前泊博盛沖縄国際大学経済学部長・経済学部教授/沖縄国際大学理事

2026年7月3日・第221回国会 参議院 沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会 第6号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 32 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 83 発言)

どこまで遡るかというところでは、例えば日米安保を結んだ吉田茂さん、彼は安保に対しても非常に最初は消極的だった。しかし、講和条約を結ばなきゃいけないということで、講和の準備ができたということでアメリカに行った。そうしたら、そのときにその場で安保条約を渡されて、これを一緒に結べと、そうでなければ講和なしだよと脅されたという話も聞いています。その際に、講和については一緒に行ったメンバーが全てサインをしていますけれども、安保については私一人でいいと、ほかは傷つくことになるからいいということで、まさに英文をその場で手渡されて、その翻訳すらも十分にできないままサインをさせられた日米安保条約、こういった負の歴史があったようです。

しかし、それを覚悟を持って受け入れて、そしてその後改定まで動いていくという日本政治の流れがあったと思います。そういう意味では、自分がしょうということを覚悟を持って吉田茂氏が発言をし、そして自分だけが署名したというところでは、全ての責任をしょうという覚悟を持った政治家がいたのかなと思います。

それから、普天間返還に関しては、私も個人的にもいろいろ問題、意見交換をしました橋本龍太郎さんという方がいます。彼は、何度か近くの料亭でもお話を、踏み込んで話をしたことがありますけれども、彼は、沖縄のこの怒りを鎮めるためにSACO合意というものを実現をしていきます。その際に、十一施設の返還、これを当時の大田知事に伝えてきますけれども、普天間を返せるというのは非常に誇らしく、そして直接電話で知事に伝えています。ところが、裏側では、実は彼は非常に逡巡していたと。普天間を返すというのはもう無理じゃないか、あるいは返さない方がいいのではないかというふうに考えていたようですが、沖縄の県民の怒りを見て、この怒りが私の背中を押してくれたという話をしていました。

クリントン大統領と会ったときに、最初にこの普天間の話を出そうと覚悟を持って行ったようですけれども、言えずにこの会談が終わろうとしたときに、不満そうな顔をしているクリントン大統領から何か言い忘れていないかと言われて、普天間を返してほしいという話をしたということを御本人から聞きました。そして、それは、沖縄県が出していた基地返還アクションプログラムというのがありました。九五年に策定されましたけれども、二〇一五年までに嘉手納を含む全基地撤廃計画です。その計画の中でオール・オア・ナッシングになるよりは、十一施設を返還をする、ガス抜きをする、そのためにもこのSACO合意が必要だったという話をしました。もう一つは、二〇一五年までに全廃をするというこの計画に対して、沖縄即時全面返還だけを要求してきたのに、二〇一五年までは基地を置いてくれるという、そういう計画として私は受け入れたという話をしていました。

政治家としていろんな受け止め方をして自分を納得させて、そしてこの交渉に臨んでいくという姿、そういうものを見せてもらいました。

SACO合意というのはこの一回で終わっています。なぜSACO2、SACO3が出てこないのか、それをできるような政治家がもう既にいないという証拠。それが私の冒頭から申し上げている、この橋本さんの意思を継ぐような、あるいは戦後レジームからの脱却とおっしゃっていた安倍首相がいました。安倍さんは戦後レジームを、何をもって戦後レジーム、枠組みと言っているのか、日米安保なのか、地位協定なのか、あるいは対米依存なのか分かりませんが、こういったものから抜け出そうということを表明をしている政治家もいたということを我々はしっかりと覚えています。

そういう意味では、そういうことが言えるような政治家が今改めて誕生してほしいと思っています。他国の大統領に抱き付く話ではなく、そこに問題を提起できるような総理を輩出をしてほしいというふうに思っています。

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