志田陽子武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐

2026年6月25日・第221回国会 衆議院 内閣委員会 第23号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 82 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 88 発言)

ただいま、罪刑法定主義からの問題があることが指摘されましたが、私も同じように考えております。見る人にとっての主観で判断の発端が生じるというものについては、これを定義として限定していくことが非常に難しい。

そして、罪刑法定主義に反するという問題は、日本国憲法の条文に照らした場合には、憲法三十一条の、法の適正手続の中の、法律で定めたことによらなくては国家は人に刑罰その他の不利益を与えることはできない、そういう原則になっていますけれども、ここで言う法律というのは明確なものでなくては、この三十一条が意味を成さないことになってしまいます。その観点からも、明確性の原則という言い方で憲法では、刑法で言うところの罪刑法定主義を非常に重視しています。

表現の外的なところに着眼して判断をするということが言われてはいるのですが、やはり見る人にとっての不快感、嫌悪感というのは千差万別なもので、特に、現在の多様性を重んじ、多様な文化、文化的背景や価値観を持つ人が共存する社会では、この不快感、嫌悪感は全く千差万別のものになります。その中で、ある一定の人の価値観に根差した感情を保護するということになりますと、これは罪刑法定主義だけではなく、信条による差別を禁止している憲法十四条に反してくる可能性、そこへ拡大していく可能性をどうしても防げなくなります。

そして、これは処罰の問題ではなく、公民館がある俳句を掲載しないことにしたという判断に関する問題なんですけれども、九条俳句事件という訴訟での最高裁判決が、この十四条、信条の問題にも配慮している、そして十九条にも配慮して、公平性を欠く一方の信条に特に肩入れする形でもう片方の利用者に不利益を与えることは、憲法の趣旨からして、人格権の一つである期待権に反する、そういう考え方を示しております。

私は、まして処罰、刑事罰であれば、この考え方を強く取らなくてはならないと考えておりますので、現在の不快感、特に国旗・国歌にフェーバーな、それを肯定する人々の、愛する人々の心情に特に肩入れすることにするという刑罰法規については、憲法十四条違反の疑いが濃厚であると考えております。

以上です。

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