袴田ひで子でございます。
私の弟巌は、殺人犯、死刑囚として、四十七年七か月、拘置所に収監されておりました。冤罪を訴えて、弁護士さんや支援者とともに、見えない権力と、真実を求めて闘ってまいりました。五十七年でございます。何でこんなに長くかかったのでしょう。再審請求は、見えない、ラクダを穴に通すと申しますか、再審法に不備があるからだと思っております。
巌が最高裁で一審の死刑が確定した後、私は記者会見をいたしましたが、そのときに皆さんが敵に見えました。弁護士さんも支援者も、何だか知らないけれども全部敵に見えました。それで、拘置所へ行って、巌に、これからは何でもやると言って励ましたことを覚えております。
幸い、二〇二四年の十月九日に再審無罪が確定して、今は私と暮らしております。
巌は、拘置所にいるときに、私、面会に行きまして、そのときにばたばたと出てきまして、死刑が、昨日、処刑があった、隣の部屋の人だった、お元気でと言っていた、みんながっかりしていると突拍子もないことを巌が申しますの。私は、何が何だか分からなくて、ただふうんと言ったきりで、誰がとも、どうしてとも聞くことができませんでした。その頃から、巌は、自分で妄想の世界をつくって、その中に閉じこもっておりました。長年、四十七年七か月、その中に閉じこもって生活をしておりました。
解放されて十二年になりますが、いまだ後遺症というものは治っておりません。私と会話もできません。ほとんど会話というものはございません。多少はよくなっておりますが、そういう状況でございます。巌は、ともかく拘置所に四十七年七か月もいればこうなって当たり前だと私は思っております。
事件があったのは、巌が三十歳のときでした。男の盛りはこれからというときなんです。そのときに、拘置所に、三畳の一部屋の狭いところに押し込められていたんです、理由もなく。無理もないことだと思って、私は、ああ、こんなことがあるのかなと思っておりました。
事件のあった当時、冤罪なんてないと思っていたんです、私たちは。巌だけが冤罪に遭っているのかなと思っておりました。そうしたら、それどころではございません、冤罪で苦しんでいる方は大勢いらっしゃいます。今でも闘って、何十年も闘っている方がいらっしゃいます。その方たちも、死刑囚じゃなくても、ささいな冤罪でも、みんな悔しい思いをしているんです。つらい思いをして、今も刑務所の中にいる方がいらっしゃいます。その方も是非お助けくださいますように。巌だけが助かればいいと思っておりません、私は。そういう方たちも是非お助けいただきたいと思っております。
五十八年は、やはり、私が三十三歳のときの事件ですからね。それから再審無罪が確定しましたのが九十一歳です。九十一歳のばばあになっておりました。それこそ、何でこんなに時間がかかるのでしょう。再審法改正を、是非皆様のお力で改正していただきたいと思っております。私は、神様が作った法律ではございません、人間が作った法律なんです、改正できないことはないと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
それから、検察の抗告について。そういうものがあるから、再審開始という、一審で再審開始になっても、それから後、十年たって再審開始になったんですが、そういうものがあるから長引いて、五十八年もかかったんです。私は、闘っているうちは日数なんて考えなかった。それこそ、今日が何日で、何年で、何年かかっているということも全然考えておりませんでした。おかげさまで、皆様の応援のおかげで巌は無罪になりました。私と今暮らしております。
その当時は、再審開始になったときには、もううれしさの余りに、ここにいらっしゃる村山先生の勇気ある決断で再審開始になり、無罪になりました。私は村山先生は命の恩人だと思っております。それこそ、そのままでは、そのままではと言うとおかしいが、もう半年監獄から出されなければ、巌は完全に獄中死をしておりました。
というのは、胆石があったんです。出てきてからしばらくしまして、血糖値が高いものですから私が測ろうと思っても、嫌がって測らせないんですよ。夜中に起きて、眠っているうちに測ろうと思って部屋へ行ってみましたら、いないんです。ああ、これはトイレかなと思ってトイレを見ましたら、トイレでひっくり返っておりました。そのときに、熱が出まして、救急車で運ばれて、入院しまして、それで手術していただいたんですが、一・八センチの直径の胆石が出てきました。これがもう半年拘置所にいたら、完全に獄中死でございます。無実の人間が、そんなことがあってよろしいものでしょうか。
今はおかしいことを言って妄想の世界におりますが、とんちんかんな話をしております。私も、とんちんかんに返事をしております。逆らってはおりません。変なことを言っても、ああ、そうそう、そうしようね、そうしようねと言って。
ローマに行くと、一頃は一生懸命言いましたの。ああ、それじゃ行こうねと言って、大阪とか出雲とか、そういうところへ連れていっておりました。それでも、ここはローマではないとは言わないんですね。ローマ法王様がおいでになったときに、私たちも招待されて、出席しました。そうしたら、それから後は、巌がローマへ行くと言わなくなったんですよ。何でかなと思ったら、ローマから来たからいいと言うんです。そこら辺は分かっているんですね。それでも、今でもとんちんかんな話。
今日この頃は、見守り隊という方たちの御厚意で、午前中は寝ておりますが、午後はドライブに出かけております。四十七年七か月のハンデがありますので、初めのうちは歩き回っておりましたが、五年ぐらい前からは、ドライブで浜松の町を散策しております。公園へ行ったり神社仏閣へ行ったりして半日を過ごしております。それで、四時頃帰ってきて、寝るでもないが、うたた寝をしております。話というのは一切いたしません。そんな状況が今も続いております。
長年の拘置所生活の、まあ、拘置所生活のたまものと言うと言い方はおかしいですが、拘置所生活の名残かと思います、夜は電気をつけっ放しにするんですね。私が電気を消しまして、玄関からトイレから洗面所から、夜中に起きて電気をつけ回っているんです。それは、拘置所を出てからすぐ多摩病院に入院したときからもそうでした。看護婦さんが消灯時間で電気を消していると、巌が起きてきて、電気を全部つけて回るといって困っておりました。それがまだ今でも続いております。
証拠開示につきましては、私たちは、弁護士さんは、証拠開示があったおかげで、それまではちょっと再審開始も戸惑っていたんですね、どうしていいやら分からなくて困っていたんですが、あの証拠開示があって、六百通ぐらいのものが出てきました。そうしたら、弁護士さんがおっしゃるには、巌の無罪になる証拠ばかりだということでした。それで勢いづきまして、今の結果になっております。それは、支援者の協力もあって、支援者も共に裁判に関わっていただき、みそ漬け実験をしていただきました。それで今の巌があります。
それで、警察は、証拠を隠していたと言うとおかしいけれども、隠していたんじゃないかと思います。ですから、いい証拠も悪い証拠も全部出して裁判をやっていただきたいと思っております。
長年の拘置所生活で巌の生活は乱れております。これは治らないかと思っておりますが、しようがございません。私たちは運命だと思っております。誰も恨むつもりもございません。でも、人間の法律を作った人間が人間として法律を改正していただきたいと思っております。是非、国会議員の皆様、よろしくお願い申し上げます。
どうもありがとうございました。(拍手)
1井井上英孝(維新)
これより会議を開きます。
内閣提出、刑事訴訟法の一部を改正する法律案及び西村智奈美君外三名提出、刑事訴訟法の一部を改正する法律案の両案を一括して議題といたします。
本日は、両案審査のため、参考人として、岡山弁護士会所属弁護士吉沢徹君、袴田ひで子君、弁護士村山浩昭君、以上三名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙の中、御出席を賜りまして、誠にありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜れれば幸いに存じます。どうかよろしくお願いいたします。
次に、議事の…
この発言のページ
2吉吉沢徹岡山弁護士会所属弁護士
皆様おはようございます。岡山弁護士会に所属しております弁護士の吉沢徹と申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします。
弁護士登録をして二十年になります。刑事事件に関しての取扱分野は、犯罪被害者やその御親族、御遺族の支援です。その中で比較的多く取り扱った事案としては、殺人、性犯罪被害、DV、ストーカー被害の事案です。
また、私は、日本弁護士連合会犯罪被害者支援委員会の委員の一人でもあります。私は再審制度の専門家ではありません。ですので、本日は、再審法の改正に関する私の個人的な意見を述べさせていただくというものではなく、複数の事件の複数の犯罪被害者の御…
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3井井上英孝(維新)
ありがとうございました。
次に、袴田参考人にお願いいたします。
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- (上の発言)
4袴袴田ひで子政府参考人など
袴田ひで子でございます。
私の弟巌は、殺人犯、死刑囚として、四十七年七か月、拘置所に収監されておりました。冤罪を訴えて、弁護士さんや支援者とともに、見えない権力と、真実を求めて闘ってまいりました。五十七年でございます。何でこんなに長くかかったのでしょう。再審請求は、見えない、ラクダを穴に通すと申しますか、再審法に不備があるからだと思っております。
巌が最高裁で一審の死刑が確定した後、私は記者会見をいたしましたが、そのときに皆さんが敵に見えました。弁護士さんも支援者も、何だか知らないけれども全部敵に見えました。それで、拘置所へ行って、巌に、これからは何でもやると言って励ましたことを覚えております。
幸い、二〇二四年の十月九日に再審無罪が確定して、今は私と暮らしております。
巌は、拘置所にいるときに、私、面会に行きまして、そのときにばたばたと出てきまして、死刑が、昨日、処刑があった、隣の部屋の人だった、お元気でと言っていた、みんながっかりしていると突拍子もないことを巌が申しますの。私は、何が何だか分からなくて、ただふうんと言ったきりで、誰がとも、どうしてとも聞くことができませんでした。その頃から、巌は、自分で妄想の世界をつくって、その中に閉じこもっておりました。長年、四十七年七か月、その中に閉じこもって生活をしておりました。
解放されて十二年になりますが、いまだ後遺症というものは治っておりません。私と会話もできません。ほとんど会話というものはございません。多少はよくなっておりますが、そういう状況でございます。巌は、ともかく拘置所に四十七年七か月もいればこうなって当たり前だと私は思っております。
事件があったのは、巌が三十歳のときでした。男の盛りはこれからというときなんです。そのときに、拘置所に、三畳の一部屋の狭いところに押し込められていたんです、理由もなく。無理もないことだと思って、私は、ああ、こんなことがあるのかなと思っておりました。
事件のあった当時、冤罪なんてないと思っていたんです、私たちは。巌だけが冤罪に遭っているのかなと思っておりました。そうしたら、それどころではございません、冤罪で苦しんでいる方は大勢いらっしゃいます。今でも闘って、何十年も闘っている方がいらっしゃいます。その方たちも、死刑囚じゃなくても、ささいな冤罪でも、みんな悔しい思いをしているんです。つらい思いをして、今も刑務所の中にいる方がいらっしゃいます。その方も是非お助けくださいますように。巌だけが助かればいいと思っておりません、私は。そういう方たちも是非お助けいただきたいと思っております。
五十八年は、やはり、私が三十三歳のときの事件ですからね。それから再審無罪が確定しましたのが九十一歳です。九十一歳のばばあになっておりました。それこそ、何でこんなに時間がかかるのでしょう。再審法改正を、是非皆様のお力で改正していただきたいと思っております。私は、神様が作った法律ではございません、人間が作った法律なんです、改正できないことはないと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
それから、検察の抗告について。そういうものがあるから、再審開始という、一審で再審開始になっても、それから後、十年たって再審開始になったんですが、そういうものがあるから長引いて、五十八年もかかったんです。私は、闘っているうちは日数なんて考えなかった。それこそ、今日が何日で、何年で、何年かかっているということも全然考えておりませんでした。おかげさまで、皆様の応援のおかげで巌は無罪になりました。私と今暮らしております。
その当時は、再審開始になったときには、もううれしさの余りに、ここにいらっしゃる村山先生の勇気ある決断で再審開始になり、無罪になりました。私は村山先生は命の恩人だと思っております。それこそ、そのままでは、そのままではと言うとおかしいが、もう半年監獄から出されなければ、巌は完全に獄中死をしておりました。
というのは、胆石があったんです。出てきてからしばらくしまして、血糖値が高いものですから私が測ろうと思っても、嫌がって測らせないんですよ。夜中に起きて、眠っているうちに測ろうと思って部屋へ行ってみましたら、いないんです。ああ、これはトイレかなと思ってトイレを見ましたら、トイレでひっくり返っておりました。そのときに、熱が出まして、救急車で運ばれて、入院しまして、それで手術していただいたんですが、一・八センチの直径の胆石が出てきました。これがもう半年拘置所にいたら、完全に獄中死でございます。無実の人間が、そんなことがあってよろしいものでしょうか。
今はおかしいことを言って妄想の世界におりますが、とんちんかんな話をしております。私も、とんちんかんに返事をしております。逆らってはおりません。変なことを言っても、ああ、そうそう、そうしようね、そうしようねと言って。
ローマに行くと、一頃は一生懸命言いましたの。ああ、それじゃ行こうねと言って、大阪とか出雲とか、そういうところへ連れていっておりました。それでも、ここはローマではないとは言わないんですね。ローマ法王様がおいでになったときに、私たちも招待されて、出席しました。そうしたら、それから後は、巌がローマへ行くと言わなくなったんですよ。何でかなと思ったら、ローマから来たからいいと言うんです。そこら辺は分かっているんですね。それでも、今でもとんちんかんな話。
今日この頃は、見守り隊という方たちの御厚意で、午前中は寝ておりますが、午後はドライブに出かけております。四十七年七か月のハンデがありますので、初めのうちは歩き回っておりましたが、五年ぐらい前からは、ドライブで浜松の町を散策しております。公園へ行ったり神社仏閣へ行ったりして半日を過ごしております。それで、四時頃帰ってきて、寝るでもないが、うたた寝をしております。話というのは一切いたしません。そんな状況が今も続いております。
長年の拘置所生活の、まあ、拘置所生活のたまものと言うと言い方はおかしいですが、拘置所生活の名残かと思います、夜は電気をつけっ放しにするんですね。私が電気を消しまして、玄関からトイレから洗面所から、夜中に起きて電気をつけ回っているんです。それは、拘置所を出てからすぐ多摩病院に入院したときからもそうでした。看護婦さんが消灯時間で電気を消していると、巌が起きてきて、電気を全部つけて回るといって困っておりました。それがまだ今でも続いております。
証拠開示につきましては、私たちは、弁護士さんは、証拠開示があったおかげで、それまではちょっと再審開始も戸惑っていたんですね、どうしていいやら分からなくて困っていたんですが、あの証拠開示があって、六百通ぐらいのものが出てきました。そうしたら、弁護士さんがおっしゃるには、巌の無罪になる証拠ばかりだということでした。それで勢いづきまして、今の結果になっております。それは、支援者の協力もあって、支援者も共に裁判に関わっていただき、みそ漬け実験をしていただきました。それで今の巌があります。
それで、警察は、証拠を隠していたと言うとおかしいけれども、隠していたんじゃないかと思います。ですから、いい証拠も悪い証拠も全部出して裁判をやっていただきたいと思っております。
長年の拘置所生活で巌の生活は乱れております。これは治らないかと思っておりますが、しようがございません。私たちは運命だと思っております。誰も恨むつもりもございません。でも、人間の法律を作った人間が人間として法律を改正していただきたいと思っております。是非、国会議員の皆様、よろしくお願い申し上げます。
どうもありがとうございました。(拍手)
5井井上英孝(維新)
ありがとうございました。
次に、村山参考人にお願いいたします。
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6村村山浩昭弁護士
どうも皆様、おはようございます。御紹介いただきました弁護士の村山浩昭と申します。
まず、衆議院法務委員会の皆様、本日は、こういう機会を設けていただきまして、誠にありがとうございます。
私は、現在弁護士ですが、三十九年間裁判官をやっておりました。刑事司法に携わり、袴田事件にも関与いたしました。本日は、そういった私の裁判官の経験と、そして、冤罪を生み出し、長年これを救済してこられなかった、そういう司法部の、責任のある司法部の一員として、この法務委員会の席上で再審法改正について私の意見を述べさせていただきたい、このように思っております。
袴田事件を経験い…
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7井井上英孝(維新)
ありがとうございました。
以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。
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