ありがとうございます。
最後に、復興予算についてお伺いいたします。
先月の選挙で、私の選挙区に、全く予期をしていませんでした宮城県七ケ浜町の寺沢薫町長が応援演説に駆けつけてくれました。初めてのことであります。
今まで人前でお話をしませんでしたが、十五年前、落選中だった私は、一年以上、テント生活をしながら、ヘドロをかき出し、使えなくなった家財道具を運び出すというような活動を続けていました。
浪人中に地震が起きました。テレビを見て、大変なことになったと思いながらも、三日目ぐらいでしょうか、あのACのコマーシャルばかりの二十四時間、皆さんも同じだったと思います。東京にいながらも、不安と大ごとだという何とも言えない不確実な思いを思っていましたが、だんだん、五体満足な成人男性が、しかも、当時は仕事がない、テレビを見ているだけでいいのかという思いになりました。贖罪の思いというんでしょうか。また、もしかしたら、いつか、特に外国の方に、あのときあなたは何をしていましたかと聞かれるんじゃないかという気もしました。そのときに、胸を張って答えられるのかどうか。仕事があるから行けなかったと言うわけにもいきません。
申し訳ない気持ちを抑え切れず、東北自動車道が再開した翌日に、当時たまたま自家用車の燃料が満タンでありました、給油せずに行って給油せずに帰ってこられるぎりぎりの場所、かつ県外のボランティアを受け入れると言ってくれた場所が、唯一、宮城県の七ケ浜町でありました。そこへ向かい、朝着いたとき、口にできない惨状でありましたが、今思えば、こんな私が少しでも復興に関与できて感謝している、そういう町であります。
寺沢町長は、私が活動していた頃、町の復興課長でいらっしゃいました。恐らく、私が現場で活動しているところを軽トラで何度か御覧になっていたんだと思います。初当選を果たし、七ケ浜町ではトライアスロンの大会をやっていまして、その大会に久々に出場したときに、今度、寺沢君が町長に立候補するんだよということで、再会をいたしました。見事に町長に当選され、それから、毎年上京するたびに、七ケ浜町のおいしいノリを、品評会でも随分高評価を得ているようであります、必ず持ってきてくれる、そういう心の通い合いを続けていました。
災害ボランティアは、黙って行って、黙って働いて、黙って帰るものと思っていますので、今まで人前でこの話をしませんでしたが、今年は町長の思いも酌んで、この予算に込めた復興への思いを復興大臣からお聞かせください。
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片山さつき(自民)財務大臣・内閣府特命担当大臣(金融)
まさに委員御指摘のように、高市内閣が目指します強い経済を実現していく上で、国民の購買力を高めていくことは非常に重要な視点だと考えております。政府といたしましても、家計の所得を増やし、消費マインドを改善し、事業収益が上がる好循環を実現することで、今の暮らしや未来への不安を希望に変える強い経済をつくってまいりたいと考えております。
具体的には、責任ある積極財政の考え方の下、経済安全保障、食料安全保障などの様々なリスクを最小化する危機管理投資や、AI、半導体、造船などの先端技術を花開かせる成長投資などを通じて、世界経済の成長を取り込みながら日本の成長につなげ…
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小田原潔(自民)
ありがとうございます。
次に、いわゆる円安対策についてお伺いします。
本委員会でも、物価高に関連して、その原因を円安に帰する方が多く見られました。
為替決定の理論は、専門家同士でも、長期から短期まで大まかに、購買力平価説、アセットアプローチ、フローアプローチ、金利平価説と四つあるとするのが定説でありますが、金利はどちらかといえば短期の理論であります。
それに、金利が経済成長の鏡なのか、金利が経済を動かすのか、時と場合によって専門家の間でも意見は分かれます。金利を多少動かしても、ちょっとやそっとじゃ為替は動かないという人もいれば、中央銀行の姿勢を評…
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高市早苗(自民)内閣総理大臣
高市内閣においては、責任ある積極財政の考え方の下、経済安全保障、また食料安全保障などの様々なリスクを最小化する危機管理投資、また、AI、半導体、造船などの先端技術を花開かせる成長投資により、世界共通の課題解決に資する製品、サービス、インフラ、こういったものを開発し、国内外に提供することとしております。
経済財政運営は為替の誘導を目的に行うものではございませんが、こうした取組を通じて、委員御指摘の生産力の強化や日本経済の国際競争力を高めてファンダメンタルズを強化していくということが、結果として円の信認を保つことにもつながっていくと考えます。
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- (上の発言)
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小田原潔(自民)
ありがとうございます。
最後に、復興予算についてお伺いいたします。
先月の選挙で、私の選挙区に、全く予期をしていませんでした宮城県七ケ浜町の寺沢薫町長が応援演説に駆けつけてくれました。初めてのことであります。
今まで人前でお話をしませんでしたが、十五年前、落選中だった私は、一年以上、テント生活をしながら、ヘドロをかき出し、使えなくなった家財道具を運び出すというような活動を続けていました。
浪人中に地震が起きました。テレビを見て、大変なことになったと思いながらも、三日目ぐらいでしょうか、あのACのコマーシャルばかりの二十四時間、皆さんも同じだったと思います。東京にいながらも、不安と大ごとだという何とも言えない不確実な思いを思っていましたが、だんだん、五体満足な成人男性が、しかも、当時は仕事がない、テレビを見ているだけでいいのかという思いになりました。贖罪の思いというんでしょうか。また、もしかしたら、いつか、特に外国の方に、あのときあなたは何をしていましたかと聞かれるんじゃないかという気もしました。そのときに、胸を張って答えられるのかどうか。仕事があるから行けなかったと言うわけにもいきません。
申し訳ない気持ちを抑え切れず、東北自動車道が再開した翌日に、当時たまたま自家用車の燃料が満タンでありました、給油せずに行って給油せずに帰ってこられるぎりぎりの場所、かつ県外のボランティアを受け入れると言ってくれた場所が、唯一、宮城県の七ケ浜町でありました。そこへ向かい、朝着いたとき、口にできない惨状でありましたが、今思えば、こんな私が少しでも復興に関与できて感謝している、そういう町であります。
寺沢町長は、私が活動していた頃、町の復興課長でいらっしゃいました。恐らく、私が現場で活動しているところを軽トラで何度か御覧になっていたんだと思います。初当選を果たし、七ケ浜町ではトライアスロンの大会をやっていまして、その大会に久々に出場したときに、今度、寺沢君が町長に立候補するんだよということで、再会をいたしました。見事に町長に当選され、それから、毎年上京するたびに、七ケ浜町のおいしいノリを、品評会でも随分高評価を得ているようであります、必ず持ってきてくれる、そういう心の通い合いを続けていました。
災害ボランティアは、黙って行って、黙って働いて、黙って帰るものと思っていますので、今まで人前でこの話をしませんでしたが、今年は町長の思いも酌んで、この予算に込めた復興への思いを復興大臣からお聞かせください。
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牧野たかお(自民)復興大臣
小田原委員にお答えいたします。
まず、小田原委員が、発災後、宮城県の七ケ浜町で一年以上ボランティアとして活動されていたことに敬意を表したいと思います。十五年のこの被災地の復興というのは、そうしたボランティアの方たちの力が大きかったと思います。
発災から十五年が経過して、東北の地震、津波の被災地域におきましては、インフラ整備を始め、かなり復興が進んだところだと思っております。他方で、心のケアなど中長期的な対応が必要となる課題も多くありまして、今後引き続き支援が行われるよう、関係省庁や自治体としっかり連携して、丁寧に取り組んでいきたいと思います。
また…
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小田原潔(自民)
ありがとうございます。
私は七ケ浜町という町に御縁をいただきましたので、余り、ほかの被災地に行くのは個人的には不謹慎な気がいたしまして、ほかの町は見ませんでした。また、写真も一枚も撮りませんでした。それでも、初当選をしてから、どうしても復興を最後まで見届けたいという思いで、初めの八年間、東日本大震災復興特別委員会のメンバーに入れていただき、七ケ浜町の復興の姿を見ることもできました。これからも、微力ながら、風化させることなく、支えてまいる所存であります。
委員長、時間は少し早いですけれども、私の質問をこちらで終わりたいと思いますが、よろしいでしょうか。…
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坂本哲志(自民)
これにて小田原君の質疑は終了いたしました。
次に、長妻昭君。
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