先ほど、徳永委員の方から二〇〇四年の沖縄国際大学へのヘリの墜落事故の話がありました。当時、私は沖縄北方担当大臣でありまして、事故の発生以降、すぐに沖縄の方に飛びまして、その現場も見させていただきました。あそこに学生がいたらどうなっていたんだろうと、そういう思いを持って、二度とこういう事故であったりとか、また度重なる事件と、こういったものが繰り返されてはいけない、こういう思いを強くしているところであります。
沖縄県内に全国の約七〇%の米軍、在日米軍の専用施設・区域が集中していると。沖縄県民の皆さんには大きな基地負担を担っていただいていること、重く受け止めておりますし、隣に宮崎防衛副大臣いらっしゃいますけれど、私も宮崎議員の案内で何度も地元も訪問させていただいて、実際に近くにお住まいの方の声も聞いてまいりました。確かに騒音がうるさいと、こういう話も聞いて、どうにかしなけりゃいけない。ラムズフェルド元国防長官も、あの普天間基地を見て、世界で一番危険な基地だと、こういう発言もされたわけでありまして、この危険の除去、何よりも重要な問題だと思っております。
そして、御指摘の一九九六年の十二月のSACO最終報告、これは、私にとっても、また先ほど質問に立たれた鈴木委員にとっても、政治家としての師であります橋本元総理とモンデール元駐日大使と、この間で普天間飛行場の全面返還、これを表明したことを踏まえて作成したものでありまして、そこで盛り込まれております在日米軍施設・区域、十一施設があるわけでありますが、その返還については、まだ道半ばでありますけれど、北部訓練場の過半の返還を含みます六施設の返還、現在のところ実現をしているところであります。
普天間飛行場につきましては、辺野古移設が唯一の解決策であると、こういう方針に基づき代替施設の工事を着実に進めていくと、このことが一日も早い全面返還を実現をして危険性の除去につながる、このように考えているところでありまして、外務省としても、引き続き防衛省を含みます関係省庁と連携して、現行の日米合意に基づきまして、普天間飛行場の一日も早い全面返還の実現であったりとか、基地負担の軽減を図るために全力で取り組んでいきたいと思っております。
橋本総理、そして当時の梶山官房長官、小渕総理、そしてまた野中官房長官、鈴木副長官もそうでありましたが、本当に沖縄の心を心として取り組むと、その思いを忘れてはいけない、こういう思いで引き続き全力で取り組んでまいりたいと、こんなふうに思っております。
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徳永エリ(立憲)
立憲民主党の徳永エリでございます。今日はどうぞよろしくお願い申し上げます。
沖縄宜野湾市に行って、高台から見ますと、もう周りは民間の住宅、学校、病院、そして商業施設ですよ。市街地の中心に位置している、世界で最も危険な飛行場と称される米軍普天間飛行場の全面返還に日米政府が合意してからこの四月十二日で三十年となりましたけれども、いまだ返還が実現いたしておりません。
一九五九年、十七人が死亡した宮森小学校米軍機墜落事故、二〇〇四年の沖縄国際大学のヘリ墜落事故など、いつまた事故が起きるかもしれない、住民の方々は大変に不安な気持ちでおられます。その気持ちがずう…
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黄川田仁志(自民)内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・消費者及び食品安全・こども政策・少子化対策・若者活躍・男女共同参画・地方創生・アイヌ施策・共生・共助)
政府といたしましては、沖縄の基地負担の軽減に対して全力で取り組んでいく考えでございます。
普天間飛行場については、その危険性の除去を図ることが極めて重要な課題であるとの認識の下、一日も早い全面返還を実現していくことが政府の方針でございます。
私は沖縄振興を担当する立場でございますので、この返還された後の基地の跡地利用、この推進に沖縄振興のために全力で取り組んでいきたいというふうな覚悟でございます。
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徳永エリ(立憲)
もっと県民の気持ちに寄り添ったお話が聞けると有り難かったんですけれども。
それから、三十年前、日米合意がなされた際に、当時の橋本龍太郎首相は、モンデール駐日大使と臨んだ記者会見で普天間飛行場の返還については五年ないし七年と説明されまして、さらに、政府と県が一体となって努力することで五年が縮められればそれにこしたことはないと、前倒しにも言及されました。これは、返還に向けての強い政治決意だったと私は思っております。その思いが今の政府に引き継がれているんでしょうか。
また、当時、池田外務大臣ら署名をいたしました沖縄施設・区域特別行動委員会、SACO最終報告…
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- (上の発言)
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茂木敏充(自民)外務大臣
先ほど、徳永委員の方から二〇〇四年の沖縄国際大学へのヘリの墜落事故の話がありました。当時、私は沖縄北方担当大臣でありまして、事故の発生以降、すぐに沖縄の方に飛びまして、その現場も見させていただきました。あそこに学生がいたらどうなっていたんだろうと、そういう思いを持って、二度とこういう事故であったりとか、また度重なる事件と、こういったものが繰り返されてはいけない、こういう思いを強くしているところであります。
沖縄県内に全国の約七〇%の米軍、在日米軍の専用施設・区域が集中していると。沖縄県民の皆さんには大きな基地負担を担っていただいていること、重く受け止めておりますし、隣に宮崎防衛副大臣いらっしゃいますけれど、私も宮崎議員の案内で何度も地元も訪問させていただいて、実際に近くにお住まいの方の声も聞いてまいりました。確かに騒音がうるさいと、こういう話も聞いて、どうにかしなけりゃいけない。ラムズフェルド元国防長官も、あの普天間基地を見て、世界で一番危険な基地だと、こういう発言もされたわけでありまして、この危険の除去、何よりも重要な問題だと思っております。
そして、御指摘の一九九六年の十二月のSACO最終報告、これは、私にとっても、また先ほど質問に立たれた鈴木委員にとっても、政治家としての師であります橋本元総理とモンデール元駐日大使と、この間で普天間飛行場の全面返還、これを表明したことを踏まえて作成したものでありまして、そこで盛り込まれております在日米軍施設・区域、十一施設があるわけでありますが、その返還については、まだ道半ばでありますけれど、北部訓練場の過半の返還を含みます六施設の返還、現在のところ実現をしているところであります。
普天間飛行場につきましては、辺野古移設が唯一の解決策であると、こういう方針に基づき代替施設の工事を着実に進めていくと、このことが一日も早い全面返還を実現をして危険性の除去につながる、このように考えているところでありまして、外務省としても、引き続き防衛省を含みます関係省庁と連携して、現行の日米合意に基づきまして、普天間飛行場の一日も早い全面返還の実現であったりとか、基地負担の軽減を図るために全力で取り組んでいきたいと思っております。
橋本総理、そして当時の梶山官房長官、小渕総理、そしてまた野中官房長官、鈴木副長官もそうでありましたが、本当に沖縄の心を心として取り組むと、その思いを忘れてはいけない、こういう思いで引き続き全力で取り組んでまいりたいと、こんなふうに思っております。
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徳永エリ(立憲)
ありがとうございました。
当時、五年ないし七年、いや、もっと早くやるんだと、本当に強い政治決意だったと思いますけれども、それから三十年ですからね。世界で最も危険な飛行場と言われて、なのに、三十年間、いまだ返還されていない。一日も早く返還していただかなければならないと思いますので、全力で取り組んでいただきたいということを申し上げたいと思います。
普天間飛行場は、先ほど申し上げましたけれども、宜野湾市の中心地に位置しています。未返還面積が四百七十六ヘクタールと、膨大な面積ですよね。これだけの面積が返還されれば、跡地利用による宜野湾市のみならず沖縄県全体へ…
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宮崎政久(自民)防衛副大臣・内閣府副大臣
普天間飛行場代替施設の建設に関連して今の返還の時期についての御説明をさせていただきますが、その工期につきましては、変更後の計画に基づく工事に着手をしてから工事完了まで九年三か月、提供手続の完了まで約十二年を要する旨御説明をさせていただいております。
引き続き、普天間飛行場の一日も早い全面返還に向けて工事を着実に進めてまいりたいと思っております。
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徳永エリ(立憲)
そうはおっしゃいますけれども、今、工事の進捗状態ですけど、全体の一七%しかできていないんですね。軟弱地盤の問題も大変に難しい問題だというふうに思います。また、辺野古の新基地建設の総工費は、二〇一四年の試算では三千五百億円、二〇一九年の試算では九千三百億円、さらに二〇二四年までにその七割の六千四百八十三億円を支出済み、こういうことなんですよね。進捗状態は一七%、そしてもう六千四百八十三億円、九千三百億円の七割を使ってしまっているという状況です。
現在のペースでは完成までに四十年を要すると言われておりまして、この先ほど申し上げました軟弱地盤の問題、辺野古の…
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