村山浩昭弁護士

2026年6月9日・第221回国会 衆議院 法務委員会 第18号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 43 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 69 発言)

ありがとうございます。

まず、行為規範という言い方がどういう意味かということなんですけれども、これは検察官がそういう行為をするときにどうすべきか、そういう規範であるという意味合いでして、逆に言うと、それだけです。要するに、裁判上は余り意味がないというふうに理解されておりまして、検察官が守ればよしということであります。

行為規範だということを突き詰めていきますと、不服申立て書を受け取った裁判体としては、検察官がその行為規範にのっとっているかどうかという審査よりも、実態の問題ですね、要するに、即時抗告、開始決定が是か非かということを正面から判断をするという形になります。

ところが、裁判規範だということになると、十分な根拠があるかどうかという観点から判断をするということになります。その十分な根拠がない場合にどうなるかというと、これはある意味じゃ適法性がないというふうに理解することも可能かと思います。

というのは、四百五十条から開始決定に対する不服申立てが除かれて、四百五十条の二で不服申立てが例外的にできるんだという規定が新設されているのが閣法でございます。これはどう考えても四百五十条の二によって不服申立てができるんだという授権規定だと読まざるを得ないと思います。そうだとすると、授権規定である以上、そこに十分な根拠と書いてある以上、十分な根拠がなければ申し立ててはいけないというはずでありまして、しかも、そういうものは許容されないというふうに考える裁判規範だというふうに解釈するのが普通だと思います。

実際に、じゃ、不服申立て書を受け取ったときに裁判体がどういうふうに判断をするかという現実的な問題なんですけれども、十分な根拠をどう確かめるかというのは、じゃ、十分な根拠というのは何なんですかといったときに、なかなか難しいんですね。要素的にどういうものかというのを挙げるのは大変難しいと思います。

私は、十分な根拠というのは、申立て書の中に完結するという根拠を挙げているかどうかということだと思います。申立て書の中に書いてある内容を読むだけで、原決定が明らかに不合理でおかしいのだということが展開されていれば、やはり十分な根拠があるということになるんだろうと思います。

したがいまして、十分な根拠というものを立証、疎明するために事実の取調べ等を即時抗告審では行わない。つまり、即時抗告書の中だけで完結するという、それがいいかどうかだけを判断するというような判断の仕方をしない限りは、やはり同じように開始決定が是か非かという元々の問題を判断させられてしまうというふうに、裁判所はそうなってしまうのではないかというふうに思っております。

私がもし即時抗告審を担当する高裁の裁判長であれば、やはりこれは解釈の問題でございますので、立法の過程ももちろん踏まえますけれども、解釈問題としては、これは裁判規範として生かしていかなきゃいけないという解釈を取った上で、そういった措置をするのが適当であろうというふうに考えています。

以上です。

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