御質問ありがとうございます。
現場への縛りということを考えるときに注意したいなと思っているのは、学習指導要領そのものもやはり大事な部分はあると思うんですけれども、つまり、拘束性というものがありますので、学界では、もうそろそろ、一旦、手引的な、戦後の、もう少し柔軟な運用がそれこそ可能になるような部分を、考え直してもいいのではないかという議論も行われているぐらいですので。
しかし、一方で、今、学習指導要領だけを見ていても現場の縛られ感というのが見えない部分があるというふうに申し上げるのは、これは現場の責任も部分的にはあるかもしれないので難しいんですけれども、一つは、検定教科書です。
検定教科書には、学習指導要領の項目を複数回、同じ学年の中で重複して掲載していたりとか、学習指導要領を中心に考えると必ずしもそのページをやらなくても構わない部分があるんですけれども、教科書に頼るという形でやっていると、教科書に縛られてしまって、学習指導要領がそこまで書き込んでいないことも学校でやらなければいけないという感覚に陥ってしまっているという問題があり、もう一つは、間に立つ教育委員会とかが、学習指導要領には、こういうこともできるとか、典型的には道徳の別葉というのがあるんですけれども、それは、作ることもできると書いてあるだけなんですが、ほぼ全ての自治体が作らせているという状態にありますので。
したがって、学習指導要領ではそこまで言っていないことを、検定教科書が丁寧にやっている、そして、教育委員会が丁寧にやらせる。これは全部善意で動いているので非常に難しいんですけれども、そこのところも含めて全体の設計とか全体像をもう少し再構築するという視点がないと、学習指導要領の書き込みだけを考えていても現場の縛り感というのが余り変わらないという可能性も考えられますので、そんなことを考えながら先生の御質問をお聞きしていたというところです。
以上です。
67
中村裕之(自民)
次に、大石あきこ君。
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68
大石あきこ(れいわ)
れいわ新選組、大石あきこです。
参考人の皆様、今日はありがとうございます。どの参考人の皆様からも、現場での教育実践をお伺いすることができて、本当によかったです。子供たちが障害の有無とか、また国籍とか母国語に関係なく共に学んでいく、愛情を持って接していくという実践をされていることを拝聴できまして、感銘を受けました。本当にありがとうございます。
私は、本日は、学習指導要領についてお伺いしたく、大森参考人と澤田参考人にお伺いしたいと思います。
学習指導要領については、現状、もう既に参考人の方々からも話されましたけれども、どうも罰ゲームとして機能しているだ…
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69大大森直樹東京学芸大学現職教員支援センター機構教授
御質問ありがとうございます。
まず、裁量の問題については、問題の大きさに対する整理がまだ教育学では十分にできていないところもあるかもしれません。
まず、裁量の主体の問題がございまして、一般的に教育界で裁量という言葉を使うと、それはたくさんあった方がいいよねということになりがちなんですけれども、裁量の主体が誰なのかということが一つポイントになってまいります。
例えば、地方分権の時代ですから、国との関係で教育委員会や学校に裁量権があるというのは、その関係の中では地方分権を前進させるということになると思いますし、だけれども、子供の視点から見た場合、子供自…
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- (上の発言)
70澤澤田稔上智大学総合人間科学部教授/教職・学芸員課程センター長
御質問ありがとうございます。
現場への縛りということを考えるときに注意したいなと思っているのは、学習指導要領そのものもやはり大事な部分はあると思うんですけれども、つまり、拘束性というものがありますので、学界では、もうそろそろ、一旦、手引的な、戦後の、もう少し柔軟な運用がそれこそ可能になるような部分を、考え直してもいいのではないかという議論も行われているぐらいですので。
しかし、一方で、今、学習指導要領だけを見ていても現場の縛られ感というのが見えない部分があるというふうに申し上げるのは、これは現場の責任も部分的にはあるかもしれないので難しいんですけれども、一つは、検定教科書です。
検定教科書には、学習指導要領の項目を複数回、同じ学年の中で重複して掲載していたりとか、学習指導要領を中心に考えると必ずしもそのページをやらなくても構わない部分があるんですけれども、教科書に頼るという形でやっていると、教科書に縛られてしまって、学習指導要領がそこまで書き込んでいないことも学校でやらなければいけないという感覚に陥ってしまっているという問題があり、もう一つは、間に立つ教育委員会とかが、学習指導要領には、こういうこともできるとか、典型的には道徳の別葉というのがあるんですけれども、それは、作ることもできると書いてあるだけなんですが、ほぼ全ての自治体が作らせているという状態にありますので。
したがって、学習指導要領ではそこまで言っていないことを、検定教科書が丁寧にやっている、そして、教育委員会が丁寧にやらせる。これは全部善意で動いているので非常に難しいんですけれども、そこのところも含めて全体の設計とか全体像をもう少し再構築するという視点がないと、学習指導要領の書き込みだけを考えていても現場の縛り感というのが余り変わらないという可能性も考えられますので、そんなことを考えながら先生の御質問をお聞きしていたというところです。
以上です。
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大石あきこ(れいわ)
そうですね、学習指導要領の法的確認だったりは本当に必要だと思っています。結果として、必要な法改正があったりとか通知の出し直しがあったり、法制度整備というのも必要かもしれませんけれども、そういうある意味の勘違いといいますか、そこまでそもそもやらなくてもいいのに、やらなければいけないものとして罰ゲームとして機能しているのではないかなという問題意識がありまして、引き続き、大森参考人と澤田参考人にお伺いします。
お二人とも、二〇〇三年の文科省の通知を資料の中に引用されていますよね。この通知によって標準の解釈の実質的変更が、実質的になされてしまったんだよという文…
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72大大森直樹東京学芸大学現職教員支援センター機構教授
今の御指摘は、通知そのものの問題と、それから、通知を支えている様々なメカニズムもあるかもしれないというお話であったように思います。
その通知を支えているものということでいいますと、ちょっと三ページを御覧いただけるとありがたいです。ここで、六八年から二〇一七まで、小学校、中学校それぞれの標準時数、五年生と中学一年生だけですけれども、全体像を示しております。
この中で、ゴシックの数字があるんですけれども、これが何かと申し上げると、三十五の倍数が崩れたところなんですね。これは細かな問題に見えるんですけれども、先ほど音楽の事例を出しましたけれども、五十時間、…
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73澤澤田稔上智大学総合人間科学部教授/教職・学芸員課程センター長
御質問ありがとうございます。
ただ、やはり、私の専門ではないので、本当にちゃんとお答えすることができないということだけ正直に申し上げたいと思います。教育行政学とか、そういった方々の御専門の知識をかりたいというところがございます。
その上でですけれども、要するに、現場は、通知はかなり縛りが強いものとして受け止めています。事務連絡と通知は全然違うものとして受け止めていますので、したがって、現場の受け止め方は、通知と来たときには、そんな、やってもやらなくてもいいという感覚で通知を受け止めている自治体とか学校というのは恐らくないのではないかというふうに思って…
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