今も大臣の答弁よくお聞きになられた方はお気付きだと思うんですけど、雨については少ないという表現をされるんですよね。それ、ずっと国が言ってきました。いや、本当にそうなのかと。決して長崎でも雨が降らなかったことではないという、黒い雨の体験というのはこれまでの調査の中で明らかになってきているんですよ。
加えて、私が先ほどお尋ねしたのは、灰を始めとした放射性降下物ですね。雨でなければ放射能がないとか、灰は放射能と関係ないなんてあり得ないじゃないですか。
そうした中で、三枚目の図面は長崎県保険医協会のホームページからの引用ですが、本田医師が丹念に調査を続けておられまして、戦後何度かのこういう証言調査のようなものが長崎県、市によって行われています。ここに、ABCCが行った調査の中で雨が確認できるもの、それから、戦後直後、マンハッタン調査団というアメリカの調査団が放射線量を測定をしたと、測定して回ったという数値をこの図面に落としたものということなんですけれども、驚くほどといいますか、当然のようによく一致しているわけなんですよ。
ところが、被爆地域と国が言うのは、一枚目の資料のピンクの部分、つまり旧長崎市、戦後直後の長崎市の行政区域の中だけだと。こんな話があるかということが大問題なんですよね。
その中で、先ほど御紹介した古賀村というところで被爆をした陶山光子さん、当時国民学校の三年生ですけれども、こういう証言をしておられます。ドーンと大きな音がして伏せました。落下傘が落ちてきて、煙が立ち上がり、臭いとともに、空から紙、障子、切れた着物の燃えかすが、どんどんこちらに向かって飛んできました。五円紙幣、一円紙幣もひらひら舞ってきて、それをつかむと形がなくなり、手が真っ黒のすすで汚れました。真っ黒な雨が降ってきて白い服がびしょびしょにぬれ、泣きながら家に帰りました。その頃、水道はなく、山の水をためて使っていました。飲んだ水、お風呂の水、煮炊きした水に放射性物質が含まれていたと思います。一年くらい下痢が続き、歯茎から血が出たり、髪が抜けたりしたこともありました。高校一年生くらいのとき、がんで亡くなった同級生もいました。中学生のときに胸膜炎、三十歳くらいに虫垂炎と胃潰瘍、今は白内障、高血圧、腸や皮膚の薬も飲んでいますという。そうした証言といいますか、人生ですけど、被爆者そのものじゃないですか。
私、広島の黒い雨の被害者の会の皆さんに二〇〇〇年代の初めに出会って以来一緒に取り組んできたんですけれども、今長崎で御紹介をしたような被爆者って、広島にも同じような苦しみを訴えてき続けた方々がたくさんいらっしゃるわけです。そのうち八十四人の原告がこの被害の解決を訴えたと。その裁判が黒い雨の広島の裁判で、二〇二一年の七月に広島高等裁判所は、歴代政府の被爆者援護行政に根本的な見直しを迫る画期的な判決を私は下したと思います。
まず、厚労省に、局長にお尋ねをしますけれども、以来四年たちました。二〇二二年の四月に新たな基準に基づく取組が始まりましたけれども、被爆者健康手帳を新たに交付された方は、今一番直近の数字で何人になりますか。
292
福岡資麿(自民)厚生労働大臣
重ねて恐縮ですが、この御指摘があった地域の一部におきまして原爆由来と考えられる放射性降下物が検出されておりますが、爆心地からおおむね半径十二キロメートル以内の被爆地未指定地域においては、放射性降下物の残留放射能による健康影響が生じているとは言えないとされているところでございます。
この発言のページ
293
仁比聡平(共産)
そんなことはないと。私は、原爆に遭った方々の戦後八十年、今日までの心身や人生そのものがこの放射能の被害だということを明かしている、証明していると思うんですよね。
資料の一枚目には、長崎県、市が調査をされた図をお配りしています。爆心地から戸石村、今申し上げた戸石村に向かう手前に矢上村というところがあります。
この矢上村間野瀬地区で原爆に遭った岡田セツ子さんという当時五歳の方が私どものしんぶん赤旗のインタビューでこう話されているんですね。縁側でジャガイモのふかしたのを食べていたらぴかっと光り、お皿が割れました。驚いて、防空ごうに入り、しばらくして外に出る…
この発言のページ
294
福岡資麿(自民)厚生労働大臣
委員御指摘ありましたように、私も隣県ですから、多少地理的なイメージというのは湧くということでございまして、その中で、今おっしゃいましたように、お一人お一人の証言、それは重いものでございます。
ただ一方で、御指摘の平成十一年の証言調査に降雨等の体験の記載がありますが、その数は、回答総数七千二十五件のうち雨については百二十九件、割合にして全体の一・八%になっているというふうに承知をしております。
この調査につきましては、過去に最高裁まで争われた裁判におきましても、そのバイアス等が介在している可能性を否定できないと指摘されていることなどから、御指摘の調査結…
この発言のページ
- (上の発言)
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仁比聡平(共産)
今も大臣の答弁よくお聞きになられた方はお気付きだと思うんですけど、雨については少ないという表現をされるんですよね。それ、ずっと国が言ってきました。いや、本当にそうなのかと。決して長崎でも雨が降らなかったことではないという、黒い雨の体験というのはこれまでの調査の中で明らかになってきているんですよ。
加えて、私が先ほどお尋ねしたのは、灰を始めとした放射性降下物ですね。雨でなければ放射能がないとか、灰は放射能と関係ないなんてあり得ないじゃないですか。
そうした中で、三枚目の図面は長崎県保険医協会のホームページからの引用ですが、本田医師が丹念に調査を続けておられまして、戦後何度かのこういう証言調査のようなものが長崎県、市によって行われています。ここに、ABCCが行った調査の中で雨が確認できるもの、それから、戦後直後、マンハッタン調査団というアメリカの調査団が放射線量を測定をしたと、測定して回ったという数値をこの図面に落としたものということなんですけれども、驚くほどといいますか、当然のようによく一致しているわけなんですよ。
ところが、被爆地域と国が言うのは、一枚目の資料のピンクの部分、つまり旧長崎市、戦後直後の長崎市の行政区域の中だけだと。こんな話があるかということが大問題なんですよね。
その中で、先ほど御紹介した古賀村というところで被爆をした陶山光子さん、当時国民学校の三年生ですけれども、こういう証言をしておられます。ドーンと大きな音がして伏せました。落下傘が落ちてきて、煙が立ち上がり、臭いとともに、空から紙、障子、切れた着物の燃えかすが、どんどんこちらに向かって飛んできました。五円紙幣、一円紙幣もひらひら舞ってきて、それをつかむと形がなくなり、手が真っ黒のすすで汚れました。真っ黒な雨が降ってきて白い服がびしょびしょにぬれ、泣きながら家に帰りました。その頃、水道はなく、山の水をためて使っていました。飲んだ水、お風呂の水、煮炊きした水に放射性物質が含まれていたと思います。一年くらい下痢が続き、歯茎から血が出たり、髪が抜けたりしたこともありました。高校一年生くらいのとき、がんで亡くなった同級生もいました。中学生のときに胸膜炎、三十歳くらいに虫垂炎と胃潰瘍、今は白内障、高血圧、腸や皮膚の薬も飲んでいますという。そうした証言といいますか、人生ですけど、被爆者そのものじゃないですか。
私、広島の黒い雨の被害者の会の皆さんに二〇〇〇年代の初めに出会って以来一緒に取り組んできたんですけれども、今長崎で御紹介をしたような被爆者って、広島にも同じような苦しみを訴えてき続けた方々がたくさんいらっしゃるわけです。そのうち八十四人の原告がこの被害の解決を訴えたと。その裁判が黒い雨の広島の裁判で、二〇二一年の七月に広島高等裁判所は、歴代政府の被爆者援護行政に根本的な見直しを迫る画期的な判決を私は下したと思います。
まず、厚労省に、局長にお尋ねをしますけれども、以来四年たちました。二〇二二年の四月に新たな基準に基づく取組が始まりましたけれども、被爆者健康手帳を新たに交付された方は、今一番直近の数字で何人になりますか。
296大大坪寛子厚生労働省健康・生活衛生局長
お答え申し上げます。
広島高裁での黒い雨に遭った方が原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者として被爆者援護手帳の交付を認める判決を受けまして、救済の基準を策定し、現在、訴訟外において救済を行っているところでございます。
本年三月末現在の黒い雨に係る被爆者健康手帳の交付状況、申請件数七千九百九十五件に対しまして、認定者数七千四百三十五件でございます。
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仁比聡平(共産)
確認しますけれども、被爆者というのは、被爆者援護法の一条に各号の定義がありまして、いわゆる直接被爆とか、入市被爆あるいは救護被爆などと呼ばれてきたわけですが、この黒い雨の被害によって被爆者健康手帳を受ける方の給付、医療費始めとした給付ですね、これは、これまでの被爆者の皆さんと同じ予算の枠、令和七年度予算でいえば二百八十四億円になるんじゃないかと思いますが、原爆疾病医療費によって賄われるということでいいですか。
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298大大坪寛子厚生労働省健康・生活衛生局長
御指摘のとおりでございます。
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