奥田ふみよ (れいわ新選組)

2026年3月24日・第221回国会 参議院 環境委員会 第2号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 116 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 173 発言)

れいわ新選組、奥田ふみよといいます。

十五年前、東日本大震災のとき、私は東京で子育てをしていました。おなかには三人目の子供がいました。二〇一一年三月十二日に福島第一原発が爆発し、れいわ新選組はこれを東電過酷事故と呼んでおりますが、後にも先にも類のない未曽有の東電過酷事故が起こり、それまで政治をほったらかししておりましたが、国民が危険にさらされても政府は国民を守らないんだという現実に打ちひしがれました。このままでは子供たちが日本に住めなくなってしまう、日本が崩壊してしまうんじゃないかという危機感しかなくって、生まれて初めてデモにも参加しました。

その後、東京も放射能が心配と思い、生まれ故郷の福岡県まで避難。臨月でも受け入れてくれた産院があり、そこには同じように自主避難したお母さんたちが三十四人もいました。福島から避難してきたお母さんたちは、福島も福岡もどちらも福が付くのにと言っていました。生まれてくる子供たちには、ただただ健やかに安心して暮らしてほしい、ただそれだけを願っていました。今もそうです。お母さんたちがどんなに心配で、どんなにおびえて、仕事も手放して、子供も転校させて、夫を残して避難したことか。その後、私は、福岡で子供たちの命や未来を守りたい、母親たちと一緒になって生まれて初めて佐賀県と福岡県糸島市に相次いで玄海原発差止め要請を行いましたが、その後、玄海原発は再稼働されました。

では、これから質疑をさせていただきますが、今日、春休みで多くの子供たちが傍聴に来ております。是非、子供たちにでも分かりやすい答弁をお願いいたします。

まず、原子力防災担当大臣にお伺いいたします。二〇一一年三月十一日に発令された福島第一原発の緊急事態宣言、解除されましたか。

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