御質問ありがとうございます。
私どもの思いをどうやってロシアに伝えていくかという話でありますけれども、これは、戦後八十年たって、それから、ビザなし交流が三十年間続きました。それまでは北方四島というのは実は拿捕のときだけに行ける島でありまして、それが、平成四年にビザなし交流が始まって、初めて根室の花咲港というところにマリーナ・ツベターエワ号というものが十九人の皆さんを連れてきました。どんな方が来るんだろうなと思ったら、ちょっと体形はふくよかでありますけれども、本当に笑顔のすてきな皆さんでありました。
それから三十年間、交流が始まって、そのときのテーマは、やはり私ども元島民の思いをどう隣の島の皆さんに伝えるかということであります。そんな意味では、三十年間伝わってきたその積み重ねというのは非常に大きなものがあります。
実は、先般のカズワンの事故のときにも、国後に流れ着いた御遺体、これはもしかしたらカズワンの方ではないだろうかと、根室市民に入りました。それが海上保安に行って、御遺体の引取りにつながって、彼は、その後も国後の海を、海岸を一生懸命捜してくれたということであります。
そういうことでありますので、交流の機会さえあれば気持ちというのはつながるということは、私、人と人でありますので、信じております。それが今、できない。
それから、そのビザなし交流が始まる前までは、国際的に言えば、例えばニューヨークに行ったり、国際的な、北方領土問題を世界に訴えてまいりましたけれども、これは、ビザなし交流が始まって、ゴルバチョフが来て、北方領土問題があるということで両方認識しましたので外の世界に訴えるということはなくなりましたけれども、ただ、今また現状が変わりましたので、今度、この状況の中でどのように訴えていくか。
まず、世界にどう訴えていくか、また、ロシアにどういうふうに訴えていくか、これはしっかり皆さんと一緒に考えて対応をしたいと思いますし、そういう意味では、人と人とのつながりというのは、社会情勢がどうであっても私はやはり信ずるべきだと思います。
以上であります。
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吉田宣弘(公明)
済みません、また今のお話を受けてなんですけれども、ワーカーズコープ、これは実は観光産業でも取り入れられるんじゃないんだろうかというふうに私はちょっと思っておるんですね。
特に地域、那覇とか都会というよりも、まさに離島であったりとか、都会じゃない沖縄の地域においては非常に、ワーカーズコープを使っての観光産業というものが私は何かできるのではないか。先生は今書店のお話をされましたけれども、私も実は書店の振興の公明党の一員でございまして、書店の減少については非常に危機感を持っている一人なんです。
そういった、観光においてもできるのではないかという気がするんで…
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67古古波藏契東京科学大学未来社会創成研究院准教授
マクロな質問と捉えてしまって、意図を酌みかねて、失礼しました。
おっしゃるとおりかなと思います。労働者協同組合の法人としての強さというのは、なかなかうまく言語化されていないところがあるんですけれども、明確にここは強みだなと経験を通しても言えるのは、感情労働の領域ですね。
つまり、例えばホテルで、ああ、ここに来てよかったなと思えるのというのは心からおもてなしを受けたときだと思うんですけれども、人の心、言ったら他人が来ているだけなので、本当にこの人をもてなすというのは、深い深い演技、自分でも本当にそう思わないといけないようなかなりレベルの高い労働になって…
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吉田宣弘(公明)
先生、ありがとうございました。
もうだんだんだんだん時間がちょっとなくなってきちゃったので、あと一問、最後の質問ですけれども、これは石垣参考人にちょっとお聞きします。松本参考人に聞くか石垣参考人に聞くかさんざん迷って今決めたんですけれども。といいますのも、実は政治家に聞こうというふうなことでございます。
実は、北方領土の問題の前提として、客観的な事実は私も勉強してきたんですけれども、松本参考人のふるさとである択捉島、これは沖縄本島の二・七倍の面積があるということを知りました。また、国後島においても、沖縄本島よりも大きい。択捉島においては、九州、四国の…
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- (上の発言)
69石石垣雅敏北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会会長/根室市長
御質問ありがとうございます。
私どもの思いをどうやってロシアに伝えていくかという話でありますけれども、これは、戦後八十年たって、それから、ビザなし交流が三十年間続きました。それまでは北方四島というのは実は拿捕のときだけに行ける島でありまして、それが、平成四年にビザなし交流が始まって、初めて根室の花咲港というところにマリーナ・ツベターエワ号というものが十九人の皆さんを連れてきました。どんな方が来るんだろうなと思ったら、ちょっと体形はふくよかでありますけれども、本当に笑顔のすてきな皆さんでありました。
それから三十年間、交流が始まって、そのときのテーマは、やはり私ども元島民の思いをどう隣の島の皆さんに伝えるかということであります。そんな意味では、三十年間伝わってきたその積み重ねというのは非常に大きなものがあります。
実は、先般のカズワンの事故のときにも、国後に流れ着いた御遺体、これはもしかしたらカズワンの方ではないだろうかと、根室市民に入りました。それが海上保安に行って、御遺体の引取りにつながって、彼は、その後も国後の海を、海岸を一生懸命捜してくれたということであります。
そういうことでありますので、交流の機会さえあれば気持ちというのはつながるということは、私、人と人でありますので、信じております。それが今、できない。
それから、そのビザなし交流が始まる前までは、国際的に言えば、例えばニューヨークに行ったり、国際的な、北方領土問題を世界に訴えてまいりましたけれども、これは、ビザなし交流が始まって、ゴルバチョフが来て、北方領土問題があるということで両方認識しましたので外の世界に訴えるということはなくなりましたけれども、ただ、今また現状が変わりましたので、今度、この状況の中でどのように訴えていくか。
まず、世界にどう訴えていくか、また、ロシアにどういうふうに訴えていくか、これはしっかり皆さんと一緒に考えて対応をしたいと思いますし、そういう意味では、人と人とのつながりというのは、社会情勢がどうであっても私はやはり信ずるべきだと思います。
以上であります。
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吉田宣弘(公明)
四人の参考人の皆様、本当にありがとうございました。
ここで私の質問を終わります。
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逢坂誠二(立憲)
次に、山川仁君。
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山川仁(れいわ)
れいわ新選組の山川仁です。
本日は、参考人の四人の皆様方の貴重なお時間、そしてまた御提言などをいただきまして、本当にありがとうございます。しっかりと活動に生かしていきたいと思っております。
それでは、早速ですが、皆様方のお手元に資料を配付させていただいております。
まず、一ページと二ページ目の資料については、今回、参議院議員の西田議員が、ひめゆり発言、言われて、先ほど立憲の屋良議員からも本永参考人、古波藏参考人から御意見を頂戴したところですが、御承知のとおり、沖縄県那覇市で開かれたシンポジウムにおいて参議院の西田発言が行われています。
我々として…
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