阿部知子 (立憲民主党)

2025年6月3日・第217回国会 衆議院 環境委員会 第10号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 193 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 251 発言)

大臣は包括的におっしゃってくださいましたが、もちろん、汚染を起こしたチッソという企業、実は、昭和七年からアセトアルデヒドの加工をやっていて、水銀が出ていた。そして、戦争を挟んで、戦後の高度経済成長期に事業規模が拡大されて、今までを勝る水銀が湾に捨てられた。そこから汚染が始まるわけですが、でも、企業がそういうことを起こしたときに国が迅速に正しく対応しておれば、私はここまでの不幸はなかったと思うんです。

大臣もお聞き及びかもしれませんが、一九五三年に猫がくるくると回って狂ってしまう。そして、一九五五年には月浦という湾のところの猫が全滅をしてしまう。そして、そこに住んでいた女の子のきょうだい二人が初めての公式患者認定を受けるのが一九五六年であります。

しかし、実際の水俣のチッソ工場の排水が止められたのは一九六八年であります。一例目が公式認定されてから十二年もたって初めて止められるわけです。

その間、企業は、企業の排水であることを否定したり、あるいは、国は一九五八年に水質二法というのを作ってこの地域の水質についての規制をかけたわけですが、元を断たなきゃ駄目、排水を止めなければこれはずっと続くわけです。そのことが、二〇〇三年の最高裁で、国の不作為ですね、水質二法に基づく規制が不十分なものであったゆえにこれだけの患者さんを生んでしまったと。ここは国賠訴訟になるわけです。国の責任ということを是非浅尾大臣には省庁に徹底をして共有していただきたいです。

そういうものがないと、患者さん、被害者への目線も、仮病ではないか、お金欲しさではないか。みんなつらいから訴えるんですね。裁判など本当はしたくない、だけれども、認められないから自分の命のぎりぎりのところでやっているということなんだと思います。

今の私が申し上げた水質二法の規制が不十分で、それだけじゃなくて、当時の経済企画庁は、実は、協議会を開催していたものも中断させて、一九六〇年です、以降、排水をある意味知っていながら規制しなかった結果なのであります。私はそう認識しておりますが、大臣、いかがでしょうか。

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