そのとおりだということを言えないのは、例えば袴田さんの事件、確定審では五点の衣類が問題になりました。ところが、確定審では、その五点の衣類のカラー写真なんというのは全く検証されていないわけじゃないですか。初めはパジャマで犯行を行ったというのが、その後変わって、五点の衣類になったわけでしょう。
しかも、問題なのは、袴田巌さんがはいていたズボン。それを、確定審の中では、控訴審では、袴田さん、三回ズボンをはいてみろと言われて、三回はいたけれども、はけなかったわけですよね、はけなかった。そのとき、証拠は提出されていないわけだから、袴田さんが太ったんだとか、あるいは、長くみその中に漬けられていたからズボンが縮んだから、袴田さんははけなかったんだと。
もう一つ、ここが重要なんだけれども、その袴田さんが三回ともはけなかったズボンのタグに、B、ABCのBと表示があったわけですよね。そのBを、確定審の中では、肥満の人の印であるBだと。ところが、これもお聞きをするんですけれども、確定審は一九八〇年ですけれども、第二次請求審、二〇一八年、三十八年後、検察は、五月雨式だけれども六百点の証拠資料を出したわけでしょう、カラー写真も含めて。そのとき明らかになったのは、確定審でズボンのBは肥満体の印だと言っていたものは、そうじゃなかった、ズボンの色を示していた。
だから、確定審で検察がちゃんと証拠物を出していたら、裁判所の判定というのはおかしいじゃないかという判断に結びついたかも分からない。あるいは、カラー写真を最初の段階で出していたら、血液は赤だと書いてあるんだけれども、だけれども、一年漬けて赤なのかという疑問を持つ人が、後で支援者が実験をして、赤じゃないというのが明らかになって、冤罪、無罪になっていくんだけれども。
だから、最初から、確定審の段階から検察が持っている資料を全部出していたら、袴田さんはもっと早く罪から免れたと私は考えているんですけれども、違いますか。
45佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
今、警察庁の方から事案の概要がありましたけれども、この被告人については、平成六年十月十四日及び十一月五日に殺人等の事実により起訴され、平成十八年十月八日に死刑判決が確定したものと承知しております。
その後、この事件につきましては二次にわたる再審請求がなされておりますが、再審開始決定がなされたことはない状況にありまして、現在は、福岡高裁の即時抗告棄却決定に対しまして弁護人が最高裁判所に特別抗告を申し立て、特別抗告審が係属中であると承知しているところでございます。
この発言のページ
46
有田芳生(中道)
今、刑事局長は御発言の中に入れておりませんけれども、この飯塚事件というのは、一九九二年に福岡で起きて、そして二〇〇六年に死刑判決が確定をして、その二年後、二〇〇八年に死刑が執行されたんですよ、死刑が、七十歳で。
逮捕されたときから一貫して、私はやっていないと言い続けてきた。だけれども、DNA鑑定とか目撃証言なんかで有罪になり、死刑判決になり、確定し、死刑が執行されたんだけれども、その後のいろいろな調査の中で、DNA鑑定の疑問点あるいは目撃証言の怪しさというものが今明らかになってきているんですよね。かといって冤罪だったというわけではないんだけれども、そう…
この発言のページ
47佐佐藤淳法務省刑事局長
証拠という文言はかなり多義的でありまして、例えば、普通の広辞苑などでありますと、根拠とかそういった意味で使われることもあるわけですけれども、本法律案で新設することとしている証拠の提出命令制度における証拠とは、証拠書類あるいは証拠物を意味するところであります。
証拠の収集に税金が用いられることは事実でありますけれども、これは、検察官に損か得かということではなくて、証拠は証拠でありまして、問題は、関連のある証拠かどうかが今例えば証拠の提出命令制度の中では問題になっているということだと理解しております。
この発言のページ
- (上の発言)
48
有田芳生(中道)
そのとおりだということを言えないのは、例えば袴田さんの事件、確定審では五点の衣類が問題になりました。ところが、確定審では、その五点の衣類のカラー写真なんというのは全く検証されていないわけじゃないですか。初めはパジャマで犯行を行ったというのが、その後変わって、五点の衣類になったわけでしょう。
しかも、問題なのは、袴田巌さんがはいていたズボン。それを、確定審の中では、控訴審では、袴田さん、三回ズボンをはいてみろと言われて、三回はいたけれども、はけなかったわけですよね、はけなかった。そのとき、証拠は提出されていないわけだから、袴田さんが太ったんだとか、あるいは、長くみその中に漬けられていたからズボンが縮んだから、袴田さんははけなかったんだと。
もう一つ、ここが重要なんだけれども、その袴田さんが三回ともはけなかったズボンのタグに、B、ABCのBと表示があったわけですよね。そのBを、確定審の中では、肥満の人の印であるBだと。ところが、これもお聞きをするんですけれども、確定審は一九八〇年ですけれども、第二次請求審、二〇一八年、三十八年後、検察は、五月雨式だけれども六百点の証拠資料を出したわけでしょう、カラー写真も含めて。そのとき明らかになったのは、確定審でズボンのBは肥満体の印だと言っていたものは、そうじゃなかった、ズボンの色を示していた。
だから、確定審で検察がちゃんと証拠物を出していたら、裁判所の判定というのはおかしいじゃないかという判断に結びついたかも分からない。あるいは、カラー写真を最初の段階で出していたら、血液は赤だと書いてあるんだけれども、だけれども、一年漬けて赤なのかという疑問を持つ人が、後で支援者が実験をして、赤じゃないというのが明らかになって、冤罪、無罪になっていくんだけれども。
だから、最初から、確定審の段階から検察が持っている資料を全部出していたら、袴田さんはもっと早く罪から免れたと私は考えているんですけれども、違いますか。
49佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
いわゆる袴田事件につきましては、最高検におきましても、検証報告書を作成して公表するなどしまして公にしているところでございます。
その上で、当時の再審請求審というものの証拠開示というのは、検察においても、あるいは裁判所においてもその運用に消極的であったというのは、今の視点から見ると否めないというふうに思っております。
そういう観点で、先ほど答弁しましたように、平成十六年に通常審におきまして証拠開示のルールができまして、その運用が定着いたしまして、それを再審請求審の中でも、裁判所、検察官、弁護人が、そのような運用を前提に再審請求審に…
この発言のページ
50
有田芳生(中道)
刑事局長にここの段階で確認しておきたいんですけれども、これは、質問通告をした後、今朝早くにお伝えしたので、無理なら無理で仕方がないんですけれども。
戦前の日本では、被告人あるいは弁護士に全ての証拠が開示されていたというのは事実ですか。もしそれが事実ならば、再審について、完全に戦前は全ての証拠にアクセスできた。
もう一点。今の制度として、全ての証拠を開示するというのはドイツと台湾では行われているというのは、それは正しいという理解でよろしいですか。
この発言のページ
51佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
戦前の刑事訴訟法というのは、現行の刑事訴訟法ではなくて、大正十一年に成立したいわゆる旧刑事訴訟法のことだと思われますので、これについて急ぎちょっと確認いたしました。
まず、旧刑訴法というのは、いわゆるGHQがやってきて、昔、職権主義といいまして、一般の通常審におきましても、例えば、検察官がいて、その証拠を全部予審判事が見て、予審判事が少しずつスクリーニングしていく、それで、有罪になる人が最後に裁判所の下で残るといったような、すごくざっくり言いますと、不正確かもしれませんが、そのような刑事裁判が戦前は行われていたということでございま…
この発言のページ