ではあるんですけれども、この三十五の倍数を使うことによって、もう立ち所に週の時間がイメージできた。そうすると、学校の先生方というのは基本的に真面目な先生方が多いですから、週時間割りが決まりますよね。

それで、現実に統計を取りますと、大体二百日、教育は授業日が取れますので、それをもう普通にやっていくと、例えば裁量で入学式から授業をするのはやめようとかしたとしても、三十五は必ずできる。だから、先生方が小まめに時数をチェックすることも要らないし、教育委員会が管理しなくても、ある意味では、標準時数が要求している世界を現場で自然に実現できた。

しかし、この三十五の倍数を崩したのも、いろいろなものを入れていこうという本当に御苦労の結果ではあるんですけれども、こうなった結果によって、例えば音楽、倍数を崩してしまうと、カウントをしないとやはりこの五十の時数を守るということができなくなるわけですね。

そういう意味でいうと、通知もありますけれども、時数を日々数えながらでなければ標準時数を守れないというのは、制度の問題としては大きなところかなというふうに考えております。

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