川合孝典 (国民民主党)

2026年7月15日・第221回国会 参議院 皇室典範等の一部を改正する法律案特別委員会 第2号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 48 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 162 発言)

説明が十分に国民の皆様の理解が深まっていないという前提に立って、何をするべきなのかということ、そのことを是非、政府には考えていただきたいと思います。

〔委員長退席、理事岡田直樹君着席〕

これまでの議論の中で、いわゆる旧十一宮家の方が皇籍に復帰をされるための養子の縁組のことについて、八十年もたってから皇籍に戻るということがどうなのかということの議論等も含めて様々な意見が出てきていること、私も承知いたしております。

先ほど、山谷先生からも御発言、触れていただきましたけれども、過去の百二十六代にわたる皇統を、歴史をひもといてみますと、山谷先生が御指摘をされた、いわゆる継体天皇、第二十六代継体天皇、このお方は第十五代の応神天皇の五世の孫であるということであり、在位を確認いたしますと、応神天皇が退位をされたのが西暦三一〇年、そして、継体天皇が御即位をされたのが五〇七年ということですから、百九十七年、時間がたっているわけであります。

その背景に一体何があったのかということについて、これはきちんと歴史を勉強をすればある程度の時代背景も含めて見えてくるわけでありますが、当時の国内情勢を踏まえた当時の関係者の方々の知恵を絞った対応であったというふうに考えておりますし、百九十七年経て即位をされた第二十六代継体天皇、御即位をされたのは今の大阪の樟葉であります。樟葉宮で御即位をされ、その後、今の行政区でいえば京田辺、さらには長岡京と都を移して、最終的に奈良県桜井市だったと思いますが、こちらに要は都を移されたのは数十年後ということでありますので、当然、その間の様々なあつれきや背景があって、その上でこうした流れができてきたということだと思いますし、この百二十六代の歴史を紡ぐ中で、英知を絞ってこの皇統を守り続けてこられてきたというこの事実、歴史自体を我々は重く受け止めなければいけないと思っております。

同時に、今回、この十一宮家ということで、伏見宮家、旧伏見宮家の御子孫に当たる方々が今回いわゆる対象ということでなっておりますけれども、こちら、長浜先生の方から御指摘ございましたとおり、北朝三代崇光天皇の流れをくんでいらっしゃるということですが、なぜこういった流れになったのかということを、これも調べてみますと、崇光天皇が当時、これは室町時代の初期でありますので、観応の擾乱といういわゆる内戦に巻き込まれて、そのときに、いわゆる譲位せざるを得ない状況になった、後光厳天皇に譲位をせざるを得なくなったということを受けて、その御子孫がいわゆる宮家として立家をされて、その後、現在に至っているという、こういうことでありまして、したがって、伏見宮家の創設に当たっても、そのときの様々な御苦労の中でそうした流れが、血脈が維持されてきているといったようなことであります。

こうした一つ一つの事実を正確に理解をすることが、今回の立法のいわゆる背景というものを国民の皆様に深く御理解いただくことに私はつながると思っております。その努力が政府には足りない、また立法府にも足りなかったという反省も踏まえて今後対応していかなければいけないんだろうと思っております。

その上で、具体的な今後の対応について御質問させていただきたいと思いますが、今回、養子縁組の仕組みをつくるということになりますが、この仕組みの具体化について、旧宮家御出身の男系男子が皇籍を御取得される際、その要件や人選の透明性をどのように確保していくのかということについてほとんど議論がなされておりません。

国民の皆様の理解や納得を得るための手続の方法についてどういった御検討をされているのかということについて、政府の御見解を求めます。

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