上山隆大政策研究大学院大学客員教授

2025年6月3日・第217回国会 参議院 内閣委員会 第19号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 45 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 109 発言)

日本学術会議の設立の過程の中で、とりわけ戦後の、大きな戦争に対する責務を認識した上でなされてきた活動、それは、純粋にアカデミアにある人間はとりわけ戦争なるものに関わるべきでないという強いメッセージが発されたこと、これは私は大きな貢献であったというふうに思います。

それから八十年、もっと以前からですけれども、私のように政策の現場ということを学術的に経験している立場からすると、アカデミアの知見というものが、これほど国の命運を決する様々な政策の中で求められている時代はないと思います。それは、このパンデミックもそうでしょうし、あるいは震災もそうでしょうし、様々な防災の面でもそうです。これは単なる一個人でできるような調査ではない。

例えば、学術会議において、本格的に調査をし、そしてそれについての真摯な討議を重ねてレポートを出していこうとすれば、今の学術会議が有しているような研究者の数と、そしてその貢献では難しいと思います。なぜならば、あくまでボランタリーベースでこの活動を行っているにすぎないからです。

私が先ほど申し上げたように、各国のアカデミーにおいては、なぜこれほど大きなお金がアカデミーの中に投じされているのか。それは、アカデミーから発生されるような知見をつくり上げていくためには、チームを作り、これは人文・社会科学も含めてですが、それに対する専門知を集め、それの根拠を明確に積み上げて、それに対する、それによる助言をしていかなければいけないと。今の学術会議でそれができるかというと、私はできるとは思いません。

また、それをやっていけない限り、各国のアカデミーとの間でのある種の対話は、恐らくは真摯な形では成立しないだろうと思うぐらいの彼我の差がある、その彼我の差をどのように克服していくのか。これは政治の問題ですから、この法人化をきっかけにして、政治がどのような形で学術会議の独立性と、そして学術会議が社会に対して求められている責務を明確にし、それについての評価をある程度していくということが必要なんだろうと思っています。

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