上村英明 (れいわ新選組)

2025年4月9日・第217回国会 衆議院 内閣委員会 第12号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 120 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 187 発言)

ありがとうございます。

認識もそうですし、多分国会で余り議論をしたこともないなというふうに思っているんですけれども、一つの考え方を、もし間違っていれば御指摘いただきたいんですけれども、あり得るとすれば、一八六九年七月から八月がこの時期に当たります。

御存じのように、明治政府は一八六八年から始まったように取られているんですけれども、実はその後すぐ戊辰戦争が始まったので、実は幕府の方を欧米列強は交戦団体として認識しておりました。ですから、交戦団体があるうちは、明治政府は正統政府ではなかったわけです。これが終結したのが一八六九年六月で、その後に国家建設が始まるということになります。

この年の七月に統治機構としての開拓使が設置されたというのは北海道であれば当たり前のことですけれども、さらに、その次の月の八月十五日、これも、北海道にいると北海道の重要な記念日として認識されることが多いと思うんですけれども、この八月十五日に太政官布告が出まして、蝦夷地を北海道に改称するということをやります。

これは何かというと、蝦夷地というのは、これは実は北海道のホームページにも今載っかっているんですけれども、北海道の経歴というところを見ますと、異民族が住む土地が蝦夷地です。これを北海道に読み替えるということなんですけれども、この北海道は何かというと、これは、律令制度のときにできた五畿七道という日本の地方行政区分があったんですけれども、御存じのように、七道というのは、東海道、それから北陸道、今でも新幹線の名前なんかに出てくるのは、日本のかなり古い時代からの、ある種の地域行政制度だったんですけれども、これに足して八道目として北海道を新設する。つまり、この段階が、日本の行政制度の中に実はこの土地が組み込まれたことになります。

同時に、この日に十一国八十六郡の国郡制が実施されます。今でも胆振国とかいろいろな言い方をするんですけれども、そうしたものが組み込まれたのがこの一八六九年八月でありまして、このとき初めて、日本の国内統治機構が北海道に適用されたんです。それまでは鎖国でしたから、日本の国内というのは鎖国の範囲内です。ですから、北海道、蝦夷地というのは日本の国内ではなかったというふうに考えてもいいのではないかなと思います。

そうしたことを踏まえて、一八六九年以前には、札幌地裁判決が述べるように、アイヌ民族の慣習法が存在したというふうに思うんですけれども、その後、そうした慣習法を日本政府が公式に否定したということがあるのでしょうか。まず、政府参考人、いかがでしょうか。

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