石破茂 (自由民主党)内閣総理大臣

2024年12月6日・第216回国会 参議院 予算委員会 第1号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 57 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 497 発言)

現在、私として、核の持込みということは考えておりません。つまり、持たず、作らず、持ち込ませずということであって、また、民主党政権時に、持ち込ませずということについて当時の岡田外務大臣から議論があったということもよく記憶をいたしておりますが、現在のところ、日本に持ち込むということを具体的に俎上にのせて検討しておるものではございません。

その上で、核共有ということは、所有権を持つことでもなければ、管理権を持つことでもございません。共有というと、何か民法の共有の概念が出てきて、何か所有権を共有するのかよとかね、あるいは管理権を共有するのかよみたいな話がありますが、ヨーロッパで行われております核共有、ニュークリアシェアリングというのは、所有権を持つ、共有するというものでもなければ、管理権を持つものでもない、それはどちらも合衆国が持っているということなのです。

何を共有するかというと、意思決定のプロセスにおいて、そこにおいて共有が行われる、あるいはリスクを共有するということであって、使用するかしないかということについて全く何ら意見を差し挟めないということは、かえって不安定性を招くのではないかというような考え方に基づくものだと思っております。アメリカとドイツの核共有において、ドイツの判断で使えたりするようなことはございません。あくまで、ドイツが使いたいと言っても、アメリカが駄目だと言ったら駄目ということでございます。

そういう中にあって、意思決定のプロセスにおいて、そこにおいて全く何ら関与しないということは、私は、抑止力として正しいものであるかどうか、私自身はそこで関与するということがあるべきだというふうな考え方にも一つの理論としての価値があろうかと思っております。

核共有につきましても、私も随分勉強もしてみましたし、これを、それが本当に抑止力として意味があるものなのかどうかということについて、我が党のみならず、国民としての御理解がいただかなければ、それは幾ら唱えても意味がないということでございます。そのことについて、いかに抑止力の向上につながるかという一点で研究をしてまいりたいと考えております。

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