最後二十五分、よろしくお願いいたします。
まず、この背景に何があるんだというので、デュアルユース研究の話をする方がよくおられます。私自身は、デュアルユースの研究についてはどんどんやればいいと思っています。ここに科学技術の発展があると思っています。したがって、その意味で、デュアルユース研究批判をする方の意見に一切私は同意いたしません。まずこの点を申し上げたいと思います。
しかしながら、同時に、私は、フランスの哲学者、ボルテールが言った、私はあなたの言うことに同意しない、しかし、私はあなたがそれを言う権利を持てるよう死ぬまで闘うと。フランスのボルテールはそういうふうに言ったんですね。
私自身、このフレーズをとても大事にしています。先ほど私はデュアルユース研究に反対する方に全く同意しないと言いましたが、それを言うことができる権利をしっかりと保障することというのは自由主義そして民主主義に不可欠な原則であろう、そう思って、国政に立つ政治家として今歩んでおります。
さらに、私は、今回の質疑に臨むに当たって、ちょっと古いんですけれども、有名なドイツの神学者、マルチン・ニーメラーという人間の詩をかみしめました。そのまま読み上げます。
ナチスが共産主義者を連れ去ったとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者でなかったから。彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声を上げなかった。社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員らを連れ去ったとき、私は声を上げなかった。労働組合員ではなかったから。彼らが私を連れ去ったとき、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった。
そういう詩であります。
私は、学術の独立性というのはとても大事なことだと思っています。仮に、今回の法律が、例えばデュアルユース研究とかで、ちょっと厄介なことを言っているな、うるさいなと、自粛効果が働くように、ちょっと締めつけてやれというような思いがあり、その独立性が損なわれるとき、もしかしたら次は自分かもしれないという危機感は大切にしたい、そう思っています。
その上で、質疑に入っていきたいと思っております。
まず、任命拒否について。
昭和五十八年五月十二日の参議院文教委員会において、中曽根康弘総理大臣は、これは、学会やら学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません、したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えておりますと、中曽根総理大臣が日本学術会議の任命について、そう答弁しておられます。
一方、政府は、平成三十年十一月十三日、この件がわあっと盛り上がったときですね、「日本学術会議法第十七条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」、当時出したペーパーにおいて何と言っているかというと、「内閣総理大臣に、日学法第十七条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。」そう言っています。
これは実は、政府が言っている、推薦のとおりに任命する義務があるとまでは言えないと考えられるというのは、当たり前のことを言っているだけなんですね。当時も例示に上がりましたけれども、定員より多い推薦が上がった場合とかは、推薦どおりにならないわけですよね。その当たり前のことを言っているだけであって、法的義務として、そんなものを、推薦どおりに任命しなきゃいけない義務なんて、どこにも今の日学法に書いてないし、ないんです。
しかし、中曽根答弁によって、行政として、法的義務を補完する形で任命するべき、義務と呼ぶかどうかは分かりませんけれども、そういう責務を負ったのではないかと思いますが、内閣府官房長、いかがでしょう。
297
坂井学(自民)国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣(防災・海洋政策)
この法案は、国の機関から学術会議を独立をさせ特殊法人化をし、そして独立性も機能も強化をする中で、様々社会の期待に応えられる、そして世界のナショナルアカデミーとして冠たる地位をまた築くといったことを期待をして、また求めて、独立をするということで特殊法人化、そして、その後も国からお金を入れるという、補助として入れるということから、最低限の説明責任等々に関する仕組みを入れて、できる限り独立をした、いわば学術会議自らが決める、運営をしていく、こういった組織に変えることを目指してこの法案化をしたものであり、委員御指摘の点を考えてというのは違っております。
この発言のページ
298
塩川鉄也(共産)
歴史的経緯を考えれば私が申し上げたとおりで、防衛省の軍事研究の推進の背景には、安倍政権の下での集団的自衛権行使容認の安保法制があるわけであります。軍学共同を進める安倍官邸が学術会議の会員選考に介入をしたというのが出発点です。
この六人の任命拒否、そして本法案の撤回を求めて、質問を終わります。
この発言のページ
299
大岡敏孝(自民)
次に、緒方林太郎君。
この発言のページ
- (上の発言)
300緒緒方林太郎政府参考人など
最後二十五分、よろしくお願いいたします。
まず、この背景に何があるんだというので、デュアルユース研究の話をする方がよくおられます。私自身は、デュアルユースの研究についてはどんどんやればいいと思っています。ここに科学技術の発展があると思っています。したがって、その意味で、デュアルユース研究批判をする方の意見に一切私は同意いたしません。まずこの点を申し上げたいと思います。
しかしながら、同時に、私は、フランスの哲学者、ボルテールが言った、私はあなたの言うことに同意しない、しかし、私はあなたがそれを言う権利を持てるよう死ぬまで闘うと。フランスのボルテールはそういうふうに言ったんですね。
私自身、このフレーズをとても大事にしています。先ほど私はデュアルユース研究に反対する方に全く同意しないと言いましたが、それを言うことができる権利をしっかりと保障することというのは自由主義そして民主主義に不可欠な原則であろう、そう思って、国政に立つ政治家として今歩んでおります。
さらに、私は、今回の質疑に臨むに当たって、ちょっと古いんですけれども、有名なドイツの神学者、マルチン・ニーメラーという人間の詩をかみしめました。そのまま読み上げます。
ナチスが共産主義者を連れ去ったとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者でなかったから。彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声を上げなかった。社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員らを連れ去ったとき、私は声を上げなかった。労働組合員ではなかったから。彼らが私を連れ去ったとき、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった。
そういう詩であります。
私は、学術の独立性というのはとても大事なことだと思っています。仮に、今回の法律が、例えばデュアルユース研究とかで、ちょっと厄介なことを言っているな、うるさいなと、自粛効果が働くように、ちょっと締めつけてやれというような思いがあり、その独立性が損なわれるとき、もしかしたら次は自分かもしれないという危機感は大切にしたい、そう思っています。
その上で、質疑に入っていきたいと思っております。
まず、任命拒否について。
昭和五十八年五月十二日の参議院文教委員会において、中曽根康弘総理大臣は、これは、学会やら学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません、したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えておりますと、中曽根総理大臣が日本学術会議の任命について、そう答弁しておられます。
一方、政府は、平成三十年十一月十三日、この件がわあっと盛り上がったときですね、「日本学術会議法第十七条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」、当時出したペーパーにおいて何と言っているかというと、「内閣総理大臣に、日学法第十七条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。」そう言っています。
これは実は、政府が言っている、推薦のとおりに任命する義務があるとまでは言えないと考えられるというのは、当たり前のことを言っているだけなんですね。当時も例示に上がりましたけれども、定員より多い推薦が上がった場合とかは、推薦どおりにならないわけですよね。その当たり前のことを言っているだけであって、法的義務として、そんなものを、推薦どおりに任命しなきゃいけない義務なんて、どこにも今の日学法に書いてないし、ないんです。
しかし、中曽根答弁によって、行政として、法的義務を補完する形で任命するべき、義務と呼ぶかどうかは分かりませんけれども、そういう責務を負ったのではないかと思いますが、内閣府官房長、いかがでしょう。
301松松田浩樹内閣府大臣官房長
お答え申し上げます。
先ほど委員御指摘になりましたとおり、これまでも私どもも繰り返し答弁しておりますけれども、公務員の選定、罷免権が国民固有の権利であるという考え方に照らせば、国家公務員である日本学術会議の会員任命に当たって、任命権者たる内閣総理大臣が学術会議の推薦どおりに必ずしも任命しなければならないというわけではないと、まず考えております。
この点、中曽根総理答弁との関係につきましては、御参考までに、これまでも国会の場で、内閣法制局長官が、例えばですが、総理答弁のございました昭和五十八年の日本学術会議法の立案以前から、個別の法律において、ある行政…
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302緒緒方林太郎政府参考人など
いや、正直何を言っているか分からないんですよね。多分、聞いている人の中で分かった人、いないですよ。
法的義務としてそんなものがないというのは、私、分かったと言っているんです、分かったと言っている。それは、日学法にそんなことは書いてないし、先ほど言ったように、定員を超えて推薦が来たときにそれを受ける必要がない。そこに穴が空いているわけですよね。
しかも、政府が出しているペーパーは、よく読んでみると、「任命すべき義務があるとまでは言えない」と言っているんですね。義務がないとは一言も言っていないんです。あるとまでは言えないというのは、霞が関文学において、義…
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303松松田浩樹内閣府大臣官房長
失礼いたします。
繰り返しになるところをお許しいただければと思いますが、先ほど私が申し上げましたのは中曽根総理答弁との関係でございます。推薦のとおりに必ず任命するという義務があるという考え方に基づいてそういった一連の答弁がされていたとは考え難いというのが法制局長官の答弁であるということを、先ほど私は紹介いたしました。
したがって、底流にある一連の考え方は、先ほど来申し上げておりますような、公務員の終局的任命権が国民にある、こういう国民主権の原理との調整が必要であると政府として理解してきたところと。これは、いろいろな議論がありました、昭和五十八年の議論…
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