お答え申し上げます。
尖閣諸島は、一八八五年以降、日本政府が沖縄県当局などを通じて再三にわたり現地調査を行った結果、単に無人島であるだけではなく、清国を始めどの国の支配も及ばないことを慎重に確認した上で、日本政府は、一八九五年一月十四日に閣議決定を行い、正式に日本の領土に編入しております。この行為は、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しております。
その後、一八九六年には、民間の実業家が明治政府の許可を得て尖閣諸島の本格的な開拓を開始しました。これによって、多くの日本人が尖閣諸島に居住し、漁業を中心に、かつおぶし工場や羽毛の採集などに従事することになりました。
このように、明治政府が尖閣諸島の利用について個人に許可を与え、許可を受けた者がこれに基づいて同諸島において公然と事業活動を行うことができたという事実は、同諸島に対する日本の有効な支配を示すものです。
その後、第二次世界大戦後、日本の領土を法的に確定した一九五一年のサンフランシスコ平和条約において、尖閣諸島は、同条約第二条に基づいて日本が放棄した領土には含まれず、同条約第三条に基づいて、南西諸島の一部として米国の施政下に置かれました。
そして、一九七二年発効の沖縄返還協定によって、日本に施政権が返還された地域に尖閣諸島は含まれており、尖閣諸島は戦後秩序と国際法の体系の中で一貫して日本の領土として扱われてきた次第でございます。
165
高良鉄美政府参考人など
実はこれ、合意はしていたんですよ。合意があって、宮古、石垣は中国に渡すと、清にですね。その清の方が、これどうかと。要するに、琉球王国という沖縄本島からは来ないのかと。そういうことで、嫌々ながらの合意をしたんです。日本側はこの最恵国待遇を得ると。石垣島でサインをすると、調印をすることまで合意されていて、用意されていたテーブルに着かなかったのが中国です、この清国ですね。だから今、宮古、石垣はあるわけですよ、沖縄県として。
そのときの一つの原因の中に、やっぱり沖縄の琉球藩時代から、その琉球王国時代から官僚として勤めてきた人が、これは大変になると、沖縄は、とい…
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166門門脇仁一外務省大臣官房参事官
網羅的に一次資料を確認できているわけではございませんけれども、例えば、明治十三年十一月十三日付けで井上外務卿から三条太政大臣に宛てた文書においては、琉球の中、宮古、八重山二島をもって清国に属し、もって二国の境界を清め、したがって日清条約を増加し、もって和好を表明するの専約とするという記述があるというのは承知しておりますけど、尖閣諸島への明示的な言及については確認できておりません。
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167
高良鉄美政府参考人など
尖閣については言及がないという、余り大したことないだろうと思っていたんでしょうけど、今大変な問題、いろいろ日本では言っていますけれども。
そこで、大臣の答弁の中にも、委員の質問の中にも、尖閣列島については歴史的にも国際法上も我が国固有の領土と述べられていますが、この歴史的に固有の領土であるというこの年代、先ほど明治が出ましたけれども、その内容をお示しください。
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- (上の発言)
168門門脇仁一外務省大臣官房参事官
お答え申し上げます。
尖閣諸島は、一八八五年以降、日本政府が沖縄県当局などを通じて再三にわたり現地調査を行った結果、単に無人島であるだけではなく、清国を始めどの国の支配も及ばないことを慎重に確認した上で、日本政府は、一八九五年一月十四日に閣議決定を行い、正式に日本の領土に編入しております。この行為は、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しております。
その後、一八九六年には、民間の実業家が明治政府の許可を得て尖閣諸島の本格的な開拓を開始しました。これによって、多くの日本人が尖閣諸島に居住し、漁業を中心に、かつおぶし工場や羽毛の採集などに従事することになりました。
このように、明治政府が尖閣諸島の利用について個人に許可を与え、許可を受けた者がこれに基づいて同諸島において公然と事業活動を行うことができたという事実は、同諸島に対する日本の有効な支配を示すものです。
その後、第二次世界大戦後、日本の領土を法的に確定した一九五一年のサンフランシスコ平和条約において、尖閣諸島は、同条約第二条に基づいて日本が放棄した領土には含まれず、同条約第三条に基づいて、南西諸島の一部として米国の施政下に置かれました。
そして、一九七二年発効の沖縄返還協定によって、日本に施政権が返還された地域に尖閣諸島は含まれており、尖閣諸島は戦後秩序と国際法の体系の中で一貫して日本の領土として扱われてきた次第でございます。
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高良鉄美政府参考人など
一番最初に琉球国の話をしましたけれども、やっぱり、日本固有のと言うと、やっぱり沖縄からしたら違和感があるんですよ、これ。でも、逆に、今沖縄県だから、沖縄県が日本に入ったので日本の領土であるというなら分かりますよ。
歴史的にもといって、今明治の話をしていますけれども、中国との間で沖縄ずっと行っているときにこの尖閣列島というのはどういう役割を持っていたかというと、中国と冊封していますので、冊封関係ありましたので、中国に行って、戻ってくるとき、尖閣が見えたら、ああ、沖縄に行けると、そういう役割をずっとやっていって、何回も行っているわけです。これ、十三世紀から…
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170
滝沢求(自民)
本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
午後三時三十六分散会
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