ただいま、罪刑法定主義からの問題があることが指摘されましたが、私も同じように考えております。見る人にとっての主観で判断の発端が生じるというものについては、これを定義として限定していくことが非常に難しい。
そして、罪刑法定主義に反するという問題は、日本国憲法の条文に照らした場合には、憲法三十一条の、法の適正手続の中の、法律で定めたことによらなくては国家は人に刑罰その他の不利益を与えることはできない、そういう原則になっていますけれども、ここで言う法律というのは明確なものでなくては、この三十一条が意味を成さないことになってしまいます。その観点からも、明確性の原則という言い方で憲法では、刑法で言うところの罪刑法定主義を非常に重視しています。
表現の外的なところに着眼して判断をするということが言われてはいるのですが、やはり見る人にとっての不快感、嫌悪感というのは千差万別なもので、特に、現在の多様性を重んじ、多様な文化、文化的背景や価値観を持つ人が共存する社会では、この不快感、嫌悪感は全く千差万別のものになります。その中で、ある一定の人の価値観に根差した感情を保護するということになりますと、これは罪刑法定主義だけではなく、信条による差別を禁止している憲法十四条に反してくる可能性、そこへ拡大していく可能性をどうしても防げなくなります。
そして、これは処罰の問題ではなく、公民館がある俳句を掲載しないことにしたという判断に関する問題なんですけれども、九条俳句事件という訴訟での最高裁判決が、この十四条、信条の問題にも配慮している、そして十九条にも配慮して、公平性を欠く一方の信条に特に肩入れする形でもう片方の利用者に不利益を与えることは、憲法の趣旨からして、人格権の一つである期待権に反する、そういう考え方を示しております。
私は、まして処罰、刑事罰であれば、この考え方を強く取らなくてはならないと考えておりますので、現在の不快感、特に国旗・国歌にフェーバーな、それを肯定する人々の、愛する人々の心情に特に肩入れすることにするという刑罰法規については、憲法十四条違反の疑いが濃厚であると考えております。
以上です。
79志志田陽子武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐
御質問ありがとうございます。
まず、表現の自由などの精神的自由に規制を及ぼす場合には、よほどの必要性、英語で言いますとコンペリングという言葉があるんですが、よほどの強い必要性が必要である。ここから立法事実論の議論が出てくるのですが、このとき、立法事実があるのかという議論に対して、国旗が損壊された事実があるということは、立法事実としては不足していると私は考えております。その奥に、国旗損壊行為によって国民の重要な権利が害されている、あるいは国民の生命、健康が危機に瀕するということが確認されるといったようなレベルの必要性、これがコンペリングと言われる高度な必…
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80
畑野君枝(共産)
ありがとうございました。
次に、江藤隆之参考人と志田陽子参考人に伺います。
本法案の提出者は、不快、嫌悪という感情、つまり、主観を客観的に判断できると答弁しておりますが、私としては、要件も曖昧な上に処罰範囲は不当に広く、刑罰としてあり得ないと思っておりますが、いかがでしょうか。
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81江江藤隆之桃山学院大学副学長・法学部教授
御質問ありがとうございます。
御指摘のとおり、本法案における不快、嫌悪というのは、どこまでなのか、どこからなのかが曖昧であり、刑罰法規が備えるべき明確性から逸脱していると考えます。
似たようなものは、例えばストーカー規制法等にあるんですけれども、その場合は、前段に、文の前に例示のようなものがついていたり、しかも、例も明らかに不快なものが明示されていますけれども、今回は、そうではない一般的な表現にとどまっていますので、明確性の観点からいくと、罪刑法定主義違反の疑いがあると考えます。
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- (上の発言)
82志志田陽子武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐
ただいま、罪刑法定主義からの問題があることが指摘されましたが、私も同じように考えております。見る人にとっての主観で判断の発端が生じるというものについては、これを定義として限定していくことが非常に難しい。
そして、罪刑法定主義に反するという問題は、日本国憲法の条文に照らした場合には、憲法三十一条の、法の適正手続の中の、法律で定めたことによらなくては国家は人に刑罰その他の不利益を与えることはできない、そういう原則になっていますけれども、ここで言う法律というのは明確なものでなくては、この三十一条が意味を成さないことになってしまいます。その観点からも、明確性の原則という言い方で憲法では、刑法で言うところの罪刑法定主義を非常に重視しています。
表現の外的なところに着眼して判断をするということが言われてはいるのですが、やはり見る人にとっての不快感、嫌悪感というのは千差万別なもので、特に、現在の多様性を重んじ、多様な文化、文化的背景や価値観を持つ人が共存する社会では、この不快感、嫌悪感は全く千差万別のものになります。その中で、ある一定の人の価値観に根差した感情を保護するということになりますと、これは罪刑法定主義だけではなく、信条による差別を禁止している憲法十四条に反してくる可能性、そこへ拡大していく可能性をどうしても防げなくなります。
そして、これは処罰の問題ではなく、公民館がある俳句を掲載しないことにしたという判断に関する問題なんですけれども、九条俳句事件という訴訟での最高裁判決が、この十四条、信条の問題にも配慮している、そして十九条にも配慮して、公平性を欠く一方の信条に特に肩入れする形でもう片方の利用者に不利益を与えることは、憲法の趣旨からして、人格権の一つである期待権に反する、そういう考え方を示しております。
私は、まして処罰、刑事罰であれば、この考え方を強く取らなくてはならないと考えておりますので、現在の不快感、特に国旗・国歌にフェーバーな、それを肯定する人々の、愛する人々の心情に特に肩入れすることにするという刑罰法規については、憲法十四条違反の疑いが濃厚であると考えております。
以上です。
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畑野君枝(共産)
ありがとうございます。
引き続きまして、江藤参考人と志田参考人に伺います。
私人による現行犯逮捕ができるようになる、思想、信条の異なる市民同士が不快だとか嫌悪感を持ったとお互いの言動を監視し合う、こういう息苦しい社会になるのではないかと昨日私は質問したんです。こういう点について、どのようにお考えになるでしょうか。
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84江江藤隆之桃山学院大学副学長・法学部教授
ありがとうございます。
現にそれが起きるかどうか分かりませんが、可能性としてはあり得るかと思います。ただし、それが最後まで認められるということはない、単に国旗を粗末に扱っていた、さあ、現行犯逮捕だというようなのが認められる、最後までそれが正当な逮捕だと認められることはないと思いますけれども、しかし、私の先ほどの意見陳述でも申し上げましたけれども、通報するとか、あの人が国旗を粗末に扱っている、許さないというふうな、そういう社会が来る可能性はあり得ると思います。
以上です。
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85志志田陽子武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐
御質問いただいた危険性、通報が濫用的に行われる危険性というのは、日本社会の場合、十分あると考えております。
これは、六年前のコロナ感染症の蔓延を防ぐためにみんながステイホーム、自宅で過ごそうという状態になったときにかなり実際に行われたことです。警察への通報ではないですけれども、あそこのお母さんは外で子供を遊ばせている、それでいいのかというように、市民同士が言いつけ合うというようなことがあり、これはそうした通報や、それからSNSに上げて、これでいいのかというふうにあげつらう行為というのは、決して悪い、相手を傷つける気持ちからではなく、違法なことなんじゃな…
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