宮沢洋一 (自由民主党)

2026年4月24日・第221回国会 参議院 本会議 第10号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 6 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 47 発言)

ただいま、院議をもちまして在職二十五年の永年在職表彰を賜り、誠に光栄に存じます。ありがとうございました。

また、関口議長、さらに、御祝辞をいただきました水岡俊一先生、ありがとうございました。そして、同時に表彰されます松山政司先生、小池晃先生、有村治子先生、おめでとうございました。

思い返してみますと、私が政治の道に、政治の世界に入るきっかけとなったのは、一九九一年秋、私が駐在していたニューヨークに掛かってきた一本の電話でした。早朝に鳴るベルの音、何か不幸でも起こったのかと不安を感じながら取った電話の声は、伯父の宮澤喜一でした。もうすぐ総理大臣になりそうなので、日本に帰ってきて手伝ってくれないかというものでした。

その後、総理大臣秘書官として、PKO国会を経験し、政治改革の議論に翻弄され、最後は自民党内が分裂し、内閣不信任案が可決されました。直後の総選挙では候補者の代わりに選挙区を回り、結局、大蔵省には戻らず、伯父の秘書として活動することになりました。

二〇〇〇年の総選挙で当時の広島七区で初当選し、国会議員としての活動が始まりました。振り返ってみますと、数々の重要政策の策定に関わることができ、充実した政治人生を送ってきたなと思っております。

小泉内閣の最重要政策であった郵政民営化のときは、まだ当選二回でしたが、与謝野政調会長の下で事務局長を務め、大変苦労をいたしました。

福田内閣のときは、公務員制度改革基本法の成立に尽力いたしました。当時の大臣が独走ぎみに出してしまった政府案を、当時民主党の参議院議員松井孝治現京都市長と協議して、大幅に修正して成立させることができました。

東日本大震災のときには、野党でしたが、責任者として自民党の復興基本法案をまとめ、与党との協議を経て、およそ九割近くは実現することができました。

社会保障と税の一体改革においても、自民党の代表として税制の方の協議に参加し、いわゆる三党協議をまとめることができました。

一方で、ここ十五年ほどは自民党の税制調査会が主な活動の場でありました。税調の会長も、二回にわたり計八年務めました。現在の税制には日本の戦後が詰まっていると言っても過言ではないと思っております。増築、改築を重ねた家のようなもので、決して格好よくはありません。しかし、なかなかうまくできていると思っております。よく税の三原則は公平、中立、簡素と言われていますが、制度は公平にしようとするほど簡素ではなくなり、中立にしようと思うと政策税制はなくなります。その中でいいあんばいを見付けるのが税調の仕事だと考えております。

十年ほど前に経済産業大臣を務めました。パリ議定書が採択される直前で、エネルギーミックスを決めるなど、大変忙しい時期でした。大震災後最初となる川内原発の再稼働にも立ち会うことができました。

大臣に就任した最初の日に経産省の幹部に幾つかの指示をしましたが、そのうちの一つは、私の在任中に、当時実際の半分も出ていなかった超過勤務手当を満額支給しようというものでした。出退勤の管理をしっかり行い、残業命令も制度化しなければ実現できない難しい問題でしたが、当時の秘書課長の飯田さん、今、総理大臣秘書官をしていらっしゃいますが、頑張ってくれて、在任中に何とか実現することができました。今、この経産省方式が全省庁で実現されているとのこと、大変うれしく思っております。

最後に、二十五年以上にわたって私を支えてくださった地元広島県の後援会の皆様、東京を中心とする応援団、友人の皆様、私の疑問に真摯に向き合ってくれた官僚の皆様、そして、酔っ払って帰ってくる私に辟易としながらも支え続けてくれた妻、家族、さらに歴代の事務所のスタッフに、心から感謝を表し、私の永年在職表彰に当たっての御挨拶とさせていただきます。

本日は誠にありがとうございました。(拍手)

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