ちょっと済みません、今数字をぱっと用意できていないんですが、恐らく最後の年は五百万円がノルマであったというふうに記憶をしております。だんだんだんだんこれ立場が上がっていくと金額が大きくなるという仕組みでありました。ですから、五百万円が私の一つの最後のノルマだったというふうに思っております。
世耕弘成 (自由民主党)
2025年4月21日・第217回国会 参議院 予算委員会 第16号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 230 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 335 発言)
前後のやりとり
今、和歌山の方にはお売りにならないということは、これ去年三月十四日の政倫審の場で世耕参考人御自身も発言されておられましたが、この還付金の存在については、実は去年の政倫審の場でも、私は随分前から、十年以上前だと思いますけれども、認識をしておりました、還付金という仕組みがあること、それは知っていましたと繰り返し答弁をされていますが、一方で、深く考えることがなかった、深く考えることがありませんでした、還付金制度というものをほとんど意識しないでということは、どこかに意識はあったということではないかと思います。 そこで、先ほどもやり取りありましたが、令和四年四月…
これは安倍会長からの御指示でありますから、伝達漏れがあってはいけないということで、私は常にそういう政治家同士の連絡というのは、これ事務所を介さないで極力御本人の携帯電話に電話をさせていただいて直接伝えるということを当時モットーとしておりましたので、私は四月七日の安倍会長からの指示を受けて速やかにメンバー全員に電話をしたというふうに記憶をしております。
今答弁なさったとおり、昨年三月十四日のやり取りの際も、これはノルマどおりでいいんじゃないかということで、もうそのときは直ちに参議院議員に全員に連絡をさせていただきましたとおっしゃっておられますので、恐らくそうなんだと思います。 ところが、私さっきも申し上げましたとおり、世耕参考人を筆頭に二十九名全員分、本当に苦しい時間でしたし、悲しい時間でもありましたけれども、それぞれの弁明、質疑、拝聴する立場にございました。令和四年の四月のノルマどおりの連絡に関する各議員について、これやり取り行われています。この各議員の記憶については、今から申し上げるとおりでござい…
- (上の発言)
ちょっと済みません、今数字をぱっと用意できていないんですが、恐らく最後の年は五百万円がノルマであったというふうに記憶をしております。だんだんだんだんこれ立場が上がっていくと金額が大きくなるという仕組みでありました。ですから、五百万円が私の一つの最後のノルマだったというふうに思っております。
実際、昨年三月十四日、世耕参考人御自身が、二〇一九年、私は多分この年はノルマが五百万円ぐらいだったんじゃないかと思いますと発言なさっておられますし、これも本当に心苦しかったんですけれども、一期目で閣僚をおやりになった今回出席いただいた中のお一人が、もう一期目で閣僚になってしまって、ノルマが一気に上がってとってもつらかったという、こういう心情を吐露してくださった方もいらっしゃいましたので、まあ大体五百万ぐらいでないかと思いますが。 それでは、世耕参考人御自身のノルマの達成状況、この年は達成したとか、この年は達成しなかったとか、そういうのを把握でしたら、是…
これはですね、まあ二〇一二年ぐらいまでは、私はもう当時、ノルマ達成がかつかつであった。で、これは事務所にも、私は議員会館に大体おりましたので、今年は大丈夫かと言ったら、ノルマどおり何とか売れましたという報告を受けておりました。 私は二〇一二年十二月二十六日に第二次安倍政権の官房副長官に就任をいたしました。その頃からは、これは残念ながら議員会館の事務所に帰るのがそれこそ月に一日か二日、それも五分ぐらいということになりました。その辺りからまず非常に私は事務所の会計に対して私自身のチェックが甘くなっていった、これは否めないというふうに思っております。 それ…
私は、世耕参考人の昨年の政倫審の会議録については、冒頭申し上げましたとおり、公表はされませんが、議員は閲覧することができますので、閲覧して拝読をしてまいりました。今、月に一日か二日とおっしゃいましたが、昨年は、議員会館の事務所に立ち寄るのは年に三、四回、一回十分程度ですので、まあいろいろ揺れが生じているところでございます。 また、この間、二十九名の議員の弁明、質疑に臨むに当たって、ノルマは把握されている方いらっしゃるんです。ノルマも知らないという方がいらっしゃったんですけど、ノルマは把握している。達成しなかった場合は自腹をたくさん切ったとおっしゃるんで…