井戸まさえ (国民民主党)

2026年6月12日・第221回国会 衆議院 法務委員会 第20号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 103 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 175 発言)

私は、大臣、本当に残念ですね。ここでしっかり、誤判でも、冤罪、国民の中では一般的にやはり冤罪という言葉が広く、それで様々な冤罪事件として袴田事件もそして福井事件も理解されているわけですから、そうした意味では、こういう人権侵害、これをしっかり国家としてのそれこそ犯罪でないようにするために今回この再審法を議論しているわけですから、是非その辺の認識を持っていただきたいなと思います。

そして、今日、最終日ですので、なぜこの再審法を改正をするのかというところの、根本のところを聞きたいと思います。

確認させてください。

冤罪によって失われるものは余りにも大きいです。自由を失う、家族を失う、仕事も失う、社会的信用を失う、場合によっては人生そのものも失います。しかも、その原因は本人ではなく国家にあるわけです。

私は、今回の再審法改正に求められる最大の価値は、ともかく、審理の時間を減らして、生きているうちの救済、これだと思っています。どんな立派な制度であっても、無罪が認められる前に請求人が亡くなってしまえば、その制度は十分に機能したとは言えません。今回の再審法改正に求められる最大の価値というものは、生きているうちの救済だと私は思っています。

徳島のラジオ商殺しの請求人であった富士茂子さんは、有罪判決を受けた後に、裁判所にも裁判官にも絶望して、家族への負担を考えて、弁護人にも相談しないまま上告を取り下げました。そして、こんな裁判しか受けられないなら、一日も早く出所して、自分の手で真犯人を見つけるとの思いで服役する道を選ばれました。ところが、その後間もなく、茂子さんを犯人だとした主要な証人らから、自らの証言が偽証であったことを認め、この事件は大きく展開をしてまいります。しかし、それでも救済には長い年月が必要でした。富士茂子さんは一九七九年に再審無罪を見ることなく亡くなって、遺族が請求を引き継いだ結果、一九八五年に無罪判決が言い渡されました。これは、日本で初めて請求人の死亡後に再審無罪決定が確定をした、そうした事件となりました。

今日は狭山事件の石川さんもおいでですけれども、本当に、こうやって命を落としてしまう、決定されるまで。無罪判決は、例えば茂子さん、ラジオ商殺しのところも出ましたけれども、もうそのときには茂子さんはこの世におられないんです。私は、この事実こそが再審制度の課題を象徴していると思います。だからこそ、必要なのは、死後の名誉回復だけではありません、生きているうちの救済なんです。

今回の法改正に当たり、大臣は生きているうちの救済という観点をどの程度重視なさったんでしょうか。お答えください。

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