私も、実は学生時代から、九州に行ってからも、当時、自立障害者というような言い方で、地域で施設から出てきて独り暮らしされている方の寝かせの介護とかをしばらく何年か、十年ぐらいですかね、やっていた時期がありまして、本当にそのときまだ制度が整っていなかったので、もう自力で皆さんボランティアを募るという、それももう介護に行く方も自費で通うというところで、本当に大変なときをずっと横で見ていました。やっぱり自分らしく生きるということは、自分で決めて自分でやるということでは済まない、まさにいろんな人がそこに関わらないと成立しないということが本当身をもって、一緒にさせていただきました。
そんな中で、この相互性のある、依存先を増やすという言い方もよくされるんですけれども、私は当然、依存先を増やすんだけど、それは相互的に増やさないといけないというふうに思っております。その中でやっぱり大事だったポイントは、私たちどうしてもその等価価値交換の中で暮らしをしているんですね。例えば、コーヒー一杯三百円ですと言われたら三百円出さないとコーヒーもらえないという、同じ価値で交換するという。ただ、この助けての相互作用というのは、依存の相互性というのは必ずしもそういう数量的等価価値では成り立たないわけですよね。例えば、単純に言ったら、五つ助けたから今度は五つ助けてもらうみたいな単純な構造では測れないというところですね。
だから、その辺りを本当に柔軟に参加していけるような、やっぱりそこをコーディネートしていくような、すぐにあの人助けてもらってばっかりみたいな意識が社会の中には非常に先行していまして、ずるいという言い方です。これは社会保障全般にもそういう目線が投げかけられているので、結局、社会保障の枠にいる人たちと納税している人たちが対立構造になって、あいつらずるいと、もらってばっかりだみたいな話になるんですが、この辺りのやはり意識とか社会の全体の、何ですかね、モラルも含めた意識。特に私がやっぱり注意せないかぬなと思ったのは、そういう非常に等価価値交換の数量化されたような相互依存性みたいな話でいうと、権利みたいになっちゃうんですね。いい意味での権利は別ですよ。権利というか、何か取引ですね、ごめんなさい、権利というか取引になっちゃう。最近ディールという言葉が世界中ではやっていますけれども、このディールじゃないんだ、共に生きるというのはまさに権利の問題だし、生存そのものの問題なんだというところで、その相互的な依存を数量的に余り考えないという、そこのところはやっぱり相当大事な観点だというふうに考えてきました。
以上です。
74木木村英子(れいわ)
れいわ新選組の木村英子です。
参考人の先生方、今日はありがとうございます。
初めに、藤井参考人に二つ質問いたします。
先ほどの資料の中で、二〇二三年障害のある人の地域生活実態調査では、半数以上の障害者の人が親や兄弟と同居しており、家族に依存しているという実態が示されています。
私自身も幼い頃から、家族だけでは育てられずに、施設へ預けられてきました。親亡き後は施設、それは今も変わらない重度障害者の現実です。地域移行がうたわれている現在においてもなお、障害者が社会で生活するための保障は進んでいませんし、家族に依存せざるを得ない状況は変わらず、むしろ施…
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75藤藤井克徳特定非営利活動法人日本障害者協議会代表
かなり根本的な問題で、十分にはお答えできないかも分かりませんが、私は、ちょっと今の質問から外れますけれども、自分が全盲になった頃からですかね、自分の心、心というか気持ちの中に、障害分野を見る物差しができ上がってきたんですね。もう権利条約ができるはるか前です。
一つ、一般市民の暮らしとの比べっこ。二つ、日本と同じような経済力を持った国の障害者政策との比べっこ。三つ、過去との比べっこ、一体変わったのか変わっていないのか、変わったとしたらその速度は妥当なのか。四つ、障害を持った人のニーズに照らしてどうなのか。この最後の四つ目が一番私は大事なような気がしていま…
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76木木村英子(れいわ)
ありがとうございます。
次に、奥田参考人に質問いたします。
先ほどのお話の中で、単身で暮らす方は別居する家族に頼ることが多く、近所の人に頼ることは少ないとおっしゃっていました。
奥田参考人のインタビュー記事を読ませていただいたんですが、自立とは一人で何でもできるようになることではない、相互性のある依存、つまりお互いさまの関係をたくさん結んでいくこと、それが自立につながっていくとおっしゃっていました。
障害者の生活は、親や家族だけに責任が負わされる中で、家族以外の人との相互性のある依存に結び付けることが困難な社会状況にあります。私が親から離れて地域…
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- (上の発言)
77奥奥田知志認定NPO法人抱樸理事長
私も、実は学生時代から、九州に行ってからも、当時、自立障害者というような言い方で、地域で施設から出てきて独り暮らしされている方の寝かせの介護とかをしばらく何年か、十年ぐらいですかね、やっていた時期がありまして、本当にそのときまだ制度が整っていなかったので、もう自力で皆さんボランティアを募るという、それももう介護に行く方も自費で通うというところで、本当に大変なときをずっと横で見ていました。やっぱり自分らしく生きるということは、自分で決めて自分でやるということでは済まない、まさにいろんな人がそこに関わらないと成立しないということが本当身をもって、一緒にさせていただきました。
そんな中で、この相互性のある、依存先を増やすという言い方もよくされるんですけれども、私は当然、依存先を増やすんだけど、それは相互的に増やさないといけないというふうに思っております。その中でやっぱり大事だったポイントは、私たちどうしてもその等価価値交換の中で暮らしをしているんですね。例えば、コーヒー一杯三百円ですと言われたら三百円出さないとコーヒーもらえないという、同じ価値で交換するという。ただ、この助けての相互作用というのは、依存の相互性というのは必ずしもそういう数量的等価価値では成り立たないわけですよね。例えば、単純に言ったら、五つ助けたから今度は五つ助けてもらうみたいな単純な構造では測れないというところですね。
だから、その辺りを本当に柔軟に参加していけるような、やっぱりそこをコーディネートしていくような、すぐにあの人助けてもらってばっかりみたいな意識が社会の中には非常に先行していまして、ずるいという言い方です。これは社会保障全般にもそういう目線が投げかけられているので、結局、社会保障の枠にいる人たちと納税している人たちが対立構造になって、あいつらずるいと、もらってばっかりだみたいな話になるんですが、この辺りのやはり意識とか社会の全体の、何ですかね、モラルも含めた意識。特に私がやっぱり注意せないかぬなと思ったのは、そういう非常に等価価値交換の数量化されたような相互依存性みたいな話でいうと、権利みたいになっちゃうんですね。いい意味での権利は別ですよ。権利というか、何か取引ですね、ごめんなさい、権利というか取引になっちゃう。最近ディールという言葉が世界中ではやっていますけれども、このディールじゃないんだ、共に生きるというのはまさに権利の問題だし、生存そのものの問題なんだというところで、その相互的な依存を数量的に余り考えないという、そこのところはやっぱり相当大事な観点だというふうに考えてきました。
以上です。
78木木村英子(れいわ)
ありがとうございます。
それでは、谷口参考人にお聞きします。
谷口参考人の資料によりますと、不登校や引きこもりなど学校復帰が困難な子供たちの支援のために佐賀県全ての公立学校の学校訪問を行って、子供たちの学校復帰の支援を学校や教育委員会と連携して取り組んでいると書かれていました。学校は子供たちにとって社会へ出るための大切な準備期間ですから、他者とのコミュニケーションや社会性を身に付けるためにも欠かすことのできない学びの場だと思います。
しかし、障害者は分離教育を余儀なくされている子供たちが多くて、健常児や他者とのコミュニケーションのつくり方、また社会…
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79谷谷口仁史認定特定非営利活動法人スチューデント・サポート・フェイス代表理事
重要な御指摘、ありがとうございます。
我々、実は、価値観のチャンネル合わせというところは、先ほど御指摘いただいたような外国人の子供たちもそうですが、実は、様々な多様な、多文化共生の考え方なんですね。やはり、今、時代的にはいい時代が来たのかもしれないというのが、ピンチはチャンスだという意味でいくと、これだけ不登校の子供たちが来て、学校も変わらざるを得なくなってきた、この状況にあるというふうに思います。
そういう意味でいくと、一人の孤立する子供たちが自立するまでのプロセスを再度見直していく、制度として学校教育の在り方というところを見直していくことによって…
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80木木村英子(れいわ)
ありがとうございました。
以上で終わります。
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