井野俊郎 (自由民主党)

2025年2月12日・第217回国会 衆議院 内閣委員会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 23 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 375 発言)

自由民主党の井野俊郎でございます。

本日は、内閣委ということもありまして、一応、沖縄北方担当大臣というのが置かれているのが内閣府でございます。今日は、北方領土についてお伺いをさせていただきたいと思います。

まず、北方領土、この間も、つい先日も、国民決起大会というんでしょうか、そういう会が催されております。

今日は、「われらの北方領土」という外務省が出している資料に基づいて少し歴史的な経緯をお話ししますと、一八五五年の日露通好条約に基づいて、択捉、国後、歯舞、色丹の四島、いわゆる北方領土と言われていますけれども、これが日本に帰属するということが確認をされ、その後、一八七五年にロシアとの間で、樺太千島交換条約によって、択捉の先の千島列島が我が国、日本領土になりました。その後、一九〇五年のポーツマス条約に基づいて、南樺太、今はサハリンと呼ばれていますけれども、この南樺太が我が国に併合され、最後、一九五一年のサンフランシスコ平和条約に基づいて、千島列島が放棄されたというような歴史的な経緯をたどっています。

問題は、この下の、いわゆる第二次世界大戦のときの動きでございます。

皆さんに歴史のことを言うのもはばかられるところでありますけれども、一九四五年の八月九日に、日ソ中立条約を一方的に破棄して、ソ連がいわゆる千島列島等に攻め込んできたという歴史的な経緯がございます。

その上で、これがまた、これは後々のことで問題になってくるわけですけれども、八月二十七までが択捉より先の千島列島、そして八月二十八日に択捉島に侵入したということになっています。その後、九月の一日から四日、国後と色丹島という形で、まず幅がある記載になっています。

そもそも、外務省として、我が国の領土たる国後、色丹、歯舞がいつ占領されたのかということは把握をしていないんでしょうか。

前後のやりとり

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