ありがとうございます。
今お話の中で、IBMやimecなどと提携していくみたいな話もあったと思いますけれども、これがどこまで技術移転とかノウハウの獲得みたいなものにつながっていくのか、これは、何か具体的な契約内容みたいなものは明かせないまでも、どの範囲まで技術供与を受けられるかみたいなことをお答えすることは可能でしょうか。
2025年4月2日・第217回国会 衆議院 経済産業委員会 第6号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 137 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 217 発言)
ありがとうございます。
今お話の中で、IBMやimecなどと提携していくみたいな話もあったと思いますけれども、これがどこまで技術移転とかノウハウの獲得みたいなものにつながっていくのか、これは、何か具体的な契約内容みたいなものは明かせないまでも、どの範囲まで技術供与を受けられるかみたいなことをお答えすることは可能でしょうか。
まず、先ほどの、午前の山崎誠委員の質疑の中で、ラピダスの設立の経緯に関する御質問に対して、二ナノ世代の量産化の話がIBMから持ち込まれた時期について、二〇〇〇年と私言い間違えてしまったようでございまして、正しくは二〇二〇年でございます。訂正しておわび申し上げます。 それで、平岩委員の御質問についてでございますが、近年、最先端半導体の製造に要する期間が長期化しておりまして、顧客側で短納期での製造を求めるニーズが高まっております。 ラピダスは、このような状況変化をよく踏まえまして、その製造方法について、複数のウェハーをまとめて処理する従来のバッチ式ではな…
ありがとうございます。 午前中からの質疑にもありましたように、やはり、もちろん支援していかなくてはいけないというのは分かっているんですけれども、ひっかかるのは、要は、これまでに半導体産業の支援を行ってきたが、エルピーダメモリの事例など、必ずしも成功に至らなかったプロジェクトがあるわけです。一九九〇年代のあすかプロジェクト、二〇〇〇年代のMIRAIプロジェクト、いずれも、期待された成果を上げられずに、国内半導体産業の国際競争力を回復するには至りませんでした。 エルピーダメモリは、一九九九年に日本のDRAM産業を再興する目的で設立されましたが、最終的に、…
過去の半導体政策の総括でございますが、MIRAI、あすかなど、半導体に関する研究開発プロジェクト、国プロ、幾つも二〇〇〇年代にかけてやっておりましたけれども、一定の先端要素技術の確立に貢献した部分はあったかと思いますが、一方で、日本の半導体産業の凋落トレンドを反転できなかったという結果から見て、期待された成果を十分上げなかったということは事実ではないかと思います。 その要因としては、当時、日本の半導体企業は結構まだ数が残っておりまして、多数の国内企業が参加する中で主体的にリードする企業がはっきりしなかった。あるいは、アカデミアの研究者の方が研究開発リー…
ありがとうございます。
今お話の中で、IBMやimecなどと提携していくみたいな話もあったと思いますけれども、これがどこまで技術移転とかノウハウの獲得みたいなものにつながっていくのか、これは、何か具体的な契約内容みたいなものは明かせないまでも、どの範囲まで技術供与を受けられるかみたいなことをお答えすることは可能でしょうか。
IBMは、GAAという、今の最先端の半導体の構造を最初に開発したと発表した企業でございます。その企業から技術の供与を受けまして、千歳の、今造っている、もうテストラインは稼働しますけれども、この千歳のラインに今年技術移管するということで進んでおりますので、量産技術を確立するところまで、両社の、ラピダスとIBMのパートナーシップで進めていくということになっておりますし、imecも、EUVの技術を中心に半導体の世界的なトップの研究機関でございますから、ラピダスとパートナーシップを組んで、必要なサポートを受けられるということになっております。 この両社に限らず…
それでは、先ほど少しお話に出ましたエルピーダメモリをちょっと振り返るということをやっていきたいと思います。 このエルピーダメモリは、言うまでもなく、二〇〇〇年にNEC、日立製作所、三菱電機のDRAM事業を統合して設立され、当時の日本政府は、この統合を支援して、エルピーダメモリが国際競争力を持つ企業へ成長することを期待したわけです。しかしながら、二〇一二年に経営破綻し、結果的に、外資企業であるマイクロンテクノロジーに買収された。 先ほどお答えいただいたように、この背景には、市場競争の強化とか技術革新のスピードの速さとか財務、複雑な要因があったとは考えら…
エルピーダは、円高や、それから東日本大震災の後のサプライチェーンの途絶という状況だった、非常に特殊なダウンターンのところで行き詰まったわけですけれども、そのときにやはり流動性が供給が十分されていれば潰れることはなかったというふうに思いますけれども、それが、流動性を機動的に政府が供給する仕組みがメカニズムとしてそのとき十分なかったということが言えると思います。民間の銀行団がこれはこれ以上追加で貸しませんよと言ったときに、それで行き詰まっちゃったということでございます。 当時経営されていたのが坂本さんという方で、その人からヒアリングしたことを日経新聞の小柳…