吉田宣弘 (中道改革連合)

2026年6月26日・第221回国会 衆議院 内閣委員会 第24号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 36 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 211 発言)

私も、刑法をそれなりに学んできた者としては、今の答弁では、残念ながら、ちょっと納得できないところでございます。

答弁を聞いていて、恐らく違法性の本質については、判例の立場に立っておられるのかなと思います。すなわち、行為無価値論から入っているのかなというふうに考えます。ただ、様々、違法性でこの判断をするというのは非常に私は危険だと思いますよ。なぜならば、間口の部分で、構成要件の部分で国民の自由というものが保障されなければならないのに、その判断が違法性の段階で、しかも、今、何か社会通念とかそういったものもありましたけれども、そういったもので違法性が判断されるというのは私は危険だというふうに思います。仮に違法性が阻却されるような事案、例えば、国旗を損壊しなければもうどうしようもないような差し迫った状況で違法性が阻却されるというふうな話であれば、期待可能性の話になって、私は責任論で論じられるものじゃないかという気もいたします。

そういった意味においては、私は刑法理論として非常に雑だなというふうな感想を述べさせていただいて、次の質問に移らせていただきます。構成要件のレベルでそれは判断すべきじゃないかという質問は飛ばさせていただきます。

したがって、次の九番目の問いに入らせていただきますが、本案件で刑事事件として摘発された場合、その刑事裁判は、私は違憲訴訟になると思います。この法案が成立をして、犯罪で立件されて刑事裁判になったとき、私は弁護士の資格はございませんが、偉そうなことを言うつもりはありませんが、私が仮に弁護士だったら、恐らく違憲訴訟まで持っていきます。

そういった意味からすれば、表現行為を制約するこの法律を適用する側で、本法案の合憲性について、裁判所を説得するに足る議論を物すごく積極的にやらなきゃいけなくなるというふうに思うんですね。

このことわりは、実は立法作業においても私は当てはまると思うんです。

これは、佐藤幸治先生の教科書に記載がございます。憲法の第二版の二百八十三ページ、表現の自由に対する制約の合憲性判断基準というところの総論の部分に、そのように述べられているんですね。表現の自由というのは、精神的自由であって優越的価値が認められているので、それを規制する立法というのは、普通の法律だったら合憲性の推定が、国会の手続を踏んで成立するものですから合憲性の推定が働くんですけれども、表現の自由を制約する法律については、これは違憲性の推定が働くというふうにおっしゃっておられます。

したがって、違憲性の推定があるということを前提に、立法作業をするに当たっては、裁判所がどのような審査をしということは、立法の側でもしっかり事前にそのことを検討しておかなければいけないんだろうと思いますけれども、そのような裁判の場面になったりとか、また違憲審査基準であったりとか、そういった議論というのは議案提出会派の皆様の中で行われていたのかどうかについて、是非御答弁いただければと思います。

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