おっしゃるとおりなんです。
戦火によって、結婚は当時は教会でやるとか役所でやるかもしれませんけど、その書類があの激しい戦争の中で焼失してしまっているという状況の方々が多いと。その書類が教会で見付かって、その方々は国籍回復がかなうんですが、あの戦争の状況でありますから、ないという方が多いというのがまず一点と。
そしてもう一点、副大臣におっしゃっていただいたとおり、戦後、日本人と関係があっただけで殺されてしまう時代でございます。自分の父親が日本人であるというふうに分かったらどうかというと、それはもう殺されてしまうわけなんですよ。ここの資料の二の男性の方、丸で囲っていない男性の方なんですが、このサムエルさん、アカヒチさんという沖縄出身の方なんですね、お父様が、この方のお父様も日本人であったということで現地の方に殺されてしまったという形で、フィリピンに残されてしまったのがこの息子さんであるアカヒチ・サムエルさんなわけですね。
なので、焼失してしまっている、戦争で、そしてその後、激しい対日感情の中で、親族であるとか母親たちが、子供が日本人であるということを隠して生きなきゃいけないという形で、その証拠書類であるとかを消滅させるということをしないと生き延びることも難しい時代があったということが大きな原因になってしまっているんです。
つまり、今、日本の裁判所に親子関係を認めてほしいというふうに、DNA鑑定で親子、親族ということが認められているにもかかわらず、それがかなわないというのは、戸籍上の父親であると認められないという、書類が残っていないからどうしようもないというところまで今来ていて、こうした方々が数千人いたんですが、今はもう五十人以下、三十人とか四十人とかそれぐらいまで減っていて、その方々も多くが八十五歳とか六歳になっていて、かなりもう時間の期限が、もう猶予がないという状況になってしまっています。
この数年間、私は毎年フィリピンに行かせていただいて、ダバオの慰霊祭に参加をさせていただいております。最初の年に会った二世の方、無国籍の二世の方とお話をしたときに、早く認めていただきたいと、非常に期待をする形で私とお話しさせていただいたんですが、来日されてみて会ったときには、例えば、もう言葉を選んで言わなきゃいけないかもしれないんですが、誤解を恐れずに言うと、やはりお年を召してきて、少しずつ認知の症状も始まってきていて、そうなってくるとアイデンティティーの回復というものがなされないままになってくるとも考えているわけなんです。
これまで、私、彼ら彼女たちが生きている間に何とぞお願いしたいというふうに申し上げてきたんですが、この数年間見ても、様々なその状況を鑑みたときに、これはもう本当に時間がないと。日本人として生まれてきて、そして日本人学校で育った方も多いわけなんですよね。そうした方々が戦争によって、これ、現地でお父さん、徴用されていますから、これ国策ですよね。なのに、いまだに国籍回復がかなわない人たちがいるというのは、やっぱり私は問題だというふうに考えています。本当に時間がないんですね。
資料の三、見ていただきたいんですが、これはフィリピン・ダバオ、ミンダナオ島ですね、この歴史資料館、これNHKの資料になるんですね。日本軍に徴用された橋本茂さんが家族に宛てた遺書という形で、これまでも何度か国会で引用されている文になります。
これ遺書で、妻のロザリオさんに宛てた遺書になるんですが、なんじもし一身上のことで思案に及ばざることがあれば、これ日本帝国政府ですね、当時ですから、そこに懇願をして援助を受けよと。天皇の国、大日本帝国はすなわちなんじ等の、お子さんも含めて、御家族の父の国にして、同時になんじ等の保護者たること疑いなしという形で遺書を残されて戦争に行って、そして戻ってこなかったという形になっています。
こうした状況を鑑みても、本当に時間がないということを私、重ねて申し上げてきてまいりました。
そこで、官房長官お越しいただいているのでお伺いをしたいと思います。
政府の就籍支援では、一生懸命やっていただいているのは本当に事実で、現地で外務省の方が、大使館の方々、そして領事館の方々が奔走しながら二世たちを支援している姿を私、現地でも見てきて感銘を受けているんですが、現行法ではやっぱりもう限界が来ていて、裁判所は、やはり認知された子供じゃないという形で今回却下しているんですね。でも、どうやって当時の書類がない中でそれを認めるのかと。沖縄にいらっしゃる御家族も早く、ここに、新聞に書いてあるとおりです、彼女を認めてほしいということをおっしゃっているのに、そこに書類がないという理由だけで却下されてしまっている現実がやっぱりあるんです。
やっぱりこれ現行法の限界ではないかというふうに考えているんですが、無国籍の日本人二世の命がついえる前に、そしてそのアイデンティティーがしっかりとある間に、やっぱり日本政府が最後の一人まで私は救っていくべきではないか。もうその数も数十人に限られてきてしまっているわけなんです。
フィリピンとは防衛面での協力も進んでおります。いろいろな問題がある中で、いろいろなものを克服しながら前に進んでという形。現地、戦争で残された皆さん、特措法などで救ってきた、それはフィリピン以外の国ではありますけれども、救ってきた経緯があるというふうに考えれば、現行法の限界を認識して、最後の一人まで救うべきじゃないかと思っています。
私は、特措法が一番、もうそこしかないんじゃないかなと思っておりますが、特措法の考えというのはあるのか。また、それ以外で彼女たちの国籍回復、日本人として生まれてきて、無国籍で今も生きていて、そして日本人としてという、その国籍を回復する手段がほかにもあればお伺いしたいんですが、どうか、今日、支援団体の皆さんも来ております、官房長官に助けを求めたいと思います。御答弁を求めます。
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国光あやの(自民)外務副大臣
塩村委員にお答えをさせていただきます。
まず、フィリピンの残留日系人の皆様方が、長年にわたる困難や苦労の中、フィリピンや様々な地域できずなを育まれてきたことに対しまして敬意を表したいと存じます。また、全ての残留の日系人の方々の国籍取得がいまだ実現していないということも非常に残念に外務省としても感じております。
その中で、個別の就籍、つまり国籍をつくるというこの就籍につきましては、個別の司法判断でございますので、外務省としてはコメントを差し控えさせていただきたいと存じますが、引き続きフィリピン在留日系人の方々の国籍取得に向けた取組を可能な限り支援をして…
この発言のページ
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塩村あやか(立憲)
少し認識していただきたいんですね。法務省の範疇に踏み込んでくれというふうにお願いをしているわけではなくて、なぜ今この状況にあるのかというところをきちんと外務省が認識しているのか、そこをちょっと確認しなければこの問題一ミリも前に進みませんので、改めて、なぜ今、就籍がかなっていないのか、なぜ司法の判断がそうなっているのかというところが一番の肝であり、そこは法務省の管轄ではありませんので、改めてお伺いをしたいと思います。
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国光あやの(自民)外務副大臣
お答えいたします。
塩村委員御指摘のとおり、DNA鑑定では、親子関係ということが一定の立証の可能性というのはあろうかと思いますが、一方での、大戦中からの戸籍関係の書類につきまして、大戦中からフィリピン国内で、御指摘があったように、反日感情の高まりなどによりまして、戸籍関係の書類自体が焼却をされたなどがございました。そして、身分を隠して生活せざるを得ないような状況が重なっていたということがあり、そのため日本人父の国籍の確認ができない等の状況があったというふうに承知をしております。
この発言のページ
- (上の発言)
55
塩村あやか(立憲)
おっしゃるとおりなんです。
戦火によって、結婚は当時は教会でやるとか役所でやるかもしれませんけど、その書類があの激しい戦争の中で焼失してしまっているという状況の方々が多いと。その書類が教会で見付かって、その方々は国籍回復がかなうんですが、あの戦争の状況でありますから、ないという方が多いというのがまず一点と。
そしてもう一点、副大臣におっしゃっていただいたとおり、戦後、日本人と関係があっただけで殺されてしまう時代でございます。自分の父親が日本人であるというふうに分かったらどうかというと、それはもう殺されてしまうわけなんですよ。ここの資料の二の男性の方、丸で囲っていない男性の方なんですが、このサムエルさん、アカヒチさんという沖縄出身の方なんですね、お父様が、この方のお父様も日本人であったということで現地の方に殺されてしまったという形で、フィリピンに残されてしまったのがこの息子さんであるアカヒチ・サムエルさんなわけですね。
なので、焼失してしまっている、戦争で、そしてその後、激しい対日感情の中で、親族であるとか母親たちが、子供が日本人であるということを隠して生きなきゃいけないという形で、その証拠書類であるとかを消滅させるということをしないと生き延びることも難しい時代があったということが大きな原因になってしまっているんです。
つまり、今、日本の裁判所に親子関係を認めてほしいというふうに、DNA鑑定で親子、親族ということが認められているにもかかわらず、それがかなわないというのは、戸籍上の父親であると認められないという、書類が残っていないからどうしようもないというところまで今来ていて、こうした方々が数千人いたんですが、今はもう五十人以下、三十人とか四十人とかそれぐらいまで減っていて、その方々も多くが八十五歳とか六歳になっていて、かなりもう時間の期限が、もう猶予がないという状況になってしまっています。
この数年間、私は毎年フィリピンに行かせていただいて、ダバオの慰霊祭に参加をさせていただいております。最初の年に会った二世の方、無国籍の二世の方とお話をしたときに、早く認めていただきたいと、非常に期待をする形で私とお話しさせていただいたんですが、来日されてみて会ったときには、例えば、もう言葉を選んで言わなきゃいけないかもしれないんですが、誤解を恐れずに言うと、やはりお年を召してきて、少しずつ認知の症状も始まってきていて、そうなってくるとアイデンティティーの回復というものがなされないままになってくるとも考えているわけなんです。
これまで、私、彼ら彼女たちが生きている間に何とぞお願いしたいというふうに申し上げてきたんですが、この数年間見ても、様々なその状況を鑑みたときに、これはもう本当に時間がないと。日本人として生まれてきて、そして日本人学校で育った方も多いわけなんですよね。そうした方々が戦争によって、これ、現地でお父さん、徴用されていますから、これ国策ですよね。なのに、いまだに国籍回復がかなわない人たちがいるというのは、やっぱり私は問題だというふうに考えています。本当に時間がないんですね。
資料の三、見ていただきたいんですが、これはフィリピン・ダバオ、ミンダナオ島ですね、この歴史資料館、これNHKの資料になるんですね。日本軍に徴用された橋本茂さんが家族に宛てた遺書という形で、これまでも何度か国会で引用されている文になります。
これ遺書で、妻のロザリオさんに宛てた遺書になるんですが、なんじもし一身上のことで思案に及ばざることがあれば、これ日本帝国政府ですね、当時ですから、そこに懇願をして援助を受けよと。天皇の国、大日本帝国はすなわちなんじ等の、お子さんも含めて、御家族の父の国にして、同時になんじ等の保護者たること疑いなしという形で遺書を残されて戦争に行って、そして戻ってこなかったという形になっています。
こうした状況を鑑みても、本当に時間がないということを私、重ねて申し上げてきてまいりました。
そこで、官房長官お越しいただいているのでお伺いをしたいと思います。
政府の就籍支援では、一生懸命やっていただいているのは本当に事実で、現地で外務省の方が、大使館の方々、そして領事館の方々が奔走しながら二世たちを支援している姿を私、現地でも見てきて感銘を受けているんですが、現行法ではやっぱりもう限界が来ていて、裁判所は、やはり認知された子供じゃないという形で今回却下しているんですね。でも、どうやって当時の書類がない中でそれを認めるのかと。沖縄にいらっしゃる御家族も早く、ここに、新聞に書いてあるとおりです、彼女を認めてほしいということをおっしゃっているのに、そこに書類がないという理由だけで却下されてしまっている現実がやっぱりあるんです。
やっぱりこれ現行法の限界ではないかというふうに考えているんですが、無国籍の日本人二世の命がついえる前に、そしてそのアイデンティティーがしっかりとある間に、やっぱり日本政府が最後の一人まで私は救っていくべきではないか。もうその数も数十人に限られてきてしまっているわけなんです。
フィリピンとは防衛面での協力も進んでおります。いろいろな問題がある中で、いろいろなものを克服しながら前に進んでという形。現地、戦争で残された皆さん、特措法などで救ってきた、それはフィリピン以外の国ではありますけれども、救ってきた経緯があるというふうに考えれば、現行法の限界を認識して、最後の一人まで救うべきじゃないかと思っています。
私は、特措法が一番、もうそこしかないんじゃないかなと思っておりますが、特措法の考えというのはあるのか。また、それ以外で彼女たちの国籍回復、日本人として生まれてきて、無国籍で今も生きていて、そして日本人としてという、その国籍を回復する手段がほかにもあればお伺いしたいんですが、どうか、今日、支援団体の皆さんも来ております、官房長官に助けを求めたいと思います。御答弁を求めます。
56
木原稔(自民)内閣官房長官
フィリピンに在住しておられる残留日系人の方々の国籍取得についてですが、いまだに実現していないということ、非常に残念であり、悲しい現実だというふうに私は感じております。
その上で、就籍については、これはもうルール上、最終的にはこれは司法判断となるということは、これもう現実でありまして、行政の立場としては、関係者の方々の高齢化が進む中において、フィリピンの残留日系人の方々の一時帰国という事業が国籍取得に必要な情報を得るためにも重要な機会の一つだと、そういう考えの下でこれまで、昨年は八月に訪日事業を実施しまして、その後、塩村委員からは十二月にも同様の御質問い…
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塩村あやか(立憲)
ある種の勇気が出る答弁だったと思いますが、まだ限界のところがなかなか突破できない、まだないかなというふうに思っております。
引き続き、皆様に呼びかけながらこの問題に取り組んでいきたいと思っておりますので、官房長官そして外務省の皆様の力を貸していただきたいと強く申し上げまして、質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
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牛田茉友(国民)
国民民主党・新緑風会の牛田茉友と申します。
前回に引き続きまして、小さなお子さんの自転車の同乗についてお尋ねしていきたいと思います。
今の制度ですと、幼児用座席に同乗できる子供は小学校就学の始期に達するまでというふうにされておりますけれども、青切符導入後、このことについて多くの不安の声が寄せられております。
前回の質疑でも、障害のあるお子さんを育てていらっしゃるお母さんの話を御紹介いたしましたけれども、障害の特性によっては、学校に上がったからといってすぐに行ける、自分で通えるわけではないですし、公共交通の利用も難しいといった場合もあるほか、小学生に…
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