キャンプ・シュワブ沿岸部、ここに決めたのは2プラス2で日米両政府ということですよね。沖縄県が決めたわけではないわけです。
その日米合意に対して、当時の沖縄県はどのような見解を表明しましたか。
2025年4月17日・第217回国会 衆議院 安全保障委員会 第8号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 6 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 184 発言)
キャンプ・シュワブ沿岸部、ここに決めたのは2プラス2で日米両政府ということですよね。沖縄県が決めたわけではないわけです。
その日米合意に対して、当時の沖縄県はどのような見解を表明しましたか。
質疑の申出がありますので、順次これを許します。赤嶺政賢君。
日本共産党の赤嶺政賢です。 今日はほかの委員会と重なっておりまして、委員長、理事の御了解を得まして、一番最初ということになりました。どうぞよろしくお願いします。 それで、まず辺野古の問題から質問をします。 防衛大臣は、四月十日の参議院外交防衛委員会で、普天間飛行場の危険性除去は二十年ほど前に国と沖縄県、名護市の三者で決めたもので、同じ時期の那覇空港の拡張工事は順調に進んだのだから、もっと沖縄県が努力すれば普天間の移転も早く進んだのではないかという趣旨の答弁を行いました。これは事実を歪曲するとんでもない発言であります。 防衛大臣に改めて伺いますが、…
まず、普天間飛行場につきましては、一九九六年のSACO最終合意で沖縄県内に代替施設を建設するという前提で、一九九九年に、当時の辺野古沿岸案に対して沖縄県知事及び名護市長の同意を得てこれは閣議決定しております。その後、また協議がありまして、二〇〇五年、ちょうど二十年前ですけれども、十月、2プラス2において、キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに近接する大浦湾の水域を結ぶL字案に設置することについて日米で合意をいたしました。当時は大野功統防衛庁長官であったと認識をいたしておりますけれども、そこで出てきたのがV字案でありまして、当時、島袋市長がこの基本合意を…
キャンプ・シュワブ沿岸部、ここに決めたのは2プラス2で日米両政府ということですよね。沖縄県が決めたわけではないわけです。
その日米合意に対して、当時の沖縄県はどのような見解を表明しましたか。
二〇〇五年の2プラス2で合意したL字案につきましては、例えば、当時の稲嶺沖縄県知事からは、沖縄県としては絶対に容認できるものではない旨のコメントが出されたほか、沖縄県議会からは、沖縄の受入れ可能な案を米軍再編協議の最終報告に反映するよう要請があったと承知をしております。 しかし、その後、現行の案、いわゆるV字案、額賀大臣の頃でありましたが、当時平成十八年、二〇〇六年五月に当時の額賀防衛庁長官と稲嶺知事との間で在沖米軍再編に係る基本確認書を結んだ上で、二〇〇六年、平成十八年八月以降、普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会において、政府、県、関係自治体…
大臣、はしょって、いろいろ問題のあるところを飛ばして答弁する必要はないですよ、一問一問聞いていきますので。しかも、私、今日は十五分しかないので、端的にお願いします。 当時の稲嶺知事は、代替施設を受け入れる上で、県民が納得できる条件として、軍民共用それから使用期限十五年を設けて、苦渋の選択をしたわけですね。一九九九年ですよ。国、県、名護市による基本計画の策定や作業の経緯を踏まえれば、絶対にL字型案、2プラス2は容認できるものではないという、怒りに満ちたコメントを出しております。 九九年当時、国、県、名護市の三者で合意したことは、先ほどの大臣の答弁にもあ…
その後、丁寧に政府と沖縄県並びに地元の名護市と協議が続けられておりました。そこで、二〇〇六年、名護市の市長選挙において、新たな案への反対を掲げた島袋氏が当選しましたけれども、その後、国との協議の結果、島袋市長と東村長がV字案の基本合意書を締結いたしまして、その後、稲嶺知事が額賀長官とV字案に係る基本確認書を締結されました。
その後、協議会が設置をされまして、何度も開催をされたわけでございますが、結局、二〇〇六年の十一月に沖合移転を公約に掲げた仲井真知事が当選をされまして、その後、実質的に協議が続けられたということでございます。