この補足性原理なんですけれども、本当に、国内に限らず、海外からも指摘がされています。国連の社会権規約委員会などでも、この補足性原理については問題視されているということであります。
少し、ちょっと歴史の話をさせていただくんですけれども、私が調べたところ、補足性原理、この歴史をたどっていくと、日本国内では大宝律令の時代ですね、七世紀。大宝律令が施行されて、租税が国民に対して課せられるようになったときに、それが厳しくて、生活に困窮する世帯が出てくることが想定されて、その場合、まずは困窮している人の親族で助け合いなさい、それでも助けることができない場合には国が面倒を見ます、こういう考え方が取り入れられました。七世紀ですね。
近代でも、いわゆる旧生活保護法あるいはそれ以前、明治時代の恤救規則や救護法の時代ですけれども、このときも、まず本人が働けるのに働かなかったり、あるいは素行不良な者に対しては生活保護を提供しない。つまりは、自分でできるのだったら自分でやりなさい、素行不良の場合には支援を受ける資格もありませんというような欠格条項が含まれていて、旧生活保護法のときまで残っていました。
今の生活保護法が成立したときに欠格条項はなくなったんですけれども、ただ、それでもやはり、ある種の自己責任ですね、資産があり、あるいは働けるのであれば働いてください、その上で今の生活保護制度を請求してくださいというような考え方を今なお、今の日本の国は取っています。
これで権利性をちゃんと国民の皆さんに理解してもらいたいと言っても、なかなかこれは、国がこれまでたどってきた歴史と、そして今、補足性原理というものを採用している今の国の姿勢と、一方で、国民には権利があるからそれをちゃんと活用してほしいというその思いが、ある種矛盾していると思うんですね。
これを解消するための提案として、次の質問に移りたいんですけれども、これは今まで様々な有識者あるいは団体からも提案されているんですが、生活保護という言葉、この言葉が持つ上意下達の響きが制度に対する忌避感やスティグマを助長しているという指摘があります。ドイツでは、生活保護という名前を改め、市民手当という名称に変えました。韓国でも、生活保護法の名前を改め、基礎生活保障法へと名前を変えました。
日本においても、生活保障あるいは基礎生活支援といった名称、つまりは、国がしっかりと保障するんだ、国民の最低限の暮らしを、憲法二十五条で規定された最低限の暮らしを国が保障するという姿勢をしっかりと示す、そんな名称に改めるべきではないかと思うんですが、政府の見解はいかがでしょうか。
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福岡資麿(自民)厚生労働大臣
まず、生活保護が必要な方に対しては、迅速かつ速やかに保護を実施することが重要だと考えております。このため、生活保護の申請権の侵害であったり、また、侵害していると疑われるような行為も厳に慎むよう、これまでも、全国主管課長会議であったりケースワーカー向け研修において、自治体に対して周知徹底を図ってきております。
あわせまして、国や都道府県が実施する福祉事務所への指導、監査におきましては、生活保護の申請に当たり、面接相談が適切に行われているか、申請の意思がある場合には申請書を交付し手続に係る助言が行われているかなどを確認し、申請権の侵害が疑われる事例などが認…
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浅野哲(国民)
是非、第三者制度の制度化については引き続き検討を進めていただきたいと思います。
私は、申請者も、あとはその相談に対応している自治体の職員の方々も、それぞれが相手のことを真剣に考えながら対応しているとは思うんですね。正義の反対はもう一つの正義という言葉がありますけれども、私は、自治体の職員さんの考え方であったり仕事に対する向き合い方に問題があるというよりも、まず申請を受け付けるところがスタートなんだと。
申請を受け付ける前段階の相談の段階で、安易に、これはちょっと申請には及ばないんじゃないのかとか、もっとやるべきことをやってからここに来るべきじゃないの…
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福岡資麿(自民)厚生労働大臣
議員御指摘の考え方については受け止めをさせていただいた上で、その上で私どもとしましては、この生活保護制度、資産調査等については、生活保護法に基づく生活保護制度の基本原理として、利用し得る資産、能力その他あらゆるものを活用することを保護の要件としておりますことから、生活保護の適正な実施のためには必要な手続と考えているところでございます。
生活保護の申請が国民に認められた権利であること、このことにつきましては、ケースワーカー向けの研修であったり、厚生労働省のホームページなどで周知をしているところでございまして、引き続き適切な運用を図ってまいりたいと考えてい…
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- (上の発言)
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浅野哲(国民)
この補足性原理なんですけれども、本当に、国内に限らず、海外からも指摘がされています。国連の社会権規約委員会などでも、この補足性原理については問題視されているということであります。
少し、ちょっと歴史の話をさせていただくんですけれども、私が調べたところ、補足性原理、この歴史をたどっていくと、日本国内では大宝律令の時代ですね、七世紀。大宝律令が施行されて、租税が国民に対して課せられるようになったときに、それが厳しくて、生活に困窮する世帯が出てくることが想定されて、その場合、まずは困窮している人の親族で助け合いなさい、それでも助けることができない場合には国が面倒を見ます、こういう考え方が取り入れられました。七世紀ですね。
近代でも、いわゆる旧生活保護法あるいはそれ以前、明治時代の恤救規則や救護法の時代ですけれども、このときも、まず本人が働けるのに働かなかったり、あるいは素行不良な者に対しては生活保護を提供しない。つまりは、自分でできるのだったら自分でやりなさい、素行不良の場合には支援を受ける資格もありませんというような欠格条項が含まれていて、旧生活保護法のときまで残っていました。
今の生活保護法が成立したときに欠格条項はなくなったんですけれども、ただ、それでもやはり、ある種の自己責任ですね、資産があり、あるいは働けるのであれば働いてください、その上で今の生活保護制度を請求してくださいというような考え方を今なお、今の日本の国は取っています。
これで権利性をちゃんと国民の皆さんに理解してもらいたいと言っても、なかなかこれは、国がこれまでたどってきた歴史と、そして今、補足性原理というものを採用している今の国の姿勢と、一方で、国民には権利があるからそれをちゃんと活用してほしいというその思いが、ある種矛盾していると思うんですね。
これを解消するための提案として、次の質問に移りたいんですけれども、これは今まで様々な有識者あるいは団体からも提案されているんですが、生活保護という言葉、この言葉が持つ上意下達の響きが制度に対する忌避感やスティグマを助長しているという指摘があります。ドイツでは、生活保護という名前を改め、市民手当という名称に変えました。韓国でも、生活保護法の名前を改め、基礎生活保障法へと名前を変えました。
日本においても、生活保障あるいは基礎生活支援といった名称、つまりは、国がしっかりと保障するんだ、国民の最低限の暮らしを、憲法二十五条で規定された最低限の暮らしを国が保障するという姿勢をしっかりと示す、そんな名称に改めるべきではないかと思うんですが、政府の見解はいかがでしょうか。
138日日原知己厚生労働省社会・援護局長
お答えを申し上げます。
国民が生活保護を受けることに関する権利性という点で申し上げますと、現在の生活保護法におきましても、例えば第二条におきまして、国民はこの法律による保護を無差別平等に受けることができるとされているなど、国民が生活保護を受ける権利性は既に明確にされているというふうに考えてございます。
また、生活保護の名称の点についてでございますけれども、この名称が長く使われている中で、御提案のような名称に変更した場合には、ほかの社会保障制度との区別が難しく、かえって制度が分かりにくくなるということも考えられますことから、生活保護の名称を変更する必要…
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浅野哲(国民)
それは、非常にお役所的な発想ではないかなと思いますね。
現に、冒頭、質問で指摘させていただいたとおり、生活保護制度の利用率は一・七%です。しかも、これまで日本がたどってきた歴史を考えたときに、先ほどの補足性原理というのは、明らかに自己責任を国民に求める制度。その一方で、生活保護法第二条、無差別平等原則を取り入れているとはいえ、それに矛盾するような考え方を原則の中に入れている。だから、この制度は、非常に多くの方々に、保護を受けるのは嫌だ、保護を受けるのは恥ずかしい、生活保護を受けずに生活しなければというような、ある種の強迫観念や強いスティグマを生み出して…
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福岡資麿(自民)厚生労働大臣
先ほども申し上げましたように、生活保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われております。
自動車は、利用し得る資産に該当いたしまして、また、その維持費が生計を圧迫することなどを踏まえまして、原則として自動車の保有は認められていないところでございます。
ただし、障害者の方であったり、公共交通機関の利用が著しく困難な地域に居住する方が通勤、通院、通所又は通学のために自動車を必要とする場合など、一定の要件を満たす場合には、例外的にその保有が認められています。
こ…
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