有田芳生 (立憲民主党)

2025年3月12日・第217回国会 衆議院 法務委員会 第2号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 88 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 317 発言)

三十年というと、もう新聞記者さんの中でも、生まれていませんでしたとか、そういう時代になってしまった。ましてや、この問題のどこに、例えばオウム真理教などに入ってしまうんだろうかということがこの三十年間はほとんど日本社会として検証されていない状況の下で、後で公安調査庁にお聞きしますけれども、特に若い人たちがいまだ後継団体に入ってきているという現実がある。

地下鉄サリン事件というのは、一言で言うならば、人類史において初めて都市部でサリンがまかれた。あのヒトラー、ナチズムがサリンというものを開発したにもかかわらず、これは使っちゃいけないということでヒトラー、ナチズムでさえ使わなかったものが、確かにフセイン政権の下でクルドに対して使われたという歴史的な事件はありましたけれども、都市部においては初めてなんですよね。それがどう検証されたかというのは、非常に重要な、深刻な問題を抱えていると思います。

そして、次にお聞きをしたいんですけれども、警察庁にお聞きをするんですけれども、事件は果たして食い止めることができなかったのかという重大問題なんですよね。

例えばオウム真理教についての事件でいえば、一つ挙げるとすれば、一九八九年の十一月四日午前三時頃、オウムの信者たち六人が坂本一家、坂本堤弁護士一家の自宅に侵入をして家族三人を殺害した。でも、その三か月後には、オウム真理教の信者だった、幹部だった岡崎一明という元死刑囚が神奈川県警に手紙を出して、写真と地図、ここに龍彦ちゃんが眠っていると言う。神奈川県警は二回捜索をしたんだけれども発見することができなかった。だけれども、九五年三月二十日に地下鉄サリン事件が起きて、その年の九月には三人の遺体が発見されるということがあった。この一つの問題、どういう捜査をやっていたかということ。

あるいは、二つ目の問題として、一九九四年の六月二十七日、松本サリン事件が起きましたよね。あのときだって、警察は努力をされて、すぐにサリン残滓物というものを発見しているんですよ。だから、松本サリン事件についても、やはりオウムだろうということは九四年の十一月の段階でそう見られていた。

あるいは、三つ目、もう一つだけ挙げておきますけれども、九五年の一月四日に、オウムの被害者家族の会の永岡弘行さんがオウムの信者によってVXで殺されかけた。救急搬送されて重体になったんだけれども、病院がサリンを検出されなかったということで、当時の警視庁は農薬による自殺じゃないかという判断を下しているんですよね。

九四年の十一月には、実は、国松孝次、当時の長官を始めとして、オウムに対する一斉捜索をやろうと、九四年十一月ですよ、地下鉄サリン事件の何か月も前に一斉捜索をやろうと検討したんだけれども、時期尚早という結論を出してしまった。

だから、結論的に言えば、地下鉄サリン事件を食い止めることができたのではないかと私は思っているんだけれども、警察庁はどのような総括をされているでしょうか。

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