九七年、この当時は沖縄の防衛施設局が代替施設の検討に当たって土質調査を行った結果、辺野古の沖合の地点で沖積層の存在が確認された。その地点の一部は平成十四年、二〇〇二年七月の沖縄の辺野古沖合に代替施設を建設する案、いわゆる海上案の建設場所に含まれていると承知をいたしております。
一方で、海上案につきましては、当時、具体的な設計を行う段階にはなくて、建設場所における地盤改良の必要性については詳細な検討は行っておらず、那覇の防衛施設局としては、地盤改良の必要性を把握していたものではなかった。つまり、海上案が浮上しておりましたので、その必要性はなかったというふうに承知しております。
8
赤嶺政賢(共産)
大臣、はしょって、いろいろ問題のあるところを飛ばして答弁する必要はないですよ、一問一問聞いていきますので。しかも、私、今日は十五分しかないので、端的にお願いします。
当時の稲嶺知事は、代替施設を受け入れる上で、県民が納得できる条件として、軍民共用それから使用期限十五年を設けて、苦渋の選択をしたわけですね。一九九九年ですよ。国、県、名護市による基本計画の策定や作業の経緯を踏まえれば、絶対にL字型案、2プラス2は容認できるものではないという、怒りに満ちたコメントを出しております。
九九年当時、国、県、名護市の三者で合意したことは、先ほどの大臣の答弁にもあ…
この発言のページ
9
中谷元(自民)防衛大臣
その後、丁寧に政府と沖縄県並びに地元の名護市と協議が続けられておりました。そこで、二〇〇六年、名護市の市長選挙において、新たな案への反対を掲げた島袋氏が当選しましたけれども、その後、国との協議の結果、島袋市長と東村長がV字案の基本合意書を締結いたしまして、その後、稲嶺知事が額賀長官とV字案に係る基本確認書を締結されました。
その後、協議会が設置をされまして、何度も開催をされたわけでございますが、結局、二〇〇六年の十一月に沖合移転を公約に掲げた仲井真知事が当選をされまして、その後、実質的に協議が続けられたということでございます。
この発言のページ
10
赤嶺政賢(共産)
大臣、私は、九九年の合意、これは沖縄県、名護市、国、合意していた三者合意、しかし、それをほごにしたんですよ、あなた方は。十五年使用期限もほごにした、軍民共用空港もほごにした。その責任は国にあるんじゃないですか。自らの責任を頬かむりにして、県に責任を転嫁するなどというのは絶対に許されるものではありません。閣議決定までしたものを閣議決定でほごにする、こんなやり方がありますか。
更に伺いますが、二〇〇二年に合意された軍民共用空港の建設場所は、沖合二・二キロの辺野古側の海域でした。防衛大臣、そこは軟弱地盤はありましたか。
この発言のページ
- (上の発言)
11
中谷元(自民)防衛大臣
九七年、この当時は沖縄の防衛施設局が代替施設の検討に当たって土質調査を行った結果、辺野古の沖合の地点で沖積層の存在が確認された。その地点の一部は平成十四年、二〇〇二年七月の沖縄の辺野古沖合に代替施設を建設する案、いわゆる海上案の建設場所に含まれていると承知をいたしております。
一方で、海上案につきましては、当時、具体的な設計を行う段階にはなくて、建設場所における地盤改良の必要性については詳細な検討は行っておらず、那覇の防衛施設局としては、地盤改良の必要性を把握していたものではなかった。つまり、海上案が浮上しておりましたので、その必要性はなかったというふうに承知しております。
12
赤嶺政賢(共産)
辺野古側というのは水深の浅い海域で、軟弱地盤も確認できていませんでした。ところが、それを大浦湾にかかる形で変更したのが二〇〇五年の日米合意であります。
今、軟弱地盤の改良工事のために大幅な工期の延長が必要になっています。普天間基地の返還が更に遅れる原因をつくったのは、軟弱地盤が広がる大浦湾側に建設場所を変更した日本政府の責任ではありませんか。
この発言のページ
13
中谷元(自民)防衛大臣
これは、やはり二〇〇五年、二〇〇六年当時、国と沖縄県並びに名護市長等と話合いをしまして、このときに海上案、辺野古沖埋立てが要望されたわけでございますが、その後、V字案などが提案をされまして、先ほどお話をしたとおり、地元の皆様方との合意をするべく協議会を設置いたしまして話合いをした結果、仲井真知事等も当選されましたので、それで環境影響評価に対する方法書を出しまして、工事が進展していったということでございます。
この発言のページ
14
赤嶺政賢(共産)
答弁してまずいところは一切答弁しないで省いて言っているんですが、稲嶺知事はV字型案に賛成していなかったですよね。それを何かあたかも賛成したかのような言い方の答弁がありましたが。
防衛省は、この海域の地盤の状況について知らなかったわけではありません。軍民共用空港の建設場所を決める過程で、音波探査もやって、地盤についての一定の認識も持っていました。にもかかわらず、大浦湾側に変更したのです。軟弱地盤の改良工事で大幅に遅れることになりました。遅れたのは防衛省の責任が極めて重大だということじゃありませんか。
沖縄県民は一貫して、この計画に反対してきました。沖縄…
この発言のページ