慎重にも慎重にということで、いろいろあると思いますけれども。
沖縄戦では二十万トン、これ大体、米軍の砲弾が落ちて、一万トンが不発弾だと言われています。その一万トンのうち、米軍とそれから沖縄の住民が処理してきたのが大体五千五百トンぐらい、それで、自衛隊によってまた二千トンぐらいやっていますので、今は大体もう二千トン弱、前後だと思うんですね。でも、これでも、二千トンといったって、これは百キロ爆弾を二十回わあっとやらなきゃいけない、二百回ですかな、もう計算がちょっと、大分ありますけれども。
そこで、やっぱりこの不発弾の問題というのは、実はその処理の問題だけじゃなくて、住宅の建築とか、もう普通の状態で、首里高校のグラウンドから十六個の爆弾が見付かったと、二百五十キロ爆弾を始めですね。そして、来月もこれ、また爆弾処理をするんです。ですから、沖縄の方で、自衛隊の必要性、非常に感じていると。これしかし、防衛とかなんとかというよりも、不発弾処理と離島の急患を運ぶと、これで自衛隊は役立っているという評価なんですよ。だから、これ非常に、この不発弾の処理というのは、やっぱりその中でも非常に重要な意味を持っていると思います。
続きまして、沖縄の歴史も関係してちょっとお話をしていきたいと思いますけれども、沖縄から日本が見えるという言葉を聞かれたことがあるでしょうか。
サンフランシスコ講和条約発効によって沖縄が分離された屈辱の日である四月二十八日、沖縄県民は沖縄本島最北端の辺戸岬で決起集会を行いました。これ、毎年行っていますけれども。日本ではない沖縄から、当時ですね、鹿児島県の与論島が見えるということで、それが沖縄から日本が見えるということではもちろんないわけですよね。むしろ、この日本社会を歴史的、文化的、地理的独自性を持った沖縄から見たら、これは日本社会の問題がはっきりと浮かび上がって見えると、そういう意味で使われました。
沖縄県ほど外交と防衛が深く交差している自治体はほかにはありません。今日は、沖縄の歴史的、文化的、地理的背景が日本の外交、防衛、そして日本社会全体の在り方に大きく関わっている実態についてお話をいたします。
沖縄分離と尖閣について伺います。
岩屋大臣は、分島・増約という言葉を御存じでしょうか。御存じであれば、その分島・増約についての御認識をお伺いします。
158
中谷元(自民)防衛大臣
もう少し詳しく申し上げますと、この不発弾の信管が機能しているか否かを確認するためにさび等の除去をする過程で行われましたけれども、これはこの作業を民間に、引き受けるための前の段階の作業でございました。
いずれにしましても、こういった事故が起こったということにつきましては、しっかりと、この事故原因等について今調査をいたしておりますけれども、こういったことが発生しないように、しっかりと作業の在り方等も見直す必要があるのではないかなというふうに思います。
この発言のページ
159
高良鉄美政府参考人など
今回、弾薬保管庫ということでしたけれども、資料の一の四は、これ沖縄防衛局の委託業者が米軍北部訓練場返還跡地で見付かった不発弾を、これ昨年、浦添市の住宅街にある事務所内に保管していたことが明らかになっています。戦後八十年が経過する中で、不発弾の危険性に対する認識が薄れているようにも感じますが、今回の事故を契機に、防衛省・自衛隊としても、不発弾に対する認識、処理手順の確認を含めて再点検すべきだと思いますけれども、中谷大臣の御見解をお伺いします。
この発言のページ
160
中谷元(自民)防衛大臣
今回の事故は、既に回収、保管していた不発弾を業者に渡すための作業の過程で起こったものでありますが、この種の作業については既に今停止をいたしております。
こういったことにつきまして、もう一度、この事故原因の、発生の原因を調査をいたしまして、こういった安全管理を徹底した上で継続することを考えておりますので、現在、事故調査委員会、これの点の処理の在り方について、特に隊員の安全を確保する、また周囲に被害を及ぼさない、こういった不発弾処理の危険性を再認識させて、取扱事項について徹底を図ってまいりたいと考えますし、また、沖縄の県下にはまだまだ多くの不発弾が地中に埋…
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- (上の発言)
161
高良鉄美政府参考人など
慎重にも慎重にということで、いろいろあると思いますけれども。
沖縄戦では二十万トン、これ大体、米軍の砲弾が落ちて、一万トンが不発弾だと言われています。その一万トンのうち、米軍とそれから沖縄の住民が処理してきたのが大体五千五百トンぐらい、それで、自衛隊によってまた二千トンぐらいやっていますので、今は大体もう二千トン弱、前後だと思うんですね。でも、これでも、二千トンといったって、これは百キロ爆弾を二十回わあっとやらなきゃいけない、二百回ですかな、もう計算がちょっと、大分ありますけれども。
そこで、やっぱりこの不発弾の問題というのは、実はその処理の問題だけじゃなくて、住宅の建築とか、もう普通の状態で、首里高校のグラウンドから十六個の爆弾が見付かったと、二百五十キロ爆弾を始めですね。そして、来月もこれ、また爆弾処理をするんです。ですから、沖縄の方で、自衛隊の必要性、非常に感じていると。これしかし、防衛とかなんとかというよりも、不発弾処理と離島の急患を運ぶと、これで自衛隊は役立っているという評価なんですよ。だから、これ非常に、この不発弾の処理というのは、やっぱりその中でも非常に重要な意味を持っていると思います。
続きまして、沖縄の歴史も関係してちょっとお話をしていきたいと思いますけれども、沖縄から日本が見えるという言葉を聞かれたことがあるでしょうか。
サンフランシスコ講和条約発効によって沖縄が分離された屈辱の日である四月二十八日、沖縄県民は沖縄本島最北端の辺戸岬で決起集会を行いました。これ、毎年行っていますけれども。日本ではない沖縄から、当時ですね、鹿児島県の与論島が見えるということで、それが沖縄から日本が見えるということではもちろんないわけですよね。むしろ、この日本社会を歴史的、文化的、地理的独自性を持った沖縄から見たら、これは日本社会の問題がはっきりと浮かび上がって見えると、そういう意味で使われました。
沖縄県ほど外交と防衛が深く交差している自治体はほかにはありません。今日は、沖縄の歴史的、文化的、地理的背景が日本の外交、防衛、そして日本社会全体の在り方に大きく関わっている実態についてお話をいたします。
沖縄分離と尖閣について伺います。
岩屋大臣は、分島・増約という言葉を御存じでしょうか。御存じであれば、その分島・増約についての御認識をお伺いします。
162
岩屋毅(自民)外務大臣
高良先生には、大変お疲れさまでございました。いろいろお教えいただいて、ありがとうございました。
御指摘の分島・増約ですけれども、直近まで正直、私存じ上げませんでしたが、調べましたところ、明治四年に締結された日清修好条規を改正し、また中国内部において欧米並みの通商権を獲得するために、当時の明治政府が清国に対して宮古、八重山の二島を割譲することを提案したとされることを指すと承知をしております。
しかし、その後行われた同条規の改正交渉では、最終的に双方で合意に至らず、同条規は、明治二十八年四月に調印された日清講和条約、いわゆる下関条約第六条において破棄され…
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高良鉄美政府参考人など
資料の二の二の方ですね、最後の二つですけれども。沖縄は、一八七二年、これ廃藩置県の翌年です、もう藩はありません、しかし七二年から琉球藩ができるんです。明治五年のことです、これが、琉球藩がですね。江戸時代ではもちろんないわけなので、琉球藩の場合には、琉球国王に対して、詔勅によって、藩主ではなくて藩王と、藩王に封ずるとなされたわけです。ついでにと言ったら変ですけれども、華族である侯爵ですね、侯爵に列するということも付いておりました。そして、一八七九年、この琉球藩がいわゆる琉球処分によって沖縄県ということになるわけですけれども、これ廃藩置県の置県とはちょっと違…
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164門門脇仁一外務省大臣官房参事官
お答え申し上げます。
一次資料を網羅的に確認しているわけでは、できているわけではございませんが、資料や研究書、論文等に基づけば、明治四年に締結された日清修好条規には明治政府が求める最恵国条款が含まれていなかったと、このことから、同修好条規の改正等を目的に清国と累次協議が行われ、その中で、日本側より清国側に対し、いわゆる分島・増約が提起されたと承知しております。
先ほど岩屋大臣の方から御説明申し上げましたが、その後行われた改正交渉、実際始まりましたけれども、最終的には双方で合意に至らず、この条規は、一八九五年、明治二十八年四月に調印された日清講和条約、…
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