自由民主党の福原淳嗣でございます。
まずもって、質疑の機会をいただきましたこと、委員長、理事の先生の皆さん、そして法務委員会の全ての皆さんに感謝を申し上げるとともに、お忙しい中にもかかわりませず、こうして集まっていただきました三人の、生田参考人、鈴木参考人、そして結城参考人に心から感謝を申し上げまして、早速質問させていただきたいと思います。
まず、一番最初に、生田参考人にお聞きしたいと思います。
生田参考人は、お願い事項を二ページに書いてありまして、その二つのことに関しましては、実は今回の法改正の中でも手数料の減免又は免除ということで記されているわけでありますが、生田参考人の目から見て、日本の難民の受入れの制度というのは公正なのか、他国と比べてどのように捉えておられるのか、お聞かせいただきたいと思います。
6生生田志織難民支援協会渉外チーム政策提言担当
難民支援協会の生田志織と申します。
本日は、このような機会をいただき、誠にありがとうございます。
私たちは、日本で暮らす難民申請中の方を支援しているNPO法人です。一九九九年の団体設立以来、日本に逃れた難民の方たちを支援してきました。今日は、日々の難民支援の経験から、今回の入管法改正案のうち、手数料の引上げについて、慎重な議論を求める立場から意見を述べたいと思います。
まず強調したいのは、今回の手数料引上げの直接の当事者は、この議場の中に、少なくとも法案を採決する立場にある方の中に一人もいないということです。出入国や在留管理に関する議論は、こうした…
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7井井上英孝(維新)
生田参考人、ありがとうございました。
以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。
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8井井上英孝(維新)
これより参考人に対する質疑に入ります。
質疑の申出がありますので、順次これを許します。福原淳嗣君。
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- (上の発言)
9福福原淳嗣(自民)
自由民主党の福原淳嗣でございます。
まずもって、質疑の機会をいただきましたこと、委員長、理事の先生の皆さん、そして法務委員会の全ての皆さんに感謝を申し上げるとともに、お忙しい中にもかかわりませず、こうして集まっていただきました三人の、生田参考人、鈴木参考人、そして結城参考人に心から感謝を申し上げまして、早速質問させていただきたいと思います。
まず、一番最初に、生田参考人にお聞きしたいと思います。
生田参考人は、お願い事項を二ページに書いてありまして、その二つのことに関しましては、実は今回の法改正の中でも手数料の減免又は免除ということで記されているわけでありますが、生田参考人の目から見て、日本の難民の受入れの制度というのは公正なのか、他国と比べてどのように捉えておられるのか、お聞かせいただきたいと思います。
10生生田志織難民支援協会渉外チーム政策提言担当
御質問いただきまして、ありがとうございます。
日本の難民認定制度は、先ほどのお話の中でも少し触れましたが、非常に厳しいものになっているというところが私たち支援団体としての受け止めです。
おっしゃっていただいた公正性というところが非常に重要だと思っておりまして、例えば、難民申請をしたときに、当事者の意見を聞く機会が十分に設けられているかといいますと、インタビューも行われずに難民不認定とされる場合もあります。
あとは、難民申請中の方は、やはりこの手続はかなり複雑な手続です。難民申請に必要な書類とかを一人でそろえていくというのは非常に難しいんですけれども…
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11福福原淳嗣(自民)
生田参考人、ありがとうございました。
なぜ一番最初に難民の話をしたのかというと、実は私、前職、秋田県の大館市の市長をしていました。秋田犬のふるさとでもあるんですが、残念なことに、八十年前、一九四五年の六月三十日、御存じだと思いますが、花岡事件がありました。国策として中国の方をうちの花岡の鉱山に連れてきて、そこで労働をしてもらっていたんですが、結局は、一揆を起こして鎮圧される中で、たくさんの方々が亡くなってしまうという、惨劇です、はっきり言えば。毎年六月三十日に殉難者慰霊式典に出るというのは市長の務めなんです。
今の、現代の感覚でいえば、これは絶対許さ…
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12結結城恵群馬大学特別教授・名誉教授
御質問ありがとうございます。
地方、このエネルギー、どういうふうに外国人材とともに歩んでいくかは、全国のいろいろな地方の大きな課題になっていると思います。
実は、私は、都会の学校を出て、初めての就職が群馬だったんですけれども、意気揚々として行ったんですが、日本の典型的な文化がいかに学校の文化の中に入っているかというところを、博士号を取らせていただいたんですけれども、結城理論が通じない地域が群馬にはあるよ、それがいわゆるブラジルタウンと言われている大泉町でした。そこに私は週二回ずっと通い詰め、フィールドワーカーですので、そういったところで、外国人材、子…
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