奥田知志認定NPO法人抱樸理事長

2025年2月19日・第217回国会 参議院 国民生活・経済及び地方に関する調査会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 77 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 104 発言)

私も、実は学生時代から、九州に行ってからも、当時、自立障害者というような言い方で、地域で施設から出てきて独り暮らしされている方の寝かせの介護とかをしばらく何年か、十年ぐらいですかね、やっていた時期がありまして、本当にそのときまだ制度が整っていなかったので、もう自力で皆さんボランティアを募るという、それももう介護に行く方も自費で通うというところで、本当に大変なときをずっと横で見ていました。やっぱり自分らしく生きるということは、自分で決めて自分でやるということでは済まない、まさにいろんな人がそこに関わらないと成立しないということが本当身をもって、一緒にさせていただきました。

そんな中で、この相互性のある、依存先を増やすという言い方もよくされるんですけれども、私は当然、依存先を増やすんだけど、それは相互的に増やさないといけないというふうに思っております。その中でやっぱり大事だったポイントは、私たちどうしてもその等価価値交換の中で暮らしをしているんですね。例えば、コーヒー一杯三百円ですと言われたら三百円出さないとコーヒーもらえないという、同じ価値で交換するという。ただ、この助けての相互作用というのは、依存の相互性というのは必ずしもそういう数量的等価価値では成り立たないわけですよね。例えば、単純に言ったら、五つ助けたから今度は五つ助けてもらうみたいな単純な構造では測れないというところですね。

だから、その辺りを本当に柔軟に参加していけるような、やっぱりそこをコーディネートしていくような、すぐにあの人助けてもらってばっかりみたいな意識が社会の中には非常に先行していまして、ずるいという言い方です。これは社会保障全般にもそういう目線が投げかけられているので、結局、社会保障の枠にいる人たちと納税している人たちが対立構造になって、あいつらずるいと、もらってばっかりだみたいな話になるんですが、この辺りのやはり意識とか社会の全体の、何ですかね、モラルも含めた意識。特に私がやっぱり注意せないかぬなと思ったのは、そういう非常に等価価値交換の数量化されたような相互依存性みたいな話でいうと、権利みたいになっちゃうんですね。いい意味での権利は別ですよ。権利というか、何か取引ですね、ごめんなさい、権利というか取引になっちゃう。最近ディールという言葉が世界中ではやっていますけれども、このディールじゃないんだ、共に生きるというのはまさに権利の問題だし、生存そのものの問題なんだというところで、その相互的な依存を数量的に余り考えないという、そこのところはやっぱり相当大事な観点だというふうに考えてきました。

以上です。

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