今の故意については、あくまで概括的、未必的なものであると、で足りるというふうに考えているところでございますが、先生おっしゃるように、そこの故意が概括的な、未必的な故意も認められないということになればこの罪は成立しないというのは、論理的にはそういうことでございます。
とはいいながら、今の交通事情であるとかドライブレコーダーであるとか、そういったことの客観証拠から見て、こういうふうな、現に百七十キロで走っているという認識が、ことが認められる場合には、本人も自ら自分で運転して、アクセルを踏んで運転しているわけでございますので、そういった概括的、未必的な認識が認められる場合が多いだろうということを申し上げているつもりでございます。
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古庄玄知(自民)
そうすると、例えば、この道路は制限速度百キロだと。自分は今百五十キロで走っているというふうに認識していたと。客観的には百七十キロで走っていたと、だけど自分は百五十キロだろうと思っていたと。その場合はこの条文は適用されるんですか、されないんですか。
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16佐佐藤淳法務省刑事局長
今お話しした速度とそれから自車の速度の認識でありますけれども、概括的、未必的なもので足りると考えられて、もとより個々の事案における証拠に基づく事実認定の問題ではあるとは思います。
とはいいながら、アクセル操作の状況であるとか景色の移り変わりであるとか、周囲を走行する車両との比較などから自車の速度について概括的又は未必的に認識することは比較的容易であると考えられることからすると、実務的には、客観的に数値基準を満たす速度で自動車を運転していた場合には、本人の供述によらずとも、様々な事情に照らし、自車の速度に関する概括的又は未必的な認識が認められることも多い…
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古庄玄知(自民)
そうすると、多いのではないかという答えなんだけど、要は、そういう客観的なものなんかが全くない場合にね、ない場合で、本人はあくまでも自分は百五十キロだと思っていたと、客観的には百七十キロだったと。本人が、自分が七十キロ以上オーバーして走っているというその認識を客観的に証明できない場合、この場合はこの危険運転致死罪は成立しないと、そういう理解でいいんですか。
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- (上の発言)
18佐佐藤淳法務省刑事局長
今の故意については、あくまで概括的、未必的なものであると、で足りるというふうに考えているところでございますが、先生おっしゃるように、そこの故意が概括的な、未必的な故意も認められないということになればこの罪は成立しないというのは、論理的にはそういうことでございます。
とはいいながら、今の交通事情であるとかドライブレコーダーであるとか、そういったことの客観証拠から見て、こういうふうな、現に百七十キロで走っているという認識が、ことが認められる場合には、本人も自ら自分で運転して、アクセルを踏んで運転しているわけでございますので、そういった概括的、未必的な認識が認められる場合が多いだろうということを申し上げているつもりでございます。
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伊藤孝江(公明)
時間になりましたので、おまとめください。
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古庄玄知(自民)
分かりました。
いずれにしても、多分大丈夫だろう、だけど、理屈の上では成立しないことになるよという、そういうお答えですね。
終わります。
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泉房穂(立憲)
泉房穂です。
法案に関して質問させていただきます。二十五分間いただいております。法案質疑ですので、当然法案に関する確認についてさせていただきますが、前提として、立ち位置、少しだけ説明させてください。
私も三十年前から弁護士をしており、刑事弁護たくさんしておりました。当時、交通事故死の刑事弁護側をしておりますと、弁護士としてお通夜や葬儀に参列しますと人殺しと言われましたし、そのお気持ちはごもっともだと感じたものであります。その当時、どうして日本の国は罪を犯した側に弁護士がすぐ飛んでいくのに被害者側に弁護士が寄り添わないのかと、おかしいではないかと、もっ…
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