ありがとうございます。
基礎自治体の首長さんともよく連携取っていただいて、地元から採用されるということの努力も必要だと思いますので、我々も応援したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
以上で終わります。ありがとうございました。
2025年6月12日・第217回国会 参議院 外交防衛委員会 第19号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 91 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 171 発言)
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基礎自治体の首長さんともよく連携取っていただいて、地元から採用されるということの努力も必要だと思いますので、我々も応援したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
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海上自衛隊の艦艇が他国に停泊をしている際には、国内と同様に甲板上の定期的な巡回等による堅実な警備を実施をいたしております。また、万が一ドローンにより艦艇に危害が加えられるおそれがある場合には、現地の治安機関とも必要な連携をしつつ、ドローン対処器材の活用も含めて、持てる能力を活用して対処を実施することとなります。これに加えて、一般に海上護衛艦は対空レーダー等を装備しておりまして、目標物を捜索、追尾することが可能であります。 その上で、委員御指摘のように、海外派遣時も含めて、艦艇におけるドローン対処能力、これを高めていくということは重要でありまして、防衛省…
ガスタービンを止めていたりするときに周波数帯を出せないケースもあったりするので、いろんな装備をこれから考えていただいて、導入できるようにも検討いただきたいということをお願いしたいと思います。 次に、北海道の防衛体制について質問いたします。 現下の安保環境を踏まえれば、防衛力を南西シフトとすることに関しては理にかなっていると思います。一方で、北方の守りを固めること、多角的な即応力を確保するということは死活的に重要であります。北海道の自衛官の充足率の確保、特に新隊員の確保のために、もう一段、これまで以上に手当を充実させるなど必要な対策を打っていただきたい…
先日、委員は富士学校を訪問されまして、幹部訓練やレンジャー訓練を体験をされて、その模様をユーチューブで公開をされたわけでございますが、やはり自衛官の生活や勤務に対して現場で確認をしていただくということはいいことでございます。 北海道に勤務する自衛官の新たな支給とした手当の一例としましては、降雪時の環境下で行われる冬季遊撃訓練に参加する場合に支給されるレンジャー作業手当、九州、沖縄方面から北海道に異動した場合に支給されます作戦環境等順応手当を新設をするということにいたしました。 また、最近、転勤を望まない若者の世代が増えていることを踏まえまして、准曹士…
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基礎自治体の首長さんともよく連携取っていただいて、地元から採用されるということの努力も必要だと思いますので、我々も応援したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
以上で終わります。ありがとうございました。
日本維新の会の柳ヶ瀬裕文でございます。 六年間、任期が終わりまして、最後の質疑ということで、この場に送り込んでいただいた皆様に感謝を申し上げたいというふうに思います。 〔委員長退席、理事佐藤正久君着席〕 今から二十八年前の平成九年四月十八日の衆議院法務委員会で、当時新進党所属の安倍基雄議員が、当時の時点で帰化や違法外国人について懸念を示しています。国籍問題あるいは帰化をどうするか、あるいは合法的に入ってくる人間の資格をどうするか、違法に入ってくる人間をどう防ぐか、この三つの柱を中心に今から、既にそういったことを経験した国の御努力を勉強するというか研…
お答え申し上げます。 出入国管理及び難民認定法におきまして、外国人が永住許可を受けるためには、原則として、素行が善良であること、独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有すること、日本国の利益に合すると認められること、これらの三つの要件を満たす必要がございます。 そのうち、日本国の利益に合すると認められるとの要件につきまして、外国人の方が長期間にわたり問題なく我が国社会の構成員として居住していると認められる場合にはこの要件に適合すると考えられますので、永住許可に関するガイドラインにおきまして、原則として引き続き十年以上本邦に在留していることを本邦在留要…
これ、この重要な決定を内規変更でやっているんですね。運用の変更でやっているということであり、これは法改正でやったわけではなくて、当時、えいやと、規制緩和の要請があった、その中で、これ、二十年の居住要件を一気に十年にしたということであります。 その結果、これどうなったのかということでありますけれども、この永住許可に関しては、それまでは年間で一万人程度の増加ベースでありましたけれども、その緩和した翌年には約二万人の増、その翌年には三万人の増、そしてその翌年には三万八千人の増、そして二〇〇八年には五万二千人の増ということで、それをピークに、若干緩やかになった…