塩入清香 (参政党)

2026年6月24日・第221回国会 参議院 憲法審査会 第6号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 12 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 21 発言)

参政党の塩入清香です。

本日は、緊急集会を中心とする緊急事態対応について、参政党の考えを申し述べます。

今回のテーマである緊急事態対応について、私たち参政党は、緊急時への備えそのものを否定するものではありません。むしろ、我が国が世界有数の災害大国であり、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることを考えれば、有事への備えを検討していくことは当然必要です。

一方で、現憲法の参議院の緊急集会の規定である第五十四条二項はそもそも国家緊急権の問題ではなく、現憲法は本来の意味においての国家緊急権に関する規定を一切持っていないと考える学説も有力であると認知しております。また、六月三日の審査会での川崎政司参議院法制局長の御説明によれば、緊急集会の規定自体が、GHQ体制下で日本政府の原案が認められずでき上がった妥協の産物ということでありました。

つまり、現行憲法における緊急集会の仕組みは、我が国が主体的に緊急事態への備えとして設計した制度とは決して言えないものであります。だからこそ、条文を形式的に読むだけではなく、国家として本当に国民を守れる制度になっているのか検証しなくてはなりません。

二〇一六年の映画「シン・ゴジラ」では、ゴジラの核熱線により十一人の閣僚が死亡し、難を逃れた農林水産大臣が内閣総理大臣臨時代理に就任するというストーリーが描かれています。

もちろん、現実にゴジラは存在しません。しかし、国家中枢が同時に機能不全に陥り、内閣、国会、自衛隊、自治体が極限状態で判断を迫られる事態は決して空想とは言い切れません。有事において、そもそも参議院の緊急集会が機能しないことは十分に考えられるのではないでしょうか。

緊急事態の時間的制約については、現憲法では、衆議院解散から四十日以内の総選挙、選挙の日から三十日以内の特別国会召集という、いわゆる七十日制約が言われていますが、必ずしもこの七十日に収まらない事態も十分に考えられます。

ウクライナでは、二〇一九年の大統領選挙と議会選挙から約七年が経過して、任期は既に切れておりますが、戒厳令下であり、法令上選挙ができないこと、インフラ破壊、難民、安全上の問題から選挙は実施されておりません。

七十日で終わる前提だけで制度を考えるならば、それは現実への備えではなく、希望的観測にすぎません。つまり、七十日制約を定める参院の緊急集会規定、ひいては現憲法では到底対処できないことを如実に表しています。

現在この議論が活発になっている最大の要因は、やはり、テロや戦争など厳しい安全保障環境において、現実に即した対応が必要だからです。ウクライナや中東情勢など、世界では紛争が頻発し、核配備競争が再び熱を帯びています。我が国においても、他国からの侵略があった場合には、長期的な国会の維持と自衛隊が有事に実力を発揮して国を守れる体制をつくれることが肝要かと考えます。

私たち参政党は、緊急事態の議論をする際には、憲法に自衛隊をしっかりと位置付けることや、自衛隊法を改正し、必要十分な作戦行動を展開できる権限を付与することもセットで議論すべきだと考えています。国会議員の任期をどうするか、緊急集会をどうするかという制度論だけを議論しても国は守れません。国民の命、領土、主権を守る実力組織が必要なときに必要な行動を取れる法体系になっているか、ここを避けて緊急事態は語れないと考えます。

さらに、私は、緊急事態を扱う側の資格と責任についても議論すべきと考えます。緊急事態条項を設け、内閣や国会に通常時を超える権限を与えるのであれば、その権限を扱う内閣及び国会議員自身が本当に国家の安全と国民の命を守る立場にふさわしいのかという問題を避けて通ることはできません。

有事には、国家機密、防衛情報、外交情報、重要インフラ情報など、国家の存亡に関わる機微な情報を政府と国会が扱います。そのとき、外国勢力の影響を受けている者、機密情報を守る意識や能力に欠ける者、国家の存立と主権を守る覚悟を持たない者が緊急事態の判断に関与することがあってはなりません。

だからこそ、少なくとも緊急事態を扱う立場にある内閣の閣僚及び国会議員については、スパイ防止法の整備やセキュリティークリアランスを含む適切なスクリーニングの仕組みを早急に検討する必要があると考えます。単に緊急事態条項だけを制定すればよいという内容ではありません。緊急事態そのものを扱う資格、責任、覚悟、閣僚及び国会議員に持たせる制度設計が不可欠と考えます。

また、今の国際社会では、世論に影響を与える認知領域、戦略的物資の供給制限や企業、土地等の買収などの経済領域、宇宙、サイバー、電磁波領域などの非軍事面に至るまで、あらゆる領域で国家間の侵略、攻撃が拡大しているものと認識しております。もはや、戦争とは武力衝突だけを意味する時代ではありません。平時の延長線上の発想だけで国家を守ることはできないと考えます。

また、緊急事態の例としては、首都直下型地震や南海トラフ巨大地震、富士山噴火などの大規模自然災害、テロ、戦争、感染症の蔓延などが一般的に挙げられます。

しかし、私たち参政党は、感染症の蔓延を対象とすることには反対です。その理由の一つに、災害や感染症については、既に関係法令により相当程度の対応策が整えられているからです。

ここで、改めて緊急事態に感染症の蔓延を含むことの是非について述べます。

私たちは、私たち参政党は、コロナウイルス感染症の対応について、しっかりと検証を進めることが必要であると提案しております。昨年十二月には、新型コロナウイルス感染症対策及びmRNAワクチン施策等検証委員会の設置等に関する法律案を国会に提出いたしました。

しかし、国としては、まだ具体的な検証ができているとは言い難い状況でございます。私は、ここを曖昧にしたまま感染症の蔓延を緊急事態条項の対象に含めることには強い危機感を持っております。新型コロナウイルスは、WHOやアメリカ政府がウイルスの起源について人工的な生成と漏出等の可能性を含めて調査したことや、人工合成の技術が既に開発されていることなどに照らせば、現在の科学技術では感染症ウイルスを人為的に生み出すことが可能となっているからです。

一たび緊急事態と認定されれば、国会審議が十分に行われず、選挙が実施されなくなり、国民が政治に参加する機会が奪われ、民主主義の基盤が失われるという重大な影響がもたらされます。加えて、国会の法律制定を待つ余裕がないかどうかを判断する主体は内閣自身に委ねられ、その濫用の危険を防止できないことから、緊急事態の導入には極めて慎重な検討が必要です。

権力というものは、一度集中させれば必ず濫用の危険を伴います。だからこそ、憲法は、権力を信頼するためのものではなく、権力を縛るために存在しているはずです。緊急事態だからこそ、権力の白紙委任は絶対に許されません。

また、コロナ禍においては、営業や移動に関する様々な制限が行われ、多くの国民が生活や事業に深刻な影響を受けました。命令ではなくお願いを基礎とした外出自粛や営業制限は、日本社会特有の同調圧力に依存した、責任の所在が曖昧な政策であったと考えております。その結果、国民同士が互いを監視し、非難や密告が生まれ、社会に大きな分断をもたらしました。私も、シンガーとして音楽活動ができなくなって収入がゼロになるなど、社会の同調圧力の影響を受けた一人でございました。

もし命令として行うのであれば、罰則の根拠、科学的妥当性、政治判断の責任が明確に問われ、当然、損失補償の議論も伴うはずです。私は、コロナ禍における日本人の行動を見る限り、強権的な指揮体制よりも、十分な補償を伴う誘導型の制限で対応できる社会的成熟は今なお維持されていると考えます。国家権力を安易に強めるより、民の常識と自律を信じる方が現段階においては合理的な場面もあると考えられます。だからこそ、緊急事態条項を設けるのであれば、発動要件の明確化、国会及び裁判所による厳格な関与、期間制限、そして権利保障、そして補償の在り方まで含めて慎重に議論しなくてはなりません。

拙速な権限集中ではなく、真に国民を守る制度とは何か。緊急時であっても、主権者である国民の自由と権利、そして民主主義の根幹を守り抜くために本質的な議論を国会及びこの憲法審査会でしてまいりたいということを申し上げ、私の意見表明といたします。

御清聴いただき、ありがとうございました。

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