御質問ありがとうございます。
私も、柔軟性であったり裁量という言葉はとても大切な言葉だなというふうに思っております。そのときに、柔軟性あるいは裁量性、言葉は一つでも、歴史の中でちょっと意味合いが異なっているのかなというふうに考えております。多くの人が思っている以上に、戦前にも実は柔軟性や裁量性も部分的にはございました。
例えば、授業時数ですと、週二十こまという形に決まっておりますから、これは大変分かりやすいですよね。年間千十五時間やりましょうと言われるよりも、二十こまやりましょうというとイメージがしやすいので、このときは教員も子供も、学校での学習というのは、教育というのはこういうことなんだということが理解されていて、それを把握した上で、じゃ、今日はちょっと校外に、遠足に行ってみようかとか、そういった裁量であったり柔軟性が実はございました。
これは戦後も同じでして、やはり一九八〇年代、九〇年代ぐらいまで、ちょっと細かな話になりますけれども、戦前の今ちょっと分かりやすい仕組みについてお話ししましたが、戦後も、年千十五こまという世界には入りましたけれども、実はこれ、三十五の倍数を使うことによって、全部の教科、領域、ずっと三十五の倍数で割り切れていました。だから、音楽七十と言われても、三十五で割れば二こまということで、このときは子供も先生も時間割りをしっかり把握。
私のような世代は、学校に行きますと、新学期に小さな時間割り表をもらいました。それに国語、算数、理科、社会と書いて、ランドセルにセルロイドの窓がついていて、一年間それで時間割りがもったんですけれども、今はもう三十五の倍数を崩してしまっていますので、音楽五十と言われてしまったら、今週は一こまだけれども来週は二こま、もう先生方はくるくるくるくる授業時数を変えることにお時間を使っています。
かつてあったような、シンプルなところがしっかりシンプルに決まっていて、その中で裁量性を発揮するという世界と、恐らく渋谷は、午前中、学習して、午後、活動的なこと、探求的なことをやるというのは、これも戦前の教育実践から続いているよいやり方を継承している意味のある実践だと思うんですが、恐らくそれをやるのに相当の苦労をされているのではないかな、そういうふうに考えております。
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中村裕之(自民)
次に、浮島智子君。
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浮島智子(公明)
公明党の浮島智子でございます。
本日は、四人の参考人の皆様方には、貴重な御意見をいただき、またお時間をいただきましたこと、心から感謝を申し上げさせていただきたいと思います。本当にありがとうございます。
今国会においては、いわゆる給特法について、私は七回ほど質疑に立たせていただきました。その中で、学校の働き方改革の目的は、やはり学校業務の三分類、これを徹底し、教師が教師でなければできない業務にしっかりと集中するようにして、教材研究あるいは研修等に取り組む余白を確保することによって、子供たちの特性や関心に応じた教育の充実を図ることが大切であるということも…
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59無無藤隆白梅学園大学名誉教授
渋谷区などについては、御指摘の学校などにおいて、実は幼児教育からのつながりを非常に先導的に図っておられます。その場合に、小学校、特に低学年の進め方について相当に柔軟にやられております。それは、既に現行の学習指導要領においても、低学年の教育においては合科、関連的な指導を十分行っていいのだということが明記されておりますので、それに従ってやれるところがたくさんあるということであります。
その際に、先ほど申し上げましたけれども、例えば低学年の場合には、算数を学ぶというときにリンゴが幾つとかという足し算がありますが、それは、例えば生活科の中の実際の活動の中でいろ…
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- (上の発言)
60大大森直樹東京学芸大学現職教員支援センター機構教授
御質問ありがとうございます。
私も、柔軟性であったり裁量という言葉はとても大切な言葉だなというふうに思っております。そのときに、柔軟性あるいは裁量性、言葉は一つでも、歴史の中でちょっと意味合いが異なっているのかなというふうに考えております。多くの人が思っている以上に、戦前にも実は柔軟性や裁量性も部分的にはございました。
例えば、授業時数ですと、週二十こまという形に決まっておりますから、これは大変分かりやすいですよね。年間千十五時間やりましょうと言われるよりも、二十こまやりましょうというとイメージがしやすいので、このときは教員も子供も、学校での学習というのは、教育というのはこういうことなんだということが理解されていて、それを把握した上で、じゃ、今日はちょっと校外に、遠足に行ってみようかとか、そういった裁量であったり柔軟性が実はございました。
これは戦後も同じでして、やはり一九八〇年代、九〇年代ぐらいまで、ちょっと細かな話になりますけれども、戦前の今ちょっと分かりやすい仕組みについてお話ししましたが、戦後も、年千十五こまという世界には入りましたけれども、実はこれ、三十五の倍数を使うことによって、全部の教科、領域、ずっと三十五の倍数で割り切れていました。だから、音楽七十と言われても、三十五で割れば二こまということで、このときは子供も先生も時間割りをしっかり把握。
私のような世代は、学校に行きますと、新学期に小さな時間割り表をもらいました。それに国語、算数、理科、社会と書いて、ランドセルにセルロイドの窓がついていて、一年間それで時間割りがもったんですけれども、今はもう三十五の倍数を崩してしまっていますので、音楽五十と言われてしまったら、今週は一こまだけれども来週は二こま、もう先生方はくるくるくるくる授業時数を変えることにお時間を使っています。
かつてあったような、シンプルなところがしっかりシンプルに決まっていて、その中で裁量性を発揮するという世界と、恐らく渋谷は、午前中、学習して、午後、活動的なこと、探求的なことをやるというのは、これも戦前の教育実践から続いているよいやり方を継承している意味のある実践だと思うんですが、恐らくそれをやるのに相当の苦労をされているのではないかな、そういうふうに考えております。
61堀堀田龍也東京学芸大学教職大学院教授
浮島先生、御質問ありがとうございました。
私は、大事なことは三つあると思っております。
まず一つ目は、弾力的に運用できるような学習指導要領、渋谷のようなことがどこの学校でも校長のリーダーシップの下でできるような、そういう学習指導要領の柔軟性みたいなことがまず一つ。これは、次の学習指導要領はそういう方向に向かっていると思っております。
二つ目は、子供たちが自分の学びたいことをしっかりと自覚できているかどうかということだと思います。これは、いろいろな勉強の中で、僕は特にここに興味があるみたいなことを語る場があればあるほど子供たちは自覚できるようになりま…
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62澤澤田稔上智大学総合人間科学部教授/教職・学芸員課程センター長
御質問ありがとうございます。
私も、そういった探求型の学びが拡充していくことというのは非常に大事なことだろうというふうに考えております。
それで、御質問いただいて二つのことを考えておりますけれども、一つは、今までの知識中心の学習指導要領の場合には、それが書き込まれたらそれを教えるということでストレートにそれを受け止めればよかったんですけれども、探求型というのは子供たちの主体的な学びということになりますので、私の解釈でいうと、先生がレールを敷いているだけでは駄目ということになるので、どうしてもやはり試行錯誤、失敗もあるし、それから、生徒に振り回される。…
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浮島智子(公明)
ありがとうございました。
また、給特法をめぐる審議の中であったのは、教育課程の実施に伴う負担について、これも議論になりました。この点について、教師の働き方の視点のみならず、子供たち一人一人がこれからの時代で幸福に生きていくために必要な教育を実現するという、学習者の視点で考えるということも重要だと我々は訴えてまいりました。
例えば学習内容については、昔と比べて学習をする内容が多岐にわたるという指摘もあります。また、単に減らしていけばよいというのではないということもあります。以前にも増して高度化、複雑化する社会の中で、子供たちが幸福に生き抜いていくために…
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