大島敦 (中道改革連合)

2026年6月19日・第221回国会 衆議院 内閣委員会 第21号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 19 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 175 発言)

私、人口規模を気にしているんです。二〇五〇年には日本の人口は一億人、米国は人口が増えていて現在三・五億人、EUが四・五億人、減少傾向にある。中国が十四億人なので、十四億人の、天才たちの国なわけですよ。一番新しい統計資料だと、科学技術の研究力を有するほぼほぼの大学、研究機関は中国なの。一億人の中のリソースをどうやって使っていくのかが私たちの国の今後に懸かっているかなと思うの。

お手元の資料の三ページ目、この資料は、毎月、内閣府を呼んで月例経済報告を聞いていて、何か月か前の月例経済報告にあった資料を国立国会図書館でもう一度作り直してもらったんです。一九七〇年一月の実質実効為替レートが七十五・〇一円、今年の三月が六十六・三三円ですから、円が三百六十円の時代よりも実質実効為替レートは安くなっているということ。一番高いところが一九九五年、この年は大島が一回転職をした年なの。この年は生産年齢人口がピークだったの。戦後の発展は、一つには、人口が五千万人増えたということ。

鉄鋼会社に在籍をしていたので、どういう経営者が出世するかというと、度胸のいい人でしたよね。要は、製鉄所に一兆円の投資をする、圧延ミルに一千億円の投資をする。次の景気回復期でしっかりとそれを要は償却できて出世するという、そういうマインドでバブルを迎えてはじけていくので、そのはじけた後は極めて慎重な経営に移ったと思っているの。ここのサラリーマン心理を理解しないと日本の経済は語れないんです。

ですから、私の後輩たちですから、二〇一〇年代以降かな、マイナス金利になって、財政出動があって、円安誘導をして。あのとき、まあ、大島は余り出世しない方、全く出世しないと思ったんですけれども、仮に大島が平取でしたら、一二〇%、当時の政権支持ですよね、何もしなくても利益が出るから。それで、リーマン・ショックを迎えて、内部留保があったので乗り切って、そして、その後に、今度は新型感染症の時代を迎えて、内部留保があったので乗り切っていくんですよ。ですから、何もしないことがいいことで、今でもその体質って抜けていないかなとは思う、かなですよ。これは、大島が仮に出世していたらそう考えていたので、まあ、こういう立場ですから客観的に述べているので。

もう一つは、一九九〇年当時、ハノイにはガソリンスタンドがなく、道端で瓶入りのガソリンが売られていました。ホーチミンシティー、旧サイゴンとハノイで、十を超え二十に迫る公団を訪問し、総裁と面談を重ねたんです。鉄鋼会社のマーケティングをしていたので、部長を呼んで。会合はいずれも時間どおりに始まり、具体的な成果を求めている内容だったと記憶しています。また、商社のベトナム人スタッフが、ソ連製のミサイルは性能が十分でなく、自分たちで改造していたと話していたことを思い出します。もしベトナム戦争がなければ、タイに向かった資本はベトナムにも投資され、同国は更に発展したのではないか、当時はそのように思いました。

この見立ては日本にも当てはまると考えます。中国が共産主義国家となり、東西冷戦下で日本は西側陣営の防波堤と位置づけられ、資金が日本に投じられたのだと。もし国民党が勝利していれば、そのマネーは日本を通り越して中国に向かい、中国が早期に発展したのではないかと当時考えました。しかし、中国は共産化し、大躍進から文化大革命が終わる一九七六年、文革は六六年から七六年でしたよね、停滞が続きました。その時期は日本の高度成長期と重なるんです。

ですから、もちろん、戦前の、戦争という極限状況の中で技術革新を生み出した人材が戦後の経済発展を支えたとも考えていまして。八十年前、金融も含め、国は破綻しましたが、科学技術によってイノベーションを起こすだけの人材の蓄えがあったのではないでしょうかと考えていまして。ですから、日本の持っているリソースはそんなに多くないと思っている。

ですから、私は、ディープテックが何かということをもう一度聞きたいの。僕は、ゼロから一を生み出すのがディープテックだと思っているの、ゼロから一を生み出すのが。その人材が日本にいるかどうか、どうしたらそれができるかどうか。

前回大臣に質問をさせていただいたのは、国の研究所、大学の共同利用する研究所を含めて、基礎的なところ、その研究を支える技師あるいは技術者あるいは工房をしっかり整えてくれというお話をしたのは、ここをおろそかにして日本のディープテック、ブレークスルーは起きないと思っているので、その点についてもう一度御所見、お願いします。簡単でいいですよ。

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