大石あきこ (れいわ新選組)

2025年12月5日・第219回国会 衆議院 文部科学委員会 第4号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 127 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 133 発言)

日本の伝統がとか押しつけがましいようなやり方で、それで筆ペンだったら処分はおかしいんじゃないでしょうかね。

さっきの望月局長の、場合によってはという学習指導要領は法的拘束力があるのだみたいなお話を元々これは問題があるんちゃうかということで問い五で通告していたんです。

元々、二〇二五年、今年、学校の先生や学校現場が本当に疲弊して大変なんだ、がちがちなんだみたいなことで一つ学習指導要領も光が当たりまして、参考人質疑だったりとか、全体の質疑も行われたわけなんですよね。私も六月十八日に質疑を行っているところなんですけれども、やはり学習指導要領が、今おっしゃったような、守らなかったら処分されたり、もう袋だたきにされる、守らぬかったら死ぬみたいな罰ゲームとして機能してしまっているという現場が、子供たちのためにもなっていなければ、先生が労基法を守った人たるに値する生活も保障されていない大きな要因ですので、学習指導要領でがちがちに縛るな、そもそも学習指導要領ってそういう性質のものではないでしょうという確認を六月十八日の質疑で行ったんですね。

でも、そのときに、今も問題でしたけれども、文科省の望月局長の答弁が、やはり、これは解釈がすごくおかしかったんですよね、過去の最高裁大法廷判例と比べて。そこについて問い五でお聞きしています。

そもそも、六月十八日の局長の答弁、問題答弁がこういうものなんですけれども、「学習指導要領はその全てが大綱的基準でございまして、全体として法規としての性質を有するものでございます。」そういった答弁だったんですけれども、この答弁自体が、過去の、これは学習指導要領の起こりですとか、あるいはその起こりをめぐっての学習指導要領の在り方ですね、そんなことで縛っていいのかという裁判が様々あって、その裁判の最高裁の大法廷判決という、最も最高裁の判決でも重いものに明らかに反しているでしょうということを前回指摘しているんですよ。

問題答弁と言っている問題というのが、特にこれですね、学習指導要領はその全てが大綱的基準である、学習指導要領は全体として法規としての性質を有すること。こういうことを、間違った学習指導要領の誤りによって、学校現場がいろいろ、筆ペンで処分だったりとか、授業時数を守らないといってつるし上げられたりとか、そういう具体的に害悪が生じているということでただしておきたいなと思ったんですよ。

問い五の括弧二の方ですね。今日も述べております最高裁判決というのが、旭川学テ事件の最高裁判決なんですけれども、この最高裁判決では、このように示されているんですね。学習指導要領の中には、必ずしも法的拘束力をもって地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、果たしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうか疑わしいものが幾分含まれているということが示されているので、そもそも、この学習指導要領が全部守らなければいけないルールではないですよねという判決なんですよね。

そういう状況の中で、この判決自体が部分的には法的拘束力を持たせるものが適切でないという部分が含まれていることを前提としているので、望月局長が六月十八日に答弁された内容もそうですし、先ほど答弁された中身も実質そうなんですけれども、やはりこの最高裁判決との解釈に矛盾があるのではないですか。

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