土屋品子 (自由民主党)

2024年11月13日・第215回国会 衆議院 本会議 第2号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 17 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 21 発言)

この度、院議をもって衆議院議員在職二十五年の表彰を賜りました。心より厚く御礼申し上げます。

とりわけ、私をこれまで支えていただいた地元後援会や支援者の皆様、そして、苦しいときも献身的に尽くしてくれた秘書や事務所スタッフに感謝いたします。(拍手)

私は、小選挙区制導入後初の総選挙に立候補したわけですが、実は平成五年の中選挙区制での初出馬に向けて準備を進めていました。ところが、両親を始め家族からの猛反対を受け、立候補するなら勘当だと言われ、出馬を一度は断念しましたが、諦め切れず、家を出て、次の選挙に向け、朝の駅頭や、支援者の輪を広げるべく様々な活動をし、三年の時を経て初当選をさせていただきました。(拍手)

私が国会議員を目指したのは、三十歳代に世界の女性指導者と会う機会があったことが大きく影響しています。

特に、先進国初の女性首相となった英国のサッチャー首相、世界初の民選国家元首であるアイスランドのフィンボガドゥテル大統領、そして、夫が暗殺された後、ニカラグア初の女性大統領となったチャモロ大統領の三人に政治家を志すよう助言をもらったことが強く私の気持ちを奮い立たせました。

フィンボガドゥテル元大統領には、ずっと娘のようにかわいがってもらい、今年の七月に日本・アイスランド友好議員連盟の会長として訪問した際には、復興大臣就任を我が事のように喜んでいただきました。

初当選以来、自分自身の信念である議員外交を積極的に展開してまいりました。これまでに世界九十三の国と地域を訪問し、多くの要人と会談を重ねてきました。世界情勢が不安定な中で、我が国を取り巻く安全保障環境も激変していますが、これまで培ってきた人脈を活用して、今後ともしっかり取り組んでまいります。

この間に取り組んだ法律の中で印象に残っているのは、議員立法で成立させた臓器移植法です。国会議員として最初に所属したのが厚生委員会で、十年以上も継続審議や廃案を繰り返し、成立を見ることがなかった法案でした。当時、日本は海外に臓器を買いに行っているという非難が外交問題に発展する様相を見せていた時期で、提案議員として、議連のメンバーと手分けをして賛同者を募り、党議拘束を外しての採決で法案が成立いたしました。

また、介護保険法の成立にも深く関わりました。与野党伯仲の中、無所属だった私の一票が決め手となり、委員会を通過しました。その後、介護現場の実態を知るためにホームヘルパー二級の資格を取ったのも、よい思い出です。

選挙では一度だけ苦杯をなめたこともありました。旧埼玉十三区の皆様に励まされ、再度国会に送ってもらったことが、自分自身の成長にもつながったと感じています。

今回の区割りで新設された新十六区でも、半分以上も選挙区が変わる中、小選挙区で九回目の当選をさせていただき、支えてくださった皆様には、感謝してもし切れません。

昨年の九月から今年の十月まで、復興大臣として現場主義を貫いてまいりましたが、今日この日を一つの区切りとして、座右の銘である飛耳長目を実践していくことを肝に銘じ、我が国の繁栄のため真摯に働いていくことをお誓いして、謝辞といたします。

本日は誠にありがとうございました。(拍手)

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