大臣、はしょって、いろいろ問題のあるところを飛ばして答弁する必要はないですよ、一問一問聞いていきますので。しかも、私、今日は十五分しかないので、端的にお願いします。
当時の稲嶺知事は、代替施設を受け入れる上で、県民が納得できる条件として、軍民共用それから使用期限十五年を設けて、苦渋の選択をしたわけですね。一九九九年ですよ。国、県、名護市による基本計画の策定や作業の経緯を踏まえれば、絶対にL字型案、2プラス2は容認できるものではないという、怒りに満ちたコメントを出しております。
九九年当時、国、県、名護市の三者で合意したことは、先ほどの大臣の答弁にもあるように、あります。しかし、それは県内移設という限られた選択肢を押しつけられた下で、北部地域の振興のために軍民共用空港とし、米軍の使用は十五年に限るという前提条件の下に合意したものでありました。
私たちは、十五年の使用期限などできるはずがないと批判をしましたが、それでも当時の保守県政としては、県民との関係で、それが受け入れられるためのぎりぎりのラインだったのであります。
ところが、その九九年合意、それを一方的に破棄して、ほごにしたのは日本政府です。軍民共用も十五年の使用期限も捨て去り、文字どおり米軍専用施設にしてしまいました。しかも、移設場所、建設場所は、沖合から集落に近い沿岸域に変更をいたしました。地元としてのめるはずがない案を沖縄県や名護市の頭越しに、日米両政府だけで決めてしまったんです。
稲嶺県政の苦渋の選択をないがしろにして、協力関係を壊したのは日本政府の側だったのではありませんか。
5
中谷元(自民)防衛大臣
まず、普天間飛行場につきましては、一九九六年のSACO最終合意で沖縄県内に代替施設を建設するという前提で、一九九九年に、当時の辺野古沿岸案に対して沖縄県知事及び名護市長の同意を得てこれは閣議決定しております。その後、また協議がありまして、二〇〇五年、ちょうど二十年前ですけれども、十月、2プラス2において、キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに近接する大浦湾の水域を結ぶL字案に設置することについて日米で合意をいたしました。当時は大野功統防衛庁長官であったと認識をいたしておりますけれども、そこで出てきたのがV字案でありまして、当時、島袋市長がこの基本合意を…
この発言のページ
6
赤嶺政賢(共産)
キャンプ・シュワブ沿岸部、ここに決めたのは2プラス2で日米両政府ということですよね。沖縄県が決めたわけではないわけです。
その日米合意に対して、当時の沖縄県はどのような見解を表明しましたか。
この発言のページ
7
中谷元(自民)防衛大臣
二〇〇五年の2プラス2で合意したL字案につきましては、例えば、当時の稲嶺沖縄県知事からは、沖縄県としては絶対に容認できるものではない旨のコメントが出されたほか、沖縄県議会からは、沖縄の受入れ可能な案を米軍再編協議の最終報告に反映するよう要請があったと承知をしております。
しかし、その後、現行の案、いわゆるV字案、額賀大臣の頃でありましたが、当時平成十八年、二〇〇六年五月に当時の額賀防衛庁長官と稲嶺知事との間で在沖米軍再編に係る基本確認書を結んだ上で、二〇〇六年、平成十八年八月以降、普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会において、政府、県、関係自治体…
この発言のページ
- (上の発言)
8
赤嶺政賢(共産)
大臣、はしょって、いろいろ問題のあるところを飛ばして答弁する必要はないですよ、一問一問聞いていきますので。しかも、私、今日は十五分しかないので、端的にお願いします。
当時の稲嶺知事は、代替施設を受け入れる上で、県民が納得できる条件として、軍民共用それから使用期限十五年を設けて、苦渋の選択をしたわけですね。一九九九年ですよ。国、県、名護市による基本計画の策定や作業の経緯を踏まえれば、絶対にL字型案、2プラス2は容認できるものではないという、怒りに満ちたコメントを出しております。
九九年当時、国、県、名護市の三者で合意したことは、先ほどの大臣の答弁にもあるように、あります。しかし、それは県内移設という限られた選択肢を押しつけられた下で、北部地域の振興のために軍民共用空港とし、米軍の使用は十五年に限るという前提条件の下に合意したものでありました。
私たちは、十五年の使用期限などできるはずがないと批判をしましたが、それでも当時の保守県政としては、県民との関係で、それが受け入れられるためのぎりぎりのラインだったのであります。
ところが、その九九年合意、それを一方的に破棄して、ほごにしたのは日本政府です。軍民共用も十五年の使用期限も捨て去り、文字どおり米軍専用施設にしてしまいました。しかも、移設場所、建設場所は、沖合から集落に近い沿岸域に変更をいたしました。地元としてのめるはずがない案を沖縄県や名護市の頭越しに、日米両政府だけで決めてしまったんです。
稲嶺県政の苦渋の選択をないがしろにして、協力関係を壊したのは日本政府の側だったのではありませんか。
9
中谷元(自民)防衛大臣
その後、丁寧に政府と沖縄県並びに地元の名護市と協議が続けられておりました。そこで、二〇〇六年、名護市の市長選挙において、新たな案への反対を掲げた島袋氏が当選しましたけれども、その後、国との協議の結果、島袋市長と東村長がV字案の基本合意書を締結いたしまして、その後、稲嶺知事が額賀長官とV字案に係る基本確認書を締結されました。
その後、協議会が設置をされまして、何度も開催をされたわけでございますが、結局、二〇〇六年の十一月に沖合移転を公約に掲げた仲井真知事が当選をされまして、その後、実質的に協議が続けられたということでございます。
この発言のページ
10
赤嶺政賢(共産)
大臣、私は、九九年の合意、これは沖縄県、名護市、国、合意していた三者合意、しかし、それをほごにしたんですよ、あなた方は。十五年使用期限もほごにした、軍民共用空港もほごにした。その責任は国にあるんじゃないですか。自らの責任を頬かむりにして、県に責任を転嫁するなどというのは絶対に許されるものではありません。閣議決定までしたものを閣議決定でほごにする、こんなやり方がありますか。
更に伺いますが、二〇〇二年に合意された軍民共用空港の建設場所は、沖合二・二キロの辺野古側の海域でした。防衛大臣、そこは軟弱地盤はありましたか。
この発言のページ
11
中谷元(自民)防衛大臣
九七年、この当時は沖縄の防衛施設局が代替施設の検討に当たって土質調査を行った結果、辺野古の沖合の地点で沖積層の存在が確認された。その地点の一部は平成十四年、二〇〇二年七月の沖縄の辺野古沖合に代替施設を建設する案、いわゆる海上案の建設場所に含まれていると承知をいたしております。
一方で、海上案につきましては、当時、具体的な設計を行う段階にはなくて、建設場所における地盤改良の必要性については詳細な検討は行っておらず、那覇の防衛施設局としては、地盤改良の必要性を把握していたものではなかった。つまり、海上案が浮上しておりましたので、その必要性はなかったというふ…
この発言のページ