芳賀道也 (国民民主党)

2025年2月26日・第217回国会 参議院 行政監視委員会 第1号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 64 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 114 発言)

ありがとうございます。

次に、西出先生にお伺いします。

「復興政策の評価の実際」という論文を先生は二〇一九年の「公共選択」という雑誌に書かれていらっしゃいます。サブタイトルが「不透明な政策構造、不徹底な評価設計」という刺激的な表現になっています。この論文では、東日本大震災を対象にその不透明な政策構造について論じていらっしゃるのですが、ほかの災害対応を見ても同じようなやはり問題が起きていると私は考えております。

慶応大学の社会学者、小熊英二教授は、この国の災害復興の政策を経路依存と論じていまして、災害のたびに大手ゼネコンによる大規模復興事業が進みますが、被災地に元々あった小規模事業者による地場産業の復活や、被災した住民の生活の充実が軽視されている問題を取り上げています。

政府が災害後に大手ゼネコン、大手不動産会社などを活用した箱物建設や大規模再開発を実施する例が多々ありますが、被災地では災害以前にあった小規模の地場産業は見捨てられ、被災者の暮らしには手厚い対応がないという問題が繰り返し起きているのではないかと考えています。

例えば、一九九三年、北海道の奥尻島では、津波の被害で人口約四千七百人の島に総額九百二十七億円もの費用を掛け、高さ十一メートルの防波堤や人工地盤、高台宅地の造成、盛土による市街地のかさ上げなどが行われました。しかし、約四千七百人いた人口が二〇一一年までに約三分の二まで減って、漁業で暮らしを立てていた漁業組合に所属していた方も半分以下になってしまっています。

例えば、一九九五年の阪神・淡路大震災の際にも、政府、自治体主体の復興政策のメインは、空港や港湾の整備、公共住宅の建設、被災地の再開発など、公共事業中心でした。

神戸港は、一九八〇年代にはコンテナ取扱高で世界三位を誇っていましたが、九三年にはアジア各港から追い越され、世界で六位、震災後には建設業が人為的に成長した影響で在来産業の衰退が加速してしまい、神戸港のコンテナ取扱高は、二〇〇三年には世界三十二位まで落ちてしまいました。

神戸市長田区では小規模事業者によるケミカルシューズの製造が盛んでしたが、神戸市長田区では、震災で仕事を失い、その製造に当たっていた方のうち、少なくとも三分の一が地元長田区を離れてしまったという各震災での実態があります。

ここで西出先生に伺いますが、「復興政策の評価の実際」で論じていらした東日本大震災の復興政策の不透明な政策構造、不徹底な評価設定について、改めて先生のお考えをお教えください。

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