ありがとうございます。
そのような中で、では、参考人の皆さんとの、意見陳述等の中であった聖職ですね、聖職と専門性についてどういうふうに私は考えてきたかというと、私は教職を聖職と自分で考えてきたことは余りない、私は、極めて専門性が必要となる専門職的な意味合いで私は捉えてきました。その中にあって、やはり先ほども申し上げたように、夢とか希望とかを持って挑む、そしてその夢と希望を実現をしていく、そこに教職の大きな、大いなる魅力があるのではなかろうかというふうに思ってきました。企業でいえば歯車的なところで、だから、教師には、授業の手だて、学級経営も任せていただいているというところに、ほかの民間企業とは大きく違う魅力が私はそこにあるんだと思っておりました。
その中にあって、私は二十歳のときに一流の体育の教師になるという夢を描いて、人生の目標を掲げてそれで教職に飛び込みましたが、教育現場に入ってみたら、一流どころか普通にもなれていない自分と向き合わねばならず、三年間ぐらいもう地獄の苦しみでした。毎朝学校の前で、校門の前でUターンをして帰りたい、そんな時期が三年ぐらい続いて、円形脱毛のはげがもう三か所もできて、もう倒れる寸前でありました。
そういう中にあって、やはり教師に掛かる過度なストレスというのは非常にあるんだと思っておりましたが、その中にあって、絶えずやはり研究と修養に努めなければならないというこの一言が、一文が、やはり自分の中で、常にいい授業をしよう、目標である一流の教師になりたい、こういうところで、例えば教師になって十年過ぎた辺りに、水泳で何とか、一番その子供たちが苦手としている単元の中で水泳だけが、学校を休んでしまう、あるいは仮病を使ってプールに入らない、そういうことが起こり得る単元だったんですね、苦手な子にとっては。
ならば、公立、公教育の一端を預かる人間としては、教師としては、この水泳から問題解決に挑もうと思って、それで放課後に誰もいないプールで自分一人で練習に行くわけですね。練習に行くんですけど、子供たちは放課後、完全下校で帰った後、一人で行くでしょう、先生たちは、職員は残っているので、一時間して私が帰ってこなかったら何かあっているかもしれないから、ちょっと気にして見に来てくれとか、まあそんな状態でずっと練習を十日間ぐらいやって、それで、ああ、人間は例外なくみんな泳げるようになるんだということを見付けて、それを子供たちに丁寧に当てはめていったら、子供たちがあれよあれよという間に泳げるようになって、それから、でもしかし、五年掛かりました。
五年掛かって、二〇一〇年には教えている学年の子供たち、中には特別支援学級在籍の知的障害、情緒障害の子も含め、一人の例外も出さずにクロールで千メートル泳げるようになりまして、そして、平泳ぎは全員八百メートル、夢だと言っていたバタフライも全員が二十五メートル泳げるようになって、子供たちがバタフライを含む個人メドレーを全員ができたときに、子供たちが最後に、水泳の授業の最後に、単元の最後に感想を自由記述で書くんですね。その末尾がほとんど判で押したかのような同じ内容になってきました。そこには私は感謝と喜びがつづられるものだと思っていたら、それは感謝でも喜びでもなかったんですね。感謝や喜びは真ん中辺りにあって、まさかこんなに泳げるようになるとは思っていませんでした、先生ありがとうございました、真ん中辺りで。末尾はほとんど同じ内容。それは何だったかというと、だから、今回得たこの水泳の喜びを今度は数学で味わいたい、今度は英語で味わいたい、苦手だと思って諦めていたことにも挑戦をしたいという決意だったんですね、目標だったんです。
だから、子供たちにとって、私は、学校とはそのような形であるべきだということを子供から教えられました。だから、教えているつもりであっても教えられたなということは改めてそのときに、大きい、そこが私は衝撃的な感じでありました。
だから、水泳から始まっていったことを、これを、苦手としている生徒が多かったマット運動、それからハードル走に始めて、全ての運動単元で最初と最後が別人のようになるような学習指導方法を確立をして、そして最初の一時間目をビフォービデオ、最後の一時間取ったビデオをアフタービデオとして全員のビフォーアフタービデオを最後の一時間で見ることができるような、こういうふうな形を確立をすることができて、このビフォーアフタービデオを作るときは、最後のアフタービデオを撮影して、その視聴するのがその翌日だったりするわけですね。そうすると、その翌日にある授業に、二こま、三こまの授業がある場合は、そのレンダリング、編集してそれをコンピューターに命じて整えるだけで大体一時間半とか二時間とか掛かっていたんです、当時。だから、ほとんどその前の日は徹夜をしていたような、そういうふうな段階でありました。
しかし、身体的には苦しくても、精神的には大きな喜びに包まれていました。これを見たら子供たちがどんなに喜んでくれるだろうかと、というようなことを全ての運動単元で確立をすることができるようになっていきまして、それで、全ての運動単元でそのような授業を確立することができたんですけど、だけども、その最後に体育科通信を単元ごとに発行するときに、やはり大量な紙と印刷代が掛かっていったようなことは、教育現場としては紙代の不足とかインク代の不足とか、そういったところ等を手出しをしていったようなときもありました。
そういった、こういう専門性を追求していくということができるというのが教師の大きな魅力だと考えておりますけど、大臣の見解を伺いたいと思います。
74望望月禎文部科学省初等中等教育局長
下野委員御指摘のとおり、主務教諭になった、なる、命下される者がどういう学校内の状況が違う中で役割を果たしていくかということにつきましては、具体的には、任命権者から職として任命された後は、具体的なその校務分掌の在り方、担当の名称、例えば生徒会担当とか児童会担当とか、そういうのもあると思います。その各学校の実態に応じて決められるものだというふうに考えています。そこは機動的に考えていただければよろしいかと思います。
そのときに、新たな職務をどんどん主務教諭に付加して、そういう趣旨ではないということもしっかりこちらとしても御説明をしたいと思っておりますし、また…
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75
下野六太(公明)
是非そのような形で配慮をお願いしたいと思います。
続きまして、教職調整額と残業についてお伺いしたいと思いますが、教育公務員特例法の中で、教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければ、努めねばならないとある。私は、ここが民間の企業で働く皆さんとは違うところではないかというふうに思っています。この基となるのが、教育基本法からこれが出ているというふうに思っておりますが、ここの部分を、私は教職調整額というところで、中学校で三十年間勤務してきたときに私は守っていただいたなというふうに改めて思っているんですが。
どういうことかというと、…
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あべ俊子(自民)文部科学大臣
委員にお答えします。
教師におきましては、教師の自主的で自律的な判断、この基づく業務と、また、この校長等の管理職の指揮命令に基づく業務が日常的に本当に混然一体となって行われているこの職務の特殊性がございます。
そうした中で、給特法におきましては、時間外勤務手当ではなく、勤務の内外を包括的に評価していくというものとして教職調整額を支給することにしているところでございます。
教師の行うこの授業の準備、教材研究、ある意味終わりはないものでございまして、そうした中で、文部科学省といたしましては、管理職がその必要性を判断して、どこまでが時間外勤務手当の対象で…
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- (上の発言)
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下野六太(公明)
ありがとうございます。
そのような中で、では、参考人の皆さんとの、意見陳述等の中であった聖職ですね、聖職と専門性についてどういうふうに私は考えてきたかというと、私は教職を聖職と自分で考えてきたことは余りない、私は、極めて専門性が必要となる専門職的な意味合いで私は捉えてきました。その中にあって、やはり先ほども申し上げたように、夢とか希望とかを持って挑む、そしてその夢と希望を実現をしていく、そこに教職の大きな、大いなる魅力があるのではなかろうかというふうに思ってきました。企業でいえば歯車的なところで、だから、教師には、授業の手だて、学級経営も任せていただいているというところに、ほかの民間企業とは大きく違う魅力が私はそこにあるんだと思っておりました。
その中にあって、私は二十歳のときに一流の体育の教師になるという夢を描いて、人生の目標を掲げてそれで教職に飛び込みましたが、教育現場に入ってみたら、一流どころか普通にもなれていない自分と向き合わねばならず、三年間ぐらいもう地獄の苦しみでした。毎朝学校の前で、校門の前でUターンをして帰りたい、そんな時期が三年ぐらい続いて、円形脱毛のはげがもう三か所もできて、もう倒れる寸前でありました。
そういう中にあって、やはり教師に掛かる過度なストレスというのは非常にあるんだと思っておりましたが、その中にあって、絶えずやはり研究と修養に努めなければならないというこの一言が、一文が、やはり自分の中で、常にいい授業をしよう、目標である一流の教師になりたい、こういうところで、例えば教師になって十年過ぎた辺りに、水泳で何とか、一番その子供たちが苦手としている単元の中で水泳だけが、学校を休んでしまう、あるいは仮病を使ってプールに入らない、そういうことが起こり得る単元だったんですね、苦手な子にとっては。
ならば、公立、公教育の一端を預かる人間としては、教師としては、この水泳から問題解決に挑もうと思って、それで放課後に誰もいないプールで自分一人で練習に行くわけですね。練習に行くんですけど、子供たちは放課後、完全下校で帰った後、一人で行くでしょう、先生たちは、職員は残っているので、一時間して私が帰ってこなかったら何かあっているかもしれないから、ちょっと気にして見に来てくれとか、まあそんな状態でずっと練習を十日間ぐらいやって、それで、ああ、人間は例外なくみんな泳げるようになるんだということを見付けて、それを子供たちに丁寧に当てはめていったら、子供たちがあれよあれよという間に泳げるようになって、それから、でもしかし、五年掛かりました。
五年掛かって、二〇一〇年には教えている学年の子供たち、中には特別支援学級在籍の知的障害、情緒障害の子も含め、一人の例外も出さずにクロールで千メートル泳げるようになりまして、そして、平泳ぎは全員八百メートル、夢だと言っていたバタフライも全員が二十五メートル泳げるようになって、子供たちがバタフライを含む個人メドレーを全員ができたときに、子供たちが最後に、水泳の授業の最後に、単元の最後に感想を自由記述で書くんですね。その末尾がほとんど判で押したかのような同じ内容になってきました。そこには私は感謝と喜びがつづられるものだと思っていたら、それは感謝でも喜びでもなかったんですね。感謝や喜びは真ん中辺りにあって、まさかこんなに泳げるようになるとは思っていませんでした、先生ありがとうございました、真ん中辺りで。末尾はほとんど同じ内容。それは何だったかというと、だから、今回得たこの水泳の喜びを今度は数学で味わいたい、今度は英語で味わいたい、苦手だと思って諦めていたことにも挑戦をしたいという決意だったんですね、目標だったんです。
だから、子供たちにとって、私は、学校とはそのような形であるべきだということを子供から教えられました。だから、教えているつもりであっても教えられたなということは改めてそのときに、大きい、そこが私は衝撃的な感じでありました。
だから、水泳から始まっていったことを、これを、苦手としている生徒が多かったマット運動、それからハードル走に始めて、全ての運動単元で最初と最後が別人のようになるような学習指導方法を確立をして、そして最初の一時間目をビフォービデオ、最後の一時間取ったビデオをアフタービデオとして全員のビフォーアフタービデオを最後の一時間で見ることができるような、こういうふうな形を確立をすることができて、このビフォーアフタービデオを作るときは、最後のアフタービデオを撮影して、その視聴するのがその翌日だったりするわけですね。そうすると、その翌日にある授業に、二こま、三こまの授業がある場合は、そのレンダリング、編集してそれをコンピューターに命じて整えるだけで大体一時間半とか二時間とか掛かっていたんです、当時。だから、ほとんどその前の日は徹夜をしていたような、そういうふうな段階でありました。
しかし、身体的には苦しくても、精神的には大きな喜びに包まれていました。これを見たら子供たちがどんなに喜んでくれるだろうかと、というようなことを全ての運動単元で確立をすることができるようになっていきまして、それで、全ての運動単元でそのような授業を確立することができたんですけど、だけども、その最後に体育科通信を単元ごとに発行するときに、やはり大量な紙と印刷代が掛かっていったようなことは、教育現場としては紙代の不足とかインク代の不足とか、そういったところ等を手出しをしていったようなときもありました。
そういった、こういう専門性を追求していくということができるというのが教師の大きな魅力だと考えておりますけど、大臣の見解を伺いたいと思います。
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あべ俊子(自民)文部科学大臣
下野委員にお答えします。
下野委員のお話を聞いて、本当に感動いたしました。やはり、教師が専門性を持って、子供たちに学ぶことのこの達成感、私は、多分、下野先生が教えてくれた子供たちは、クロール、バタフライ、それができるだけじゃなくて、自分の達成感が自分を信じる力になり、その子たちの一生の生きる力になってきたんだろうなというふうに思います。先生がそうして本当に専門性をしっかりと自分で確立をしてくださりながら、子供たちをしっかりと教師として見てくださったこと、私、本当に尊敬申し上げる次第でございます。
そうした中で、教師は、子供たちの人生に対して本当に大き…
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下野六太(公明)
恐縮です。
若い人たち、青年たちに、教職というのはやはり自分の夢とか希望を持って挑んでいくことができるという、そして、それを子供たちと一緒になってかなえていくことができるというようなすばらしい仕事であるということをしっかり伝えていきたいというふうに思います。
文科省は、働き方改革についての質問になりますが、大枠を示して、地方の教育委員会は知恵と工夫を凝らして働きやすいような教育環境を整えるという関係性が好ましいと私は考えております。
福岡県の古賀市と福島市に共通するのは、放課後の仕事開始時間が十五時頃、これ小学校ですね、となり、勤務時間内に様々な仕…
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80望望月禎文部科学省初等中等教育局長
今、下野委員から御指摘の古賀市につきましては、四月十五日の当委員会におきましても、給特法の質疑に入る前に既に御紹介を下野先生からいただきました。
参考人の先生からもいただいたところのものでございますけれども、これは夏季休業期間の短縮等によりまして授業日数を増加させることによって、六時間授業、一日の六時間授業を週一日としていると。福島市においては、また別の取組として、標準を上回る授業時数をゼロにして、その上で児童の休み時間の短縮など一日の日課表を見直していると。これ、それぞれの学校でもできる工夫だと思っています。それが、子供たちに対するいわゆる余裕とか、…
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